第◯話 変態、駆けつける
【セラ】
「……はぁ。セラ。貴女にはがっかり。失望を禁じ得ないわ。本当に妹なのかしら?」
まるで地面にぶち撒けられた吐瀉物でも見るかのような眼差し。
不快。
その感情を色濃く表情に落としたリアが私を蹴り飛ばす。
「——がはっ!」
五十kgもの肉と骨の塊が容易く弾け飛ぶ。
吹き飛ばされながら墓石を破壊していく衝撃が背後を支配していた。
やがて壁に衝突。凄まじい運動量だったことを証明するように私の身体はめり込んでいく。
「げほっ、げほっ、げほっ……!」
……痛っ!
壁から落下するように膝をつく。
喀血。
口の中に血の味で広がる。
咳をした手の平に視線を落とせば大量の血が付着していた。
再生が尽き始めている……!
立ち上がらないと——。
そう思った次の瞬間。
一瞬で距離を詰めてきたリアが私の髪を掴んで顔を上げてくる。
「この数年間貴女は一体何をしてきたの?」
——この数年間。
目の前の女にとって肉親を殺めた日のことなんてどうでもいいのかしら。
ふざけるな。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
「——よ!」
「はい?」
「四年と十三日だって言っているの‼︎」
「……ああ。あれから——スペンサー家を一掃してからのことを言っているのね。墓石に頭をぶつけ過ぎて頭がおかしくなったのかと思ったわ」
「黙れ!」
「不老不死に近い吸血鬼が些細な過去を覚えていられないわよ。貴女も拍子抜けするほど弱いまま……もしかしてよほど暇だったのかしら?」
殺す——!
手が出るより早く顔面を地面に叩きつけられる私。
憎しみと怒りと屈辱。
負の感情が爆発しそうになる。
どうして?
どうして私はこんなにも弱いのよ‼︎
目の前の女が言っていたように私はこれまでなにをやっていたのかしら……⁉︎
「——はぁ。本当に興醒めだわ。これじゃ何のために生かしておいたのか分からないじゃない。【咆哮】は無理ね。計画を修正しようかしら」
顔面を墓場に押し付けられたまま引きずられる。
再生と破壊が同時に発生していく。
手も足も出ない。
どうして。
どうして……!
どうして敵わないの⁉︎
強くなった、と。
強くなっている、と思っていた。
でもそれは勘違い。自惚れもいいところだった。
憎む相手を前にかすり傷一つつけることができない現実。
肉親の無念を——全く晴らせることができなかった!
リアを、姉を殺したいという気持ちだけは誰にも負けない。この実力差はなに⁉︎
「魔術学院の学生なんてやっているから強くなれないのよ。貴女にとって肉親の殺害なんてこんなものだったのかしら。冷徹な吸血鬼ね?」
「違う!」
「それじゃどうしてこんなに弱いの?」
また壁まで蹴り飛ばされる。
意識が朦朧とし、視界がぼやける。
血が……血が圧倒的に不足していた。
再生力が底を突きかける。
負の感情を抑え切ることができなくなりそうだった。
吸血鬼が忌避する方向に己が向かっていることを自覚する。
こんなところで自我を失っている場合じゃない! そう本能が訴えているのに……。
——屍食鬼。吸血鬼の成れの果て。
ただひたすら血を追い求めて衝動に駆られ続ける獣。
私はそれに成り下がろうとしていた。
まさしくそれは完全敗北。
「両親と同じように耐性を奪って太陽下で磔にしてあげる。ふふっ、良かったわねセラ。良い土産話ができたじゃない。これから味わうのは地獄の苦しみよ?
