神原優花 人格チェンジのメカニズム

 天野家長女の発案だという置手紙のおかげで、あたしは目が覚めて五分でこれまでの流れを理解した。あの人、あたしや陽太が生まれる前からお隣で暮らしているのに、出会えたらラッキーみたいな神出鬼没な人なのよね。いったい何者なのかしら……。

 とにかく、朝の身支度を整え、ニュースの音声をBGMにコーヒーとトーストで朝ごはん。陽太に言えば目玉焼きくらい作ってくれるけど、それはないからマーガリンで我慢だ。

 階段を下りる陽太の足音。中身はきっと榊さん。

「んおー……あー、神原優花ちゃん、なんだよな? おはよう、優花嬢ちゃん」

 いつもよりどこかおっさん臭さ倍増のあくびと伸び。声や身体は陽太とあたしで固定されても、仕草や雰囲気は中身で変わるらしい。

「おはようございます、榊さん。とりあえず、榊さん呼びでいいですよね?」

「オーケー、なんでもいいぜ。で優花嬢ちゃん、そっちにも置手紙はあったのか?」

「はい。八時になったら白雪の家に行きますから、それまでに支度を済ませておいてください。服は陽太のものを適当に、洗面所は階段の左側です」

 あ、タオル用意しないと。……和室のタンスにあるかしら?

「お、おう。ありがとうな」

 着替えてきた榊さんにキッチンも好きなように使っていいと伝えて、白雪に色々とメッセージ。可愛いスタンプが返ってくる。

 どうでもいいニュースをソファで見ながら、食卓テーブルでトーストを食べる榊さんに適当に話を振った。

「……榊さん、お仕事はなになさってたんです?」

「旅行代理店だよ。といっても研修が終わったばかりでな、派遣の人の方が余程要領をよくわかってる」

「はあ」

 研修、社員、派遣。どれもテレビドラマで聞くくらいだからなんとなくしかわからない。

「まあ就職すりゃわかるさ。それより優花嬢ちゃんこそ何者だ? 白雪ちゃんと同じってことは、これから高校生なんだろ?」

「そうですけど、何者ってなんですか」

「いや、やたら頭回るみたいだったから」

「別に。これくらい普通ですよ。お隣の長女と比べれば」

「あぁ……あの人、いったい何者なんだろうな」

 なんて、話題があっち行ったりこっち来たりな雑談をしているうちに時間がきて、あたしたちは白雪の家へ。

 一番上のお姉さんは喫茶店に急遽休業する旨の張り出しに向かっているらしく不在だったが、まあいい。あの人のことだ、あとで白雪やご両親から聞くだろう。

 白雪は相変わらず、陽太となにかあったらしい青い鳥の羽根の髪留めでおさげを作って出迎えてくれた。服はラフな春物のシャツとパンツ、去年も着ていたやつだ。

「それで優花ちゃん、優花ちゃんはどうやって姫花お姉ちゃんたちの事故のこと知ったの?」

「へ? 普通にこれよ?」

 ただSNSを見せただけで、みんなから感心される。

「そんなことより先の話をしましょ。とりあえず榊さん、ご家族に伝えたら信じてもらえそうでしょうか」

「あー、まあ時間かければなんとか」

「じゃ、面会時間になったら病院で待ち構えるとして、ここを出るまでは色々試しましょうか。白雪、今朝伝えたもの、用意してある?」

「うん……一応」

 白雪がリビングのテーブルにビデオカメラやアルバムを並べた。あたしはあたしで、持ち込んだ手帳やメモ用のチラシの裏紙を広げる。

「な、なにをする気だ?」

「白雪、録画よろしく。まずあたしたちの人格切り替わりについて把握しましょう、ということです。とりあえず姫花さんが出ている間の記憶はあたしにはありません。榊さんは?」

「俺も、最後の記憶は優花嬢ちゃんがぶっ倒れたときだぜ」

 あのノートを見られたことを思い出し眉間に皺が寄るが、今はこっちだ。あたしはチラシの裏紙に四人の名前でリーグ戦のような表を作って、あたしと姫花さんが交差する欄と榊さんと陽太が交差する欄にバツ印をつける。

