神原陽太 スキンシップ

 天野家リビングの絨毯の上、正座して向かい合う僕と白雪。

 白雪が、食べかけのプリンをスプーンですくい、僕の口元に近づけてくる。

「は、はい、あ~ん……」

 優しい声。小さな手。僕より十センチ背の低い白雪は、上目遣いでその瞳を揺らしていた。恥じらいに頬を染めて、それでも顔を逸らすことはない。

「あ、あーん……」

 僕らはなにをやっているんだ……!?

 半ばパニックになりかけながら、プリンを頬張る。

「ど、どうかな……?」

 さすがに、味がしなかったなんて言えない。

「う、うん。甘くておいしかった」

 一秒くらい固まっていた白雪は、両手両足を痙攣させながら、プリンとスプーンをテーブルに置いた。

「白雪、大丈夫か?」

「大丈夫……色々……複雑なだけだもん……!」

 明らかに大丈夫そうではない。それはそうだ、白雪は十五歳の女の子、好きな男子くらいいるだろう。なのに僕をときめかせないとこの状況が終わらないのだから、拷問以外のなにものでもないはずだ。

「ごめんな白雪、できるかぎりすぐに榊さんになって、終わらせるから」

「う……すぐ終わっちゃうのは……けど、ときめいてくれないのも……!」

 白雪が抱くジレンマは、僕の想像以上に大きいようだ。

 これ以上苦しませないためにも、僕が頑張らないと!

「し、白雪……リクエストしてもいいか?」

「きゅおおおおおおお」

 笛吹ケトルみたいな音を吹きながら、白雪は何度も頷く。

「膝枕とかどうだろう」

 無言だった。白雪は俊敏な動きでソファに座ると、とんとんと自身の太ももを叩く。返事をする間も惜しいらしい。

 そんなに早く終わらせたいのか。そうだよな。

 僕も恥ずかしい気分を押し殺して、白雪の太ももに寝転んだ。溶けかけの大福のアイスみたいな柔らかさで、しかし炊き立てのご飯にも勝る熱。

 見上げた白雪の顔はイチゴもびっくりな赤みを帯びて、左右のおさげが吹っ飛んでいきそうなくらいに激しく上下に暴れている。

 三秒そのまま、しかし人格が切り替わった気がしない。

「ダメみたいだな」

 急いで起き上がると、白雪がピキ、と凍りついた。

 そんなに今ので終わらせたかったのか……。

「わ、悪い……次は手を繋ぐとかどうだ?」

「わあ……!」

 負担が小さいことが嬉しかったのだろう。凍てつく冬から春を飛ばして夏が来たかのように向日葵が咲く。二人ソファに並んで座ったまま、僕の左手で白雪の右手を握る。

 白雪の手は小さくて、指も細い。肌はきめ細やかで爪は綺麗に整えられている。しなやかな指で僕の手を握る力を強めると、手指の柔らかさが感じられた。

 一、二、三秒。……手を繋ぐ、も、ダメなようだ。

「その、さ」

「えっと……神原君?」

「ああ。まだ変わってないよ。……白雪、好きな人はいるのか?」

 一度自分の膝を視線で貫くと、もう顔を動かせなくなった。

「へっ!? な、なんで……!」

「いや、こんなことさせて悪いなと思って」

 ただ罪悪感に耐えられなくなっただけだ。

「……いるよ。好きな人」

 聞こえるか聞こえないかの、とても小さな声だった。

「そんなこと聞いて、どうしたの?」

「いや……誰かなって思って」

 僕の知っている人だろうか。白雪が答えに悩んでいる間、色々と思い浮かべてみる。

 白雪とは幼稚園から中学校まで、ずっと一緒だった。クラスは違うことの方が多かったけど、白雪の同級生なら僕とまったく同じ顔ぶれだ。なんなら高校もずっとそうなる。

 白雪の中学時代の部活はチアリーディング部だ。部内に男子はいないが、その性質上男子を応援することは多い。先輩や後輩にも広く知り合いがいただろうから、その中の誰かだとすると僕にもわからないし、その可能性も大いにある。