笑って。
笑みを浮かべて。
殺したくなるほどの笑顔でリア・スペンサーはそう言った。
太陽に耐性がない吸血鬼にとって陽光は想像を絶する激痛。死痛と言ってもいいわ。
それは両親を、家族を、一族を抹殺した手段だった。
太陽拷問。再生力が尽きるまで日の目で焼き殺され尽くされる。
家族の痛みが、苦しみが、絶叫が脳内でこだまする。
ブチンッと私の中で意識が消えた。
☆
「グアアアアアアアアアアアアアアア!」
憎しみに溺れて理性を失うセラ。
「あら。もう屍食鬼に堕ちちゃった。話にならないわ。後処理してさっさと退散ね」
セラの外見が変貌していく。
両目が充血し、爪と歯が伸び、だらしなくよだれがこぼれ落ちている。
艶のあった髪は薄汚いものになり、「ウガアアアアァァァァ」と雄叫びを上げながら血肉を追い求める姿はまさしく
リア・スペンサーがセラの首を刎ねて終焉になるそのときだった。
〈【色欲】『調教』のため魔法の発動条件を確認〉
「隔離魔法【
☆
【セツナ】
あぶねえ……! 九死に一生を得るタイミングじゃねえか⁉︎
【色欲】の魔法を発動し、想像世界にセラを隔離。閉じ込める。
現場に着地。
可愛い教え子を殺そうとした人物を正面に捉えて俺はため息がこぼれた。
……はぁ。やれやれ。よりにもよってこいつかよ。
こりゃ——生きて帰れないかもしれねえな。
「——よう、リア。久しいな」
「ええ。セツナ。久しぶり」
対峙。
俺たちの視線が交錯する。
さーて、やべえぞ。手札を間違えれば即死亡の鬼畜ゲーの始まりだ。
「どうやら俺の教え子が世話になったみたいだな」
と同時。
遅れてロゼ、ルナ、椿が到着。俺の背後にやってくる。
「教え子……?」
首を傾げるリア。美人がやると映える仕草だな、おい。
とはいえ、現在の俺に見惚れるだけの余裕はないわけで。
【強欲】の禁書に選ばれた最強——最凶の魔法使い。まだまだ未熟なセラとぶつけるには早すぎる相手だ。
「王立魔術学院の講師をやっていてな。お前が殺そうとしたセラを受け持ってんだよ」
「そう。なら職務を全うして欲しいものね。いくら出来の悪い妹といえど、弱すぎるわ」
「それを言われると耳が痛い」
安心しろ。いずれセラがお前を殺せるように絶賛修行中だよ。
時間はかかりそうだがな。
「——それで? 出涸らしの貴方が姿を現した真意は何かしら? できればすぐにこの黒い球体からセラを取り出して欲しいのだけれど」
「それは無理な相談だ」
出涸らし。魔術を発動できない俺なんて眼中にないってか?
「セラは腐ってもスペンサー家の生き残り。死体の使い道はいくらでもあるわ。悪魔の生贄、人体実験、錬金術。回収はさせてもらうつもりよ」
「断固拒否。こっちは野望と引き換えに子宮が懸かってんだ。悪魔の生贄にする前に俺の肉奴隷なのよ」
「……ふふっ。まだ枯れてなかったの?」
「俺は生涯現役のつもりだ」
「貴方の下半身事情なんてどうでもいいけれど、セラはダメよ。あれは使いものにならないわ。どうせ野望だって復讐を果たす、でしょう? そんなくだらない理由でチカラを求めているようじゃ到底無理よ。私のようにもっと強欲にならないと」
ピクンと俺の肩が跳ねる。
〈【強欲】『知的好奇心』のため魔法の発動条件を確認〉
魔法の発動を感知する。
セラを閉じ込めた隔離世界——そのガワ——黒い球体に触れるリア。
嫌な予感がする。
で、こういう悪いものはたいてい的中するようになっている。
「へえ、流石。腐っても鯛ねセツナ。【
こいつ……!
【白】のガワに触れただけで創造世界を一瞬で読み取りやがった⁉︎
まずい、まずい、まずい——!
