「カクヨム甲子園2020」の作品を読んで
snowdrop
【ショートストーリー部門】
【奨励賞】 嘘と小説
嘘と小説
著・五月 病
https://kakuyomu.jp/works/1177354054918498406
「小説家はいつだって最上級の嘘吐きでなくてはならない」の書き出しで始まり、小説家のことをよく知らない作者の自己主張を、現代ドラマに書き上げた作品。
最初の一文を読んで思い浮かんだのは、「ストーリーテーラーは見てきたように嘘を付く」であった。
昔の朝ドラで聞いたセリフだったと記憶している。
物語はすべて作者の創作なのだから、事実を下敷きにしたところで作者の目や考えなどのフィルターを通せば、作り話となる。それを嘘つきというか否かは、個人の判断に委ねられるところであろう。
事実を語るとされるノンフィクションでさえ、はたして詳らかに事実だけを書ききれているのか疑問である。都合の悪いところをカットすることで読み手に錯覚を起こさせ、別な印象を与え、嘘を付くことだってあるだろう。
谷川俊太郎の詩に「うそとほんと」がある。
嘘と本当は双子のように似ていてよく混ざるから、本当の中に嘘を探し、嘘の中に本当を探せと書かれている。
おかしなことに本当を知りたいくせして、私達人間は嘘が好きな生き物なのだ。
作品の善し悪しは、リアリティーがあるかどうかで決まる。
現実社会が忠実に書かれているか、と云う意味のリアリティーではない。作品世界の中で整合性がとれていれば、リアリティーがあるのだ。作者の作り上げた虚構の中でのリアルが、私達が生きている現実世界のリアルと乖離しているから嘘つきだとするなら、すべての作品は妄想で嘘に他ならない。
我が老師も、「嘘と小説」の作者に出てくるおじさんと似たようなことを云ったのを覚えている。
「ひとは面白い嘘を求めているから、つまらない真実より楽しい嘘を書きなさい」
この作品を読んで、ふと思い出させてくれた。
もともと絵を描くのを得意としていた私は、文章も同様に写実的に切り取って書く文体になりやすく、作品も同様に現代ドラマに類するものになる傾向が強い。
老師の言葉はそんな私に苦言を呈してくれた言葉だったのだと、この作品を読んで改めて思い出させてくれた。
主人公は、自作が受賞して「小説家になっても、いいか」とお爺さんに打ち明けるところを読んで、親戚を思い出す。
小説家ではなく漫画家だったけれど、似たようなことがあった。私は後押しし、現在も書き続けている。
この物語の主人公も、そうあってほしいと思った。
読者になにかを思い出させてくれる、そんな作品を私も書きたい。
【再読しての追記】
主人公が十一歳の時、自殺した叔父さんについて掘り下げてみる。
叔父は、父親と大喧嘩までして小説家の道に進んだ。なぜ小説家になろうとしたのか、明らかになっていない。
七回忌の法事には、「叔父さんと父さんは二人兄弟だったため、爺ちゃんと婆ちゃん、それに俺たちの家族三人だけが実家の田舎に集まるちっぽけな弔いだった」とある。
おそらく、随分と田舎の出なのだ。
田舎では、中途半端に賢くて都会の大学に行って就職や結婚しても地元に帰ってこない家より、高卒で地元に就職して早めに結婚して孫までそろって同居する方が「勝ち組」とされている。
もちろん、親や地元にとっての「勝ち組」だ。
高学歴で立身出世をして親兄弟や親戚にも恩恵ができて一族が反映した時代は今や昔。都会にでて高学歴についても一族反映はない。それでも、地元に最低限の仕事があるのなら食いっぱぐれないので悪い考えではないのだ。
でも昨今、孫まで生まれても離婚して家庭崩壊して転落なんてこともある。
とはいえ、親が望む親孝行とは孫の顔がみれる身近に住んでくれることだ。
若い担い手がみんな都会に出てしまい年老いた親だけが残される現状は、悲しいことに日本の田舎では至るところでみられる光景である。
ゆえに、彼の親も家を出ていこうとする子供に反対し、大喧嘩したのだろう
彼はなぜ、田舎を出ようとしたのか。