 勉強は優花に教えてもらっていて学習塾に通ったことはなく、学校外での習い事もしていなかったはずだ。もちろん、友達繋がりで学校外にも交友関係が広がっているかもしれないし、その場合は僕に把握できるはずもないけれど。

 ……なんて考え事をしているうちに、いつの間にか三十分以上の時間が過ぎていた。

 ここで榊さんから僕の人格に変化して、もう一時間は過ぎている。

 白雪はまだ隣で黙り込んでいた。変なことを聞いたこと、謝らないと。

 けど、僕がごめんと言う前に、白雪が声を発した。

「教えられないよ」

「私の好きな人にはね、私以外の好きな人がいるんだって。だから私は、奪い取るの。好きな人に私のことをちゃんと知ってもらって、好きな人から私に告白させたいんだ」

「……そんなこと、全然知らなかった」

 ずっと一緒にいたはずの白雪が、いつの間にかそんなカッコいい野望を抱いていたとは。

「だ、だから」

 白雪がなにかを言い淀む。顔を横に向けると、白雪がいつになく真剣な顔を僕に向けていた。

「こ、今度は、か……神原君の、その、好きな人、を……知りたいなーっ!」

 自分の秘密を教えることより、人の秘密を聞くことの方が緊張するなんて、本当に白雪らしくて可愛らしい。

 白雪の好きな人への秘めた気持ちを聞いておいて、僕は名前すら知りません、じゃいくらなんでもかっこ悪すぎる。でも、正直に教えないと。

「手紙をさ、貰ったんだ」

「だ、誰から!?」

 声がひっくり返っていた。

「誰かはわからない。名前どころか、内容からも特定は……そりゃ、優花に見せれば手がかりが増えるかもしれないけど、さすがに恥ずかしいから言ってない」

 ――君のおかげで私は卒業することができました。ありがとう。――たった一行の、儚い文章だった。

「ただ、中学二年の卒業式の日に下駄箱に入れられていたから、一学年上だと思う。となれば部活関係かな、と」

「どの……?」

 白雪の小さな問いに、僕は首を横に振った。わからない、と。

 僕は中等部時代帰宅部だったが、手先の器用さを買われて、手芸部や料理部などの助っ人を頼まれることが多かった。

「手紙にするほど感謝してもらえたことが、とても嬉しくて。もう一年経つわけだし、忘れられているかもしれないけど……でも、今年は、会ってみたいな……って」

「そ、そっか……そっか」

 白楽学園の中等部から高等部への進学率は九割越えだ。きっと、いるはず。

「ああ。きっと見つけ出すよ」

 そう言った刹那。白雪が動いた。

 白雪は口元に左手を添えて、僕の耳元で囁いたのだ。

「私、負けないから」

 耳の中をくすぐる白雪の吐息が、くすぐったくて、たまらない。

 その瞬間、世界が変わる。

 白雪の家から、ファミレスのテーブル席に。

「はい、陽太君です!」

 姫花さんらしきテンションで、優花がじゃじゃんと両腕を僕に向ける。対面には、見ず知らずの夫婦が二人。五十代後半から六十代くらいか。

 通路の方からグラスを持って歩み寄ってきた白雪が、妹を叱る姉のような厳しい声で叱りつけた。

「姫花お姉ちゃん! 人格チェンジはおもちゃじゃないんだよ!? 遊んじゃダメ!」

「ご、ごめんなさい……」

 どうやら優花の中身は姫花さんらしい。

「はい神原君、コーラだよ。あと私を通させてほしいな」

 さっきまであんなに真剣そうだった白雪が、平時のテンションで僕の前にグラスを置いた。

 僕は呆然としつつ一旦通路へ。そして、お礼を言いつつ元の位置へ。

「じゃあ現状の説明を……神原君? どうしたの?」

 なんでこんな平然としていられるんだ? 白雪は。さっきのやりとり、忘れてるのか?

 ……この、得体のしれない戸惑いは、僕には言葉にできなくて。

 白雪に対する気まずさだけが、ただただ僕の心を重くした。

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