見上げた空は青かったへの応援コメント
はじめまして。佐藤大翔です。
丁寧な批評本当にありがとうございます。
カクヨム甲子園で受賞した訳ではなのに、このようにして頂けるなんて! 感謝です!!
自分の書きたいことを勢いのままに「かきなぐった」ような荒削りな話でした。とても客観的に意見が述べられていて、ためになりました。
技術が伴っていないんですね? 勉強します!
皆様のお目汚しにならないような作品を書きたいものです……
2021年も日々精進していきます!
作者からの返信
読んで頂きましてありがとうございます。
批評を書いているつもりはなく、あくまで感想です。
技術が伴っていないかどうかは私にはわかりません。
何ができていて何がまだ足らないのか、できているところはより良くできるようにし、足らないところはこれから補っていけばいいのだと思います。
推敲と添削を心がけてください。
書きながら読み返して手を加え、出来上がったら、少なくとも一度は読み上げて目を通してみてください。そのとき、気になるようなら手を加えたり直したりしてください。
生みの親というのは、自分の子供が良くないからといって簡単に見捨てはしないものです。作者もまた同じです。
我が子でもある作品とともに、生みの親である作者さんも成長していきましょう。
★読売新聞社賞★ プロトコールが鳴り響くへの応援コメント
拙作を読んで、また丁寧な感想を書いていただき誠にありがとうございますm(__)m
そこで、「プロトコール」の件に関してなのですが、確かに定義上は鳴るものではありません。ですが、高校生バレー選手にとって「プロトコール」はキャプテンがコイントスに呼ばれる笛であったり、試合開始の笛であったりという認識で鳴るものなんです。ですから試合が始まるときの緊張感やワクワク感を表現するにはこのタイトルが相応しいのではないかと思い付けた次第です。
どこかでその点について解説をしようかとも思ったのですが、余計に分かりにくくなるのかなと思い、作中で一言、『試合開始を告げるホイッスル、「プロトコール」』という表記のみにさせていただきました。
確かに調べてくださる方がいればそう思われても仕方がないなというのを痛感いたしました。分かりにくい表現であったこと、深くお詫び申し上げます。
作者からの返信
読んで頂きまして恐縮です。
タイトルはこのままでいいと思います。
むしろこのタイトルのほうがいいかな、と思います。
気になったのは、おっしゃっているとおり作中にあった一言の表記が、あるべきかないべきか、どうなんだろうと読んでいて考えたところでした。
お詫びする必要はございません。
素敵な作品でしたので、今後も邁進されることを切に願っています。
追記
うまく伝えられてない気がしたので補足します。
タイトルを付ける際、二通りあります。
一つは、作品内から言葉を選ぶ方法。
もう一つは、作品外から言葉を選ぶ方法です。
朝田さやかさんがお書きになられているとおり、プロトコールはそういうことでわかっていらっしゃる。だからこそ、タイトルはこれで良いのです。
途中で解説しなくても、プロトコールという言葉が作中で使われなくとも、一連の流れを描写するだけで読後タイトルを見たときに「あー、確かに鳴り響いた」と味わえたら素敵だと思ったのです。
ご自身の作られた作品を信じて、邁進されていくことを切に願っています。
☆大賞☆ たんぽぽ娘への応援コメント
ご感想ありがとうございます。
ご指摘の3点について、私の考えを述べさせて頂きます。
まず、ルビについてですが、ご指摘には従えません。
確かに序盤の舞台である裏山にその花木はありますし、それは中盤で出てくる花木と同種ですが、その種類が明らかにされるのは、物語の終盤であるべきだからです。
これは所謂、叙述トリックの技法を使った表現方法ですので、ルビを外して、読者が花木を易々と思い描いてしまっては、終盤に用意したギミックのひとつが損なわれてしまいます。
また、くだんのシーンでキミエが見ているのは、花木というわけではありません。
この2点から、ご指摘には承服出来かねます。すみません。
次に回想シーンへの転換についてですが、私としては、前段の末尾の「あの頃の想いが一気に蘇る。」を、回想への導入とし、更に、場面が変わり、主人公が小学時代のキミエに変わったことを示すために、文体を児童小説風に変えるという手法を取りました。
ご感想を読んで、それだけでは不十分な読者もいるということは分かりましたが、このモノローグに「これから、子ども時代の思い出話をしようと思う」などの一文を挿入すると、その説明文はノイズとなって、作品世界の情緒を損なうことになりかねません。
ですので、こちらについても、ご意見には承服しかねます。申し訳ありません。
最後に、たんぽぽの綿毛が腐っていなかったことについてですが、これは作品中の「不思議なことにそれは(後略)」の言葉が示すとおり、作者にも「本来はあり得ないこと」という意識があることはご理解頂ければと思います。
物語はフィクションですから、時にはファンタジー、もしくはオカルト的な展開を見せることはままあります。例えばキミエの耳にショパンのエチュードが聴こえてきたというのも、本来ならあり得ません。
ですがこのような創作上の嘘は、物語の存在意義のひとつであると私は考えます。私たちの実際の人生に何ひとつ面白いことが起きないのは、それが純然たるリアルであるからで、私たちがフィクションを好むのも、この世にあり得ざる何かを求めているからだと信じているからです。
以上、ご指摘に反論する形になってしまい申し訳ありませんが、ご理解いただければ幸いです。
作者からの返信
読んでいただきましてありがとうございます。
わざわざお答えいただきまして恐縮です。
おっしゃるとおりでよろしいと思います。
いま読むと、「こんな感想を書かなくてもいいのでは」と思うところもあります。
あえて弁明すると、当時のわたしは活字が読めませんでした。
活字を読むための荒療治として、必死になって読んで感想を書きました。
そのため小説よりも、文章として、読んでいたと思います。
だから、ルビがあったほうがいいなとか、もう少し説明してくれると助かるなぁ、という感想を抱いたのだと思います。
活字が読めるようになった現在では、かなり印象が違います。
わざわざお答えしていただいたとおりだと読めます。
最後の綿毛云々についても、そうですね。
前半の理性的な展開から後半は感情的になって作品を楽しむように読んだほうがいいのです。
なので、変える必要はないと思います。
反論ではないですよ。
教えていただきまして、ありがとうございました。