「こんな感じで、記憶に限らず色々とまとめていくんです。……ああ、今朝何時に目を覚ましました?」

「七時過ぎ……くらいかな。優花嬢ちゃんと会う前に、置手紙読んでたから」

「なるほど」

 一応それもメモしておく。私は六時五十分、と。

「で、なんで白雪ちゃんにビデオ撮らせてるんだ?」

「人格がチェンジするスイッチ的なものは、気絶や睡眠だけなんでしょうか。もしこうして喋っている最中にバチンと切り替わることがあるなら、一発でなにが原因かわかるようにしたいんです」

「おお……」

「ホント、優花ちゃん頭いいよね」

 遠巻きにあたしたちを眺めている白雪のご両親も、真剣な顔で頷いた。まだなにも結果を出していないのに褒められても無駄だから、話を進める。

「とりあえず白雪、姫花さんの写真見繕ってくれる? できればなんか、姫花さんなりに思い入れがあるあたしが知らないエピソード付きのやつ」

「え? うん、いいけど……どうするの?」

 白雪はアルバムを手に取り、ページをめくりながら聞いてきた。

「まず、姫花さんの顔を見ることであたしと姫花さんが入れ替わるのかどうか。あと、姫花さんなら思い出せることをあたしの状態で思い出すことがあるのかどうか」

「なるほどね。うん、じゃあこれなんかどうかな。ここはどこでしょう」

 そう言って見せられたのは、よく晴れた日に家族でどこかへ出かけているときの写真だ。

 背景には、綺麗な塗装がされた柵の向こうに岩壁があるだけ。天野一家みんながカメラ目線でポーズを取っていて、誰もがリュックを背負っていた。小学三年生くらいの白雪は、首から小さな水筒も下げている。

「神奈川動物公園ね」

「おお……! 正解ってことは、思い出は共有できるんだね!」

「いえ、まったくできてないわ。記憶や思い出の共有はバツ……っと。よし」

「じゃあなんでこの場所わかるの!?」

「ただ推理しただけよ。女性が四人もいて誰もスカートを履いておらず、靴も揃ってスニーカー。リュックと水筒も合わせて、日帰りのピクニックに近い家族揃っての外出ね。ポーズを取っている以上、背景は観光地などのシンボルになりそうな場所。なのに場所を示す看板があるわけでも、いかにもな綺麗な風景というわけでもない。記念写真としてそれはおかしいから、たぶんシャッターを切る前には猿かなにか……まあ動きの素早い動物でもいたんでしょう。きっと『ハイチーズ』なんて言ってる間にカメラの死角に動かれたのよ。で、この家から日帰りで行ける動物と記念写真を撮りたくなるような場所となると神奈川動物公園って言えばまず当たるでしょ」

「……一枚の写真で場所がわかるとか、すげえな!」

「こんなのできて当たり前です。白雪、次探してほしい写真は――」

 ぽん、と、あたしの頭に陽太の――中身は榊さんだけど――手が乗る。そしてあろうことか、あたしの頭を撫でてきた。

「……あの、榊さん?」

「いや、ほんとすげえよ優花嬢ちゃんは! やっぱこの陽太ってやつの言う通りだったか!」

 ……なぜここで、アイツの名前が出てくる?

 榊さんを睨みつけると、ソファの端まで飛び退き、怯えた様子で弁明した。

「や、置手紙に書いてあったんだよ! 優花嬢ちゃんを絶対に一人にしないでくれって。優花嬢ちゃんはとっても寂しがり屋で――」

 最悪! あのバカ! なんてこと書いてんのよ!?

 そこまででもう全部わかった。カッとなったあたしは榊さんを黙らせようと、勢いよく手を伸ばす!

 次の瞬間。

「そこまででいいですから!」

「ひゃあ!?」

 あたしはファミレスのソファ席で、隣に座っていた白雪を突き飛ばしていた。

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