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 雪水ゆきみとの、呼吸のあわない会話に、のぼるは、だんだんといらだちを感じはじめていた。そして、この雪水という少女が、不気味でしかたなかった。


 身を切るような強い風が吹いて、ふたりの足もとの雪が舞い、一瞬、お互いの姿がうっすらと消えた。


「初詣? 幹人みきとと行くんだろう?」

「嫌です。幹人くんとは行きたくありません」


「なにがなんだか僕には分からない。幹人と付き合っているんだろう。幹人がなにかしでかしたのか。だとしたら兄として平謝りするけど……もしかして、自分の家に帰るの?」

「違います。初詣に行くんです。二度も言わせないでください」


 旗は、カチンときていた。「勝手にしろ!」と怒鳴って、家に帰りたい衝動に駆られた。一体、幹人は、普段、雪水にどのように接しているのだろう。旗にはてんで分からなかった。


「お兄さん、私と初詣に行きませんか?」


 雪水は、なぜか、伏し目になった。


「嫌だね。こんな時間に、ここから一キロくらい先の神社に行くなんて、そんなに僕は元気じゃない」

「だったら、私ひとりで行きます」

「ああ、勝手にしろ。僕は帰って寝る」


 のぼるは、雪水ゆきみを見はなす言葉を放ったが――雪水に背中を向けるタイミングを、どうしても、つかみとることができなかった。


 ふたりの間にある、雪水が残した足跡が、しぶしぶと降る雪のせいで、消えかかっている。


 このまま、雪水の存在まで消えてしまい、雪どけとともに、誰からも忘れられてしまうのではないだろうか――そんな、悪夢じみた妄想が、旗の脳裏に浮かんだ。


「気が変わった。僕も馬鹿らしくなったよ。自分が正しいと思って、雪水ちゃんを説得していたはずが、その言葉がどんどん自分の感性と乖離かいりしていって、正しくないような気がしてきた。いっそのこと、とことん自分の感性を裏切りたいなんて、思ってきた」


 雪水はまだ、顔を上げる気配はない。


「お兄さんって、よくわからない人ですね。雪女にでもとりつかれたんですか。態度がいきなり変わって……」

「雪女が、頭のネジがスピンして飛んでしまった霊なのなら、そうだろうね。まあ、僕も、僕の霊的な分身に憑依ひょういされて、二重人格的になっているんだと思う」


「あの……さっきから、お兄さんの言っていることが、よく分からないんですけど」

「僕も雪水ちゃんのことが、まったくわからない」


 しばらくふたりは、無言のまま、お互いの静けさを踏みあっていた。


「じゃあ、行きますか?」――雪水は、ないはずの旗の影に話しかけた。


 のぼるは、雪水ゆきみと距離を詰めていき、そのまますれ違った。その拍子に、雪水の顔が上がった。


吹雪ふぶく前に行くよ」

「はい……でも、女の子に歩調をあわせるのがエチケットですよ。お兄さんって、彼女がいたことがないでしょう。なんか、そんな気がする」

「はいはい」


 雪水は、旗の背中を見ながら、再び歩き始めた。風がぶつかりあう音が、ふたりの気配をはかないものにしている。


「幹人も、大変な女の子を彼女にしたもんだな」


 そんな旗の独白は、たゆたう白い息を震わせただけで、たいした音色になりはしなかった。

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