隔離魔法【白】には別称がある。
『セックスしないと出られない部屋』だ。【
セラは再生力が尽き、感情に飲まれてしまった結果、屍食鬼に堕ちている。
吸血鬼のなり損ない。もしくは成れの果て。
堕ちてから短時間ならまだ戻ってこれる。
だが、そのためには誰にも邪魔されることなく全神経を研ぎ澄ませて作業に入る必要がある。
だからこそ俺が持つ【色欲】の魔法でも最大級の切り札【白】を発動した。
『セックスしないと出られない』部屋は目的を果たすまで存在し続ける構築世界だからだ。理性を失い、一刻を争うセラの緊急処置を安全に行う空間としてこれ以上の適所はない。
だが。
目の前の女——自他ともに認めるは隔離魔法【白】の全貌を解き明かしたいという『知的好奇心』を満たすために——強欲により解析し、あろうことか解除の道筋まで立てやがった⁉︎
こっちは【白】の発動で魔力に余裕もなくなっている。
講師として不甲斐ないが、不出来の教え子を利用するしかない。
「ロゼ、椿、ルナ!! リアをあの球体に触れさせるな! 全力を以て阻止しろ!」
俺の指示に三人は『!』と反応を見せたあと、三人一組の陣形を組む。
この臨機応変の速さ。おそらく俺を殺すためロゼが予め仕込んでいたものだろう。
決闘時は特待生全員で挑むとはいえ、鬼畜度により一人以上離脱する可能性は大いにある。
四人体制しか考えていないようじゃそこから崩れるのは一瞬だ。それを天才ギャル魔女が理解していないわけがない。
こういうとき、有能な魔術師ってのは本当に頼りになる。
「あら? あらあら。圧倒的な実力差を感じ取れない愚か者ではないだろうし……あんな出来損ないにも命を賭けてくれるお友達がいるのね。小粒ではあるけれど優秀な教え子さんばかりじゃない」
特待生を小粒扱い。
まあ、目の前の女からすればその程度の評価だろうよ。だがこいつらはいずれ芽が出る。しなやかで丈夫。決して折れることのない大樹にな。
三人の連携を楽しそうに躱すリア。まるで赤児を扱うかのような余裕の笑み。
俺と特待生が繰り広げるようなものじゃない。遊ばれているのが誰の目から見ても明らか。リアの気が変われば一瞬で全滅だ。
かといって。
ここで【仮装自在】を発動して応戦するためには覚悟をしなければいかない。
生を?
いやいや、んなもん最初からあってねえようなもんだ。
決断しなければいけないのは他でもない。セラの命だ。
残念ながら不全の俺は大した戦力にならない。【白】を発動した以上、切れる手札には限りがある。
【仮装自在】で応戦すれば戦況はマシになるだろうが、それもリア相手にはどこまで有効になるか。
そもそもまともにやりあえばまず勝てない。だが、かろうじて魔力が残っている現在。セラのいる【白】に駆けつければ、一命を取り留めることはできる。
むろん、その後の保障は一切できない。
復活しても待っているのは全滅だろう。
逡巡。悩んでいる暇はない。俺はいま特待生三人の命を危機に晒している。
奴隷紋を以て命令しなかったのはあいつらの自主性——セラに命を賭けるのかどうかも含めて自由にさせたかったからだ。
落ち着け。焦るな。緊急事態でこそ冷静さが求められる。手段を間違えるな。見誤るな。深呼吸だ。
最高を求めるな。最善を探せ。
俺がここで朽ちるのは構わない。そんなものははなから計算に入れてねえ。
だが、せめてセラたちを——。
特待生たちには即断を求めるくせに、当の講師は悩みっぱなしかよ。ははは。笑えねえな。
自虐の笑みが滲み出て来た次の瞬間だった。
俺は本格的にヤバいい雰囲気を肌で感じ取った。
「三人の一長一短を理解した悪くない
リアは闇魔術の影を巧みに操作し三人の特待生から距離を取る。
「禁等闇魔術——【英雄召喚】」
印を結び発動した魔術が死を感じさせるものだったからだろう。ロゼ、椿、ルナ三人の脚と思考が停止する。
リアから禍々しい瘴気のようなものが漂う。足元からドス黒い柩が生えてくる。
やばい、やばい、やばい——!!!
絶対にアレはやべえやつだ! 見りゃわかる! 即座に対応が求められる魔術だろ!
