病み升
富升針清
第1話
やあ、よく来てくれた。
しかし、指定した時間にぴったり五分だけ遅れて来るなんて几帳面な君らしいな。
何? 几帳面な人間は遅刻なんてしないだろって? いやいや、毎回必ず五分きっかり遅刻する方が几帳面だろ。君の認識がおかしいよ。
さあ、こんな所で立ち話もなんだから入ってくれ。
今日は腕に寄りを掛けて、僕が料理を作らせて貰ったからね