onze

 ふたりは喫茶店に入り、小さな丸いテーブルに、向かい合って座った。


「ミルクは入れないの?」


「わたしは甘いものが苦手なんです」


 少女は、意味もなく、ストローで氷をかきまわした。


「そういえば……」


 そう切り出した少女は、悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「フツダさんが、この前、女の子に囲まれているところを、チラッと見ましたよ」


 佛田ふつだは、いろいろ記憶をめぐったあと、その時のことを思いだした。


 あれは、教授のアシスタントで授業に随伴ずいはんして、学生たちの簡単な質問に答えていただけだったのだが、なぜか、どんどんひとが集まってきたのだ。


 教授からは、きみの熱中っぷりは、冬には丁度いいけれど、夏には向かないなと、からかわれるくらいのものだった。


 佛田はそのことを、少女に話した。


「わたしは、ひどく嫉妬しっとぶかいんですよ」


 少女は、すねたような演技をした。


「ぼくは、学問のことなら、だれにでも教えられるけれど、愛を伝えられるのは、きみだけだよ」


「もうちょっと、小さな声で言ってください……恥ずかしいですから」


 少女は、耳をあからめて、ストローで氷をガラガラと回した。


「……フツダさんは、大学の先生になるんですか?」


 これ以上、この話をしたくない――いや、あとに回しておきたい少女は、話題を変えた。


「ううん。まだ決めていないよ……自分に向いているのか、わからないから」


「わたしは、向いていると思いますよ」


「そう……かな?」


 佛田は、少女の即答に意表をつかれて、すぐにき返してしまった。


「わたしたち、ほんとうにおかしな出会い方をしましたよね。でも、わたしはだんだん、フツダさんにかれていきました。だって、気取った台詞せりふしか言わないのに、わたしが思っていても言葉にできないことを、すぐに、とらえてしまうんですから」


 あの公園で少女と出会ったとき、佛田が感じたのは、むかしの自分と同じ悩みを彼女が抱えているということで、それは、とらえたといえるものなのだろうか。


「フツダさんみたいな、だれかの気持ちを分かろうとするひとが、必要だと思うんです。特に、わたしみたいな、言語化できない感情をどうしていいのか分からないひとにとっては」


 少女は、はっきりと、そう言った。


「……少し考えてみるよ」


 佛田は、短く、そう答えるしかなかった。


 自分だって、少女の言葉のひとつひとつに惹かれていったし、彼女のことが好きだからこそ、彼女の行き場のない苦悩を、どうにかしたかったのだ。




 本屋街は、西陽の光できらめいていた。ふたりは、影を後ろに長くのばして、ゆっくりと大通りを歩いていった。


 おたがいが表情を見合うときに、ふたりの間に、夕陽が、祝福のたまのような姿をかすめさせた。


 そして、ふたりの影と影の間を結ぶ、短い影もあった。

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