第10話 親

 十月、すっかり涼しくなった。秋服を選ぶのが愉しみな季節だ。しかしその愉しみはいつ来るのだろう。片瀬葉月は気温の変化を感じない喫茶店の店内で思った。


    〇


 午前十時、開店とほぼ同時に一人のお客様がいらした。

 推定四十代の男性、私を見て「こんにちは」と声をかけた。小綺麗なファッションで家では良いお父さんをしていそうなイメージのお客様。

 そのお客様はコーヒーを注文した。二口ほど飲んだら店内を見渡し、カウンターの紙に気づいた様子。


「占いをやっているんですか」

「はい」

「私、新しいことに挑戦しようと思いましてね。どうでしょう、占ってもらえませんか」

 人当たりの良い笑顔だった。私はそのお客様の対面の隣の席に座った。対面だと近すぎてお客様が言いたいことを言えないんじゃないかと思った。


「それで新しい挑戦とは?」

「料理です。料理に関わって上手くいくでしょうか」

 生年月日を聞いてタブレットに入力、ホロスコープを出してみた。珍しい並びをしていた。ホロスコープ初心者の私には読み解けなかった。こんなこともあるだろう。

 情報がなくて解らないのでタロットカードにしようと思った。ランダムに一枚引いてカードに運勢を聞くことにした。シャッフルをして深く考えずにカードを選ぶ。

 あら? ……真っ白で何も書いていないカードだった。予備カードが混ざっていたのか、これは申し訳ない。

「すいません、予備カードが混ざっていました。新しいカードでやり直します」

 私は正直に告げた。お客様は「そうですか」と言ってにこやかなままだった。


「藤沢くん、違うカードセットあるかな?」

 私は座ったまま振り返り、厨房に向かって言った。返事はなかった。

 もう一度呼んだけれども藤沢くんは来なかった。部屋にいるのかな。諦めて態勢を戻すとずっとにこやかだったお客様の表情が硬くなっていた。待たされていて不機嫌、といった表情ではない。何かに遭遇した時のような、不穏な感じがした。


「お待たせしてごめんなさい。今新しいカードを持ってきますから」

「いえ、いいんですよ。ちなみにその白いカードの意味は何でしょうか」

 一期一会。予備カードが引かれたのも何かの運命。そう捉える方もいらっしゃる。このお客様はそのタイプなのかな。

「何でも出来るってことですよ。余白を自分が埋めて行けばいいんです。人の心が道を決めるのですから」

 私は思った通りに喋った。これでホロスコープが読めなかったのも新しいことを始めるのも納得がいく。お客様は「そうか……」と言って少し考えている様子だった。

「ありがとう、あとの事は自分で考えてみます」

 お客様はにこやかな顔に戻っていた。私は予備カードが混ざっていたお詫びにクッキーをサービスした。


「藤沢くん、さっき呼んだのに何かやってたの?」

 先ほどのお客様が帰ったので藤沢くんを問い詰めた。私なりに慣れない占いを日々勉強してお客様と向き合っている。藤沢くんは助手じゃないか。肝心な時にいないなんて、裏切られたような寂しいような気持ちになって私は少しすねていた。


「さっきの客、僕の父さんなんだ……」

 藤沢くんが下を向いたまま言いにくそうに言った。

 藤沢くんのお父さん? そういえば藤沢くんを呼んだ時に妙に表情が強張こわばっていた。自分と同じ苗字に反応していたのかと思いつつ、それだけではなかったのか。

 カランカラン、扉が開く音がした。先ほどのお客様、藤沢くんのお父さんだ。

「頂いたクッキーが美味しくて……テイクアウトは出来ますか?」

 藤沢くんのお父さんは先ほどと変わらない笑顔で店に入ってきた。私は混乱して藤沢くんを見てしまった。


「拓也!」

 藤沢父が藤沢くんを見つけて叫んだ。私は驚き、動作が止まってしまった。


「拓也、どうして家に帰らないんだ!」

「自分の思い通りにならないからって怒鳴らないでくれよ、それは八つ当たりって言うんだよ。父さんはいつもそうだ、自分が正しいって思い込んでいる。気に入らないと怒鳴る、馬鹿の一つ覚えだ。自分が失敗してもへらへら笑って機嫌が良いとにこにこして子どもよりタチが悪いよ。そのくせ自分では何もやらない。だから母さんは出て行ったんだ」

 藤沢くんが一気にまくしたてた。こんなに喋る子だったのか。こんなに感情を表に出す子だったのか。溜まっていたものが一気に出たのか。


「何だと!」

 藤沢父が拳を振り上げて藤沢くんに向かった。嘘、暴力? それは駄目でしょ。私は反射的に飛び出した。

「やめて!」

 私が藤沢親子の間に割って入ろうとしたら藤沢父の動きが止まった。しかし様子がおかしい。自分で止まったというより見えない力で止められているといった感じだった。何が起こっているのかよく解らないけれどそれは今に始まったことじゃない。

 暴力をふるった(幸い未遂だったが)藤沢父への嫌悪感は消えず、私は厳しい顔のまま言った。

「藤沢くんはここにいます。落ち着いた時に話しましょう。今日はお帰り頂けますか」

 拳を振り上げた気まずさからか、藤沢父は無言で出て行った。

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