本能が警笛を鳴らす。俺はすかさず命令を下す。
「セツナが奴隷紋を以て命ずる。最上級の魔術・剣術にて棺を破壊しろ!!!!!!」
奴隷紋の強制力を利用し、停止状態になっている特待生を無理やり動かせる。
「【天叢雲剣】」「【雷神】」「【轟】」
轟音。凄まじい爆風と爆炎が立ち込める。
遠隔からの一斉射撃によりリアの立っていた場所がホワイトアウトする。
こういうとき「やったか……⁉︎」という台詞が御法度だってことは知っちゃいるが、内心で思わずにはいられない。
嫌な汗が全身から溢れ出してくる。
「もう。棺が一つになっちゃったじゃない」
爆炎と爆風。立ち込めていた煙から人影と細長い箱のようなシルエットが浮かび上がってくる。
まあ、そうだわな。特待生の猛攻程度でくたばる弾じゃない。
やがて、鮮明に姿を捉えられるようになると、そこに現れたのは狂気的な笑みを浮かべたリアと、ギイと音を立てながら開く棺。
そこから現れたのは八代目を襲名したアーサー王の一人。
「おいおいおい! 死者蘇生……それも過去の英雄だぁ⁉︎ お前、もうそんな領域にまで足を踏み入れてんのかよ!!!!」
つうと額に大粒の汗が流れる。
はっきり言ってマジでやべえ——!
死ぬ。判断を誤った瞬間、全滅だ。誰一人助からない。
これはもう鬼畜ゲーなんてもんじゃない。無理ゲーだ。攻略法がない。
「老体を無理やり何度も起こすもんじゃないわ。たわけ……おっ、これはこれは。久しぶりじゃなセツナ。かかっ。なかなか難儀じゃの」
長い白髭を摩りながら笑みを見せる老人——この老いぼれこそ歴代アーサ王の中で最も異質な一人として名を残した【剣士殺しの剣士】八代目。
突然のアーサー王登場により場違いな反応を示したのは椿だ。
「八代目……まさか本物なのか⁉︎」
椿は俺の蘇生をすぐ近くで目撃したことがある。だからこそリアの死者蘇生という禁忌に悪い意味で危機感がなかった。
今回はそれが裏目に出ることになる。
「ほう。お嬢ちゃん。儂を知っておるのか。アーサー王さまさまじゃな。どれ、一つ訛った身体の体操に付き合ってくれんかの」
と棺から魔宝具である【空断】——白鞘を取り出してくる。
クソ爺!!!!! てめえ!
「お目にかかれて光栄です八代目。死者蘇生という禁忌とはいえ、剣士たるもの感動を覚えないわけがない。是非、胸を借りたい」
「かっか。血の気が多いのう。さては鬼か。よいよい。どれ、お手並み拝見じゃ」
「参ります——!」
思考の途中で嬉々として椿が八代目アーサー王に斬りかかろうと迫る。
馬鹿野郎!!!!!!!!!!!!
軽率、そして何より不勉強すぎる!!!!
俺は一旦、思考を放棄し、マーキング済みの女に瞬間移動できる【瞬揉】を発動。
八代目アーサー王が白鞘から刀身を見せた次の瞬間、庇うようにして前に出る。
余裕のない俺は椿を蹴り飛ばし、左腕を差し出す覚悟する。
刹那。
鮮血。
——俺の左腕が斬り飛ばされる。
「なにをするセツ——ナ?」
空中に舞う左腕が視界に入ったんだろう。
椿の言葉が止まる。
クソったれめ……! バリバリ【空断】が機能してやがるじゃねえか……!
死者蘇生に加えて過去の英雄を支配するとか、どれだけ才覚に恵まれればそんなことができるようになるんだよ!
「かかっ。助かったのお嬢ちゃん。この男が庇ってくれんかったら、今ごろそこに転がっていたのは鬼の首じゃぞ?」
八代目アーサー王が指差したところに落下したのは俺の左腕。
冗談でもなんでもなく、あと一瞬遅れていたら間違いなく椿の首が刎ねられていた。
あーもう、クッソ! 人手が全然足んねえぞ! どうすんだよこれ⁉︎
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