huit

 佛田ふつだは、窓を半開きにしたまま、机に伏して眠っていた。


 もう夕陽は落ちて、次の大地を輝かせに行ってしまった。そして、そのあとを追うように、この街に、夜が訪れた。



 ノックの音で、佛田は、目を覚ました。せわしなく、二度、三度ドアが叩かれた。そして、スッと気配が消えるような沈黙の音がした。


 あわてて佛田がドアを開くと、少し先に管理人の老父がいた。丸い眼鏡を鼻にかけた、冬には、暖炉だんろの前でうとうとすることが好きそうな、優しい顔をしたひとである。



 彼は、二通の手紙が来ていることを、佛田に告げた。



 そして悲しそうに、この宿には、もう佛田しかいないのだと言った。こんな大学から遠い、古びた、ねずみが天井裏を走り抜ける宿は人気がないのだろう。


 佛田は半開きの窓を閉めた。机の引き出しからハサミを取り出して、まずは《少女》からの手紙を開封した。あれから何日、経ったのか。それでも、メモ用紙に書かれた住所には手紙が届いた。裏側に、小さく書いた住所。少女は、気づいてくれたのだ。



 綺麗な美しい字で、あまりにも達筆なものだから、佛田はすんなり読むことができなかったが、それは、デートの誘い文句だった。しかし、まわりくどいものだった。



《日が傾くと、世界は一変してしまうのね。わたしたちが世界を見る、その視線が、まるっきり変わってしまう。でも、あなたの姿が暗がりに溶けそうでも、ふれたときの感触は変わらないのね。――――Halfner, Eggestein, "univers", 1969, p. 65.》



 そして、少女は、日時と場所だけを記していた。



《返信は不要です。わかっているでしょうけれど》



 手紙で返信なんてしたら、あの父親に見られる可能性があるのだから、指定された日時にその場所に行くしかない。




 カレンダーを見ると、日本ではお盆らしい。しかし、佛田は先祖ではないのだから、家に帰る必要なんてない。そもそも、佛田にとって、そこに帰るためには、相当な覚悟が必要だ。


 そして、もう一通の手紙は、佛田の実家に、彼の空いた穴を埋めるかのように招かれた、義姉からのものであった。


 定期的に来るのだ。佛田を心配してくれているのだろう。



 そこには、義姉の後輩の話が連ねられていた。


 その後輩――彼女は、仕事をやめて家庭に入れと親に言われているらしい。そして、そこでふたつの問題が生じた。


 ひとつは、彼女がいまの仕事を捨てたくないと強く思っていること。


 もうひとつは、家庭に入るとしたら、父の親戚の知り合いの男と結婚させられるかもしれず、なにより、そこには権力関係が絡んでいて、断りづらく、望まない結婚になりそうだとのこと。


 義姉は、佛田になにかしらの解答を求めていた。


 佛田は、そこに、義姉の巧い意図が含まれていることを、察することができなかった。いまは、眼の前の恋しか見えていないのだから。

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