田舎での就職先は親の仕事を継ぐか銀行か公務員、と選択肢は少ない。農家出身なら普通科に行かず農業校へ、家が建築、建設関係なら工業校へ行けと言われる。
想像するに彼は、食うに困らない、中流以上の裕福な家庭で育ったのだ。
中流以下で貧しい家なら、いい大学へ行って手に職とって食うに困らない生活をしろといわれる。食うに困らない環境を捨ててまで、稼げるかもわからない博打のような作家の世界へ行こうとする子供がいたら、親なら大喧嘩をして止めるだろう。
それでも、彼は田舎にいるのが嫌だったのだろう。「ここではないどこかへ」行こうとしたがるのは、若者の特権だからだ。
叔父は「少しだけ名の売れた小説家だったらしい」とある。
作家になったのが先か、作家になると公言して大喧嘩したのが先だろうか。
きっと後者だろう。
もし前者なら、作家しながら家業を継げばいい。
農家だったら農業しながら、作家業はできる。農業でなくても、他の仕事をしながら作家業をすればいいのだ。
作家にしろ漫画家にしろ、専業で食えているのは一握り。副業が主流にある。
なので、親と大喧嘩する必要はないわけだ。
彼は田舎暮らしが、嫌だったのだろう。
叔父は、甥である主人公に自身の書いている作品を話している。
それがライトノベルなので、叔父は「一度は名の売れたラノベ作家」だった。
ラノベ作家の寿命は三年、という説がある。
明確な根拠はないが、「才能の維持」「兼業で作家を続けられる体力」「ヒット作サイクルが三年で次がコケたら終わり」などの理由から、三年で消えていくようだ。
一般的に、就職したら「三年は石にかじりついてでも続ける」とはよく聞いた言葉なので、作家もそれにならって三年説があるのかもしれない。
ところで、彼が作家していたのはいつの頃だろう。「叔父さんが聞かせてくれていたのはライトノベルと言うジャンルの当時では新しい分野のファンタジーだった」とあるので、彼が作家していたのはライトノベルの初期と推測できる。
一九九〇年頃にライトノベルの呼称は発祥したが、すぐに定着したわけではない。
インターネットが広く普及し、それまで以上に読者同士が交流を行うようになった二〇〇〇年頃に一般的に呼称されたとある。
彼がラノベ作家として活躍したのはこの頃だろう。
「キノの旅」から、「灼眼のシャナ」「涼宮ハルヒの憂鬱」「撲殺天使ドクロちゃん」「とある魔術の禁書目録」「ゼロの使い魔」「狼と香辛料」「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「ソードアート・オンライン」などの作品が店頭に並ぶ中、彼は流れに乗るも次回作でヒットを飛ばすことができなかったのだろう。
六畳一間のぼろい安アパートで毎日パソコンと睨めっこして物語を作っているところ、週一で主人公が遊びに来ていたのだ。
習い事の帰り、主人公が週一で通える近い場所に叔父は住んでいた。
主人公はどこに住んでいるのだろう。
叔父が出た実家に住んでいるなら、作家になるといって家を出て、凋落したからと地元に戻ってきたけど家には戻らなかったということだろうか。
叔父が地元に戻らず都市部に住んでいて、その近くに主人公が住んでいるとしたら、叔父の兄弟も実家を出たことになる。
ところで、どちらも集合住宅という意味をもつ「アパート」と「マンション」を明確に区別する定義はない。
ただ、一般的にマンションは階数に制限がなく、鉄骨や鉄筋コンクリートで建てられているのに対して、アパートは階数が二~三階程度、木造もしくは軽量鉄骨造で建てられている。
おそらく叔父さんは後者に住んでいる。「苔の生えた手すりを辿って鉄板の階段を上っていく」とあるので、二階以上に住んでいたのだろう。
手すりに苔が生えるには木造でなければならない。
一般的なアパートに用いられる階段は鉄骨やアルミがほとんどなので、錆びついても苔は生えない。
それでも苔が生える手すりがあるとするのなら、築五十年ぐらいの木造アパートかもしれない。
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