このエピソードを読む
2023年7月5日 01:19
ご感想ありがとうございます。ご指摘の3点について、私の考えを述べさせて頂きます。まず、ルビについてですが、ご指摘には従えません。確かに序盤の舞台である裏山にその花木はありますし、それは中盤で出てくる花木と同種ですが、その種類が明らかにされるのは、物語の終盤であるべきだからです。これは所謂、叙述トリックの技法を使った表現方法ですので、ルビを外して、読者が花木を易々と思い描いてしまっては、終盤に用意したギミックのひとつが損なわれてしまいます。また、くだんのシーンでキミエが見ているのは、花木というわけではありません。この2点から、ご指摘には承服出来かねます。すみません。次に回想シーンへの転換についてですが、私としては、前段の末尾の「あの頃の想いが一気に蘇る。」を、回想への導入とし、更に、場面が変わり、主人公が小学時代のキミエに変わったことを示すために、文体を児童小説風に変えるという手法を取りました。ご感想を読んで、それだけでは不十分な読者もいるということは分かりましたが、このモノローグに「これから、子ども時代の思い出話をしようと思う」などの一文を挿入すると、その説明文はノイズとなって、作品世界の情緒を損なうことになりかねません。ですので、こちらについても、ご意見には承服しかねます。申し訳ありません。最後に、たんぽぽの綿毛が腐っていなかったことについてですが、これは作品中の「不思議なことにそれは(後略)」の言葉が示すとおり、作者にも「本来はあり得ないこと」という意識があることはご理解頂ければと思います。物語はフィクションですから、時にはファンタジー、もしくはオカルト的な展開を見せることはままあります。例えばキミエの耳にショパンのエチュードが聴こえてきたというのも、本来ならあり得ません。ですがこのような創作上の嘘は、物語の存在意義のひとつであると私は考えます。私たちの実際の人生に何ひとつ面白いことが起きないのは、それが純然たるリアルであるからで、私たちがフィクションを好むのも、この世にあり得ざる何かを求めているからだと信じているからです。以上、ご指摘に反論する形になってしまい申し訳ありませんが、ご理解いただければ幸いです。
作者からの返信
読んでいただきましてありがとうございます。わざわざお答えいただきまして恐縮です。おっしゃるとおりでよろしいと思います。いま読むと、「こんな感想を書かなくてもいいのでは」と思うところもあります。あえて弁明すると、当時のわたしは活字が読めませんでした。活字を読むための荒療治として、必死になって読んで感想を書きました。そのため小説よりも、文章として、読んでいたと思います。だから、ルビがあったほうがいいなとか、もう少し説明してくれると助かるなぁ、という感想を抱いたのだと思います。活字が読めるようになった現在では、かなり印象が違います。わざわざお答えしていただいたとおりだと読めます。最後の綿毛云々についても、そうですね。前半の理性的な展開から後半は感情的になって作品を楽しむように読んだほうがいいのです。なので、変える必要はないと思います。反論ではないですよ。教えていただきまして、ありがとうございました。
ご感想ありがとうございます。
ご指摘の3点について、私の考えを述べさせて頂きます。
まず、ルビについてですが、ご指摘には従えません。
確かに序盤の舞台である裏山にその花木はありますし、それは中盤で出てくる花木と同種ですが、その種類が明らかにされるのは、物語の終盤であるべきだからです。
これは所謂、叙述トリックの技法を使った表現方法ですので、ルビを外して、読者が花木を易々と思い描いてしまっては、終盤に用意したギミックのひとつが損なわれてしまいます。
また、くだんのシーンでキミエが見ているのは、花木というわけではありません。
この2点から、ご指摘には承服出来かねます。すみません。
次に回想シーンへの転換についてですが、私としては、前段の末尾の「あの頃の想いが一気に蘇る。」を、回想への導入とし、更に、場面が変わり、主人公が小学時代のキミエに変わったことを示すために、文体を児童小説風に変えるという手法を取りました。
ご感想を読んで、それだけでは不十分な読者もいるということは分かりましたが、このモノローグに「これから、子ども時代の思い出話をしようと思う」などの一文を挿入すると、その説明文はノイズとなって、作品世界の情緒を損なうことになりかねません。
ですので、こちらについても、ご意見には承服しかねます。申し訳ありません。
最後に、たんぽぽの綿毛が腐っていなかったことについてですが、これは作品中の「不思議なことにそれは(後略)」の言葉が示すとおり、作者にも「本来はあり得ないこと」という意識があることはご理解頂ければと思います。
物語はフィクションですから、時にはファンタジー、もしくはオカルト的な展開を見せることはままあります。例えばキミエの耳にショパンのエチュードが聴こえてきたというのも、本来ならあり得ません。
ですがこのような創作上の嘘は、物語の存在意義のひとつであると私は考えます。私たちの実際の人生に何ひとつ面白いことが起きないのは、それが純然たるリアルであるからで、私たちがフィクションを好むのも、この世にあり得ざる何かを求めているからだと信じているからです。
以上、ご指摘に反論する形になってしまい申し訳ありませんが、ご理解いただければ幸いです。
作者からの返信
読んでいただきましてありがとうございます。
わざわざお答えいただきまして恐縮です。
おっしゃるとおりでよろしいと思います。
いま読むと、「こんな感想を書かなくてもいいのでは」と思うところもあります。
あえて弁明すると、当時のわたしは活字が読めませんでした。
活字を読むための荒療治として、必死になって読んで感想を書きました。
そのため小説よりも、文章として、読んでいたと思います。
だから、ルビがあったほうがいいなとか、もう少し説明してくれると助かるなぁ、という感想を抱いたのだと思います。
活字が読めるようになった現在では、かなり印象が違います。
わざわざお答えしていただいたとおりだと読めます。
最後の綿毛云々についても、そうですね。
前半の理性的な展開から後半は感情的になって作品を楽しむように読んだほうがいいのです。
なので、変える必要はないと思います。
反論ではないですよ。
教えていただきまして、ありがとうございました。