神原優花 天才の机にはDEATHノートがある

 陽太に襲われたあたし、神原優花は、お風呂で身体を清めた後、夕飯を食べることにした。

 あたしを襲ったやつが作ったご飯を食べなければいけないのはとてつもなく複雑な気分だ。

 でも、食べなければやっていけない。脳も身体も、栄養は必要なのだ。

 どうやら夕飯はカレーらしい。お母さんの作るカレーはジャガイモやニンジンに火が通っていないときがあるけど、陽太が作ったのなら安心して食べられる。

「いただきます」

 カレーのできに関して、特に語ることなどない。陽太の作る料理は、カレーに限らずどれもおいしいのだから。

「ごちそうさまでした」

 野菜も肉もたっぷりのカレーを平らげたあたしは、シンクに食器を運んで水を張り……陽太を呼びにキッチンを出た。別に、お皿洗いが嫌なわけではない。ただ、なんか、いつも陽太がやってるから……陽太にさせないと気が済まないだけ。

 階段を見上げると、伸びていたはずの陽太がそこにいなかった。目を覚ましたのか。一階に降りてきた気配はなかったはずだから、自分の部屋だろう。

 階段を上ったあたしは、自分の部屋の扉が開いていることに気づいた。しかも、部屋の明かりがついている。

 そして部屋の中心で立ち尽くしている陽太の背中を見つけて、飛び蹴りを浴びせた。

「なにやってんのよ!」

「ぐっはぁ!? いって、なんだなんだ!? 不審者か!?」

「アア? 今、誰を不審者呼ばわりした?」

「ひぃぃなんだ嬢ちゃん、お、俺は金目のもんなんてなんもありゃしねーぞぉ……!」

「俺? ……あんた何様のつもり?」

「ひっ……! 俺は榊竜太と申します、ハイ! あの、お願いですからお命だけはお助けを……」

「なに言ってんの陽太、ふざけてると……いや、どこかで聞いたわねその名前」

 たしか姫花さんにできた彼氏の名前だ。会ったことはないが、白雪から何度か聞いたことがある。……試してみるか。

「天野白雪。心当たりは」

「嬢ちゃん、白雪ちゃんのことを知っているのか!?」

 決まりだ。陽太は、白雪が姫花さんの彼氏から白雪ちゃんと呼ばれていることを知らないはず。演技とは思えない。

「……悪夢であることを願うわ」

「えっと、嬢ちゃんはいったい……?」

 部屋の中心で正座したままの榊竜太さん――見た目が陽太だから癪だけど――に、あたしは丁寧に腰を折った。

「先ほどは失礼しました。はじめまして、あたしは神原優花、この家の住人です。白雪とは幼馴染で、姫花さんとも懇意にしてもらっています」

「姫花!」

「落ち着いてください、榊竜太さん。あなたのことは白雪から聞いています。姫花さんの彼氏さんだそうですね」

「お、おお……?」

「信じられないと思いますが、今あなたの精神というか魂というかは、私の双子の弟の身体に入っています。その身体の本来の持ち主は神原陽太。聞き覚えはありますか」

「ああ、たしか姫花の実家の隣の家に、可愛い双子が暮らしているって……」

 榊さんの落ち着き具合を見ながら、会話のペースを調整していく。

「話が早くて助かります。可愛いかどうかは別として、その双子があたしたちです。その窓の向こうに見える家が天野家ですよ」

「なにッ!?」

 弾け飛ぶような動きで窓に手と顔を貼りつける榊さん。……陽太の身体で窓ガラスに鼻息とか残さないでほしいんだけど、仕方ない。

「さて、この場の状況をご理解いただけたようなら、今榊さんが把握していることを教えていただきたいのですが」

「おお……でも、なにから話せば」

「そうですね……では、最後にご自身の身体でどこにいたのかお話し願えますか」

「えっと、東神奈川駅の歩道橋だ。姫花と二人で歩いていたら、その……転んじまって」

「なぜ転んだので?」

「それは……」

 記憶を手繰っているのか、言いたくない理由でもあるのか。とにかく答えが出る間に、あたしはスマホに手を伸ばした。

 とりあえず青い鳩マークのSNSで、『東神奈川駅 歩道橋』で検索。不特定多数の人がリアルタイムで自身や周囲の状況を書き込んでくれるので、あわよくば手がかりが……と思ったが――ビンゴ。

