trois

 佛田ふつだは片側が開けた、長い廊下を歩いていた。


 横手に広がる、どこまでも続くかのような一面の黄緑色おうりょくしょくの芝生には、赤茶色あかちゃいろの枝から濃緑色のうりょくしょくの葉を実らせた樹が、いくつも点在している。白い長椅子が、何脚なんきゃくもささっている。


 陽の光が斜めに切り取られて、廊下には夏の日陰ができていた。


 水色の空には、綿雲わたぐもがぽつりぽつりと浮かんでいる。あの雲がなければ、もっと暑い日になっていたことだろう。


 長椅子のひとつに、黒色のセーターを着た少女が座っている。夏にする格好かっこうではない。


 佛田は、苦笑をした。


「その本は陽に当てると消えてしまわないだろうか」


 少女は視線を上げた。そして、ごく自然に隣に座る佛田を一瞥いちべつした。


「あなたは、なんで、そんな気取ったことしか言えないのかしら?」

「その本に書いてあるからだよ。月は陽に当てるとどうなるのだろう、消えてしまうのではなかろうかって。だれの台詞せりふかなんて、覚えていないけれどね」


「まだ、そこまで読んでいませんよ」

「でも、いずれは読まなければならないよね」


「いいです……もう読まないですから。つまらない本でした。みんな、あなたのような言葉づかいをしていて」


 少女は立ち上がった。


 夏の陽は、少女の背中を照らして、その陰を、少女の目の前に伸ばしていく。


「もうあなたには会わないと思っていたけど、なにかの宿命かのように、わたしの前に現れますね」

「それは僕だって同じさ。僕はなにかしらの恩恵を――」


「わたしは神様と結婚したのですから」

「……そう」


 佛田は、この少女にありきたりな「世紀末の憂鬱」を感じることはなかった。ただ、奇跡の起きた場所を、その二日後に見ているような憂鬱が、少女に付きまとっているような気がしていた。


「神様は、私に進むべき道を教えてくれます。その道を歩いていれば、いずれ救済の手が、私に差し伸べられるに決まっていますから」


 佛田は空を見上げた。そこには、綿雲わたぐもが浮かんでいるだけだ。


「あなたは、自由に生きることに意味を見出していそうね。そんな気がする」


 侮蔑ぶべつの一歩手前のような口調で、彼女は言った。


「僕だって、僕なりの規範があるよ。なんらかの不自由がないと、ひとは生きてられない。どこへ進むべきかがわからなくなる。どこでも進んでいいと言われたら、いくじがなくなってしまうよ。だから――」


「だから、神様が指し示す道でしょう?」

「違うさ。進む道なんてあとから決めればいい。まずは、目的地が必要なのさ。目的地からここまで、道を引けばいいのさ」


「救済こそが、その目的地です」

「救済は標識だと思うよ。その先に、きみが大事にすべきなにかが、間違いなくあるよ」


 少女は、なんだかおかしくなった。


 同じモチーフを見ているはずなのに、同じ位置にイーゼルを置いていないから、こんな会話になってしまうのだ。

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