「抱き合って階段から転げ落ちた――まさか無理心中?」

「なんでだよ! プロポーズした帰り道で、なんつーか、その……最初は手を握ってただけだったんだよ。でも、なんか」

「あの、それあたしの双子の弟の身体なのご理解ください。その表情、控えめにいってキモチワルイ」

「うぐっ……!」

「まあ言わなくて結構です。なんとなくわかってきたので。一応お伝えしておきますと、榊さんと姫花さんの身体は五十分前に救急車で運ばれたそうですよ」

「なに!?」

 事故とほぼ同時に通報があったと考えると、榊さんと姫花さんが歩道橋から落ちるのと、あたしと陽太が階段から落ちた時間はほぼ一致する。

 とにかくもうSNSに用はない。とっくに救急隊員が所持品から身元を割り出しご家族への連絡を済ませているはず。

 次は緑色のチャットアプリで、白雪の画面を呼び出し、電話……いや、メッセでいこう。フリック入力と予測変換を駆使して文章を打ち込んでいく。

 だいたい、状況は、知ってる、電話――

「でも待ってくれ嬢ちゃん、俺たち落ちてから一度目覚めたんだ。その……あまりの感激で、キスとかしたから憶えてる」

 うっわぁ、最悪……! 指が滑ってメッセージを送信してしまう。

 脳裏に蘇る、陽太に襲われた一時間くらい前の記憶。吐き気を催すけど、聞かなきゃいけない。あたしの純潔のためにも。

「……どこまでしました?」

「い、いや……そう言われると……よく憶えてねーけど」

 とりあえず、下着に乱れは一切なかった。それ以上は考えるだけ毒だ。

「はぁ……ならいいです」

 とか言っているうちに既読がついて、すぐに白雪から着信が来た。ノータイムで繋ぐ。

『もしもし優花ちゃん!?』

「白雪、落ち着いて。今電話して大丈夫なの?」

『う、うん。お母さんが卒倒しちゃって、今みんなで介抱しているところ……』

「そう。じゃあ家にいるのね? 今からあたしの家来れるかしら」

 なにか言いそうになった榊さんに向けて人差し指を立て、黙っているように合図。

『た、たぶん……? でも、どうして?』

「こんな状況で悪いんだけど、急ぎのお願いごとがあるの。もちろん状況が状況だし、こっち優先しろとは言わないけど」

『わ、わかった! 今パジャマだから、着替えてから行くねっ!』

 あたしが電話を切るのと、榊さんが目を見開くのが同時。

「そうだ、姫花は!?」

「おそらくあたしの中にいるんだと思います……信じたくないですけど」

「わ、わかるのか!?」

「状況からの推測です。たぶん人格は切り替わるイメージでしょう。あたしと陽太が目覚めてから、あたしは陽太を気絶させましたがあたしは気絶せずお風呂入って夕ご飯を食べました。ここから、おそらく意識を失うことが人格を切り替えるトリガーになると思われます。つまり、あたしが気絶すれば今度は姫花さんが目覚め、榊さんが気絶すれば陽太が目覚め――ん!?」

 ふと、私の勉強机に置いてある大学ノートが、開かれていることに気づく。

 あ、あれは……日頃の反省や後悔を書き連ねた……人に読まれたら私がDEATHノート!?

 開きっぱなしで部屋を出た? まさか、それだけは絶対あり得ない。でもたしか、動揺したままお風呂に入る準備をしていたから……ちゃんと片づけたかというと……あー……。

「ちょ、おい嬢ちゃん!?」

 あたしの人生は終了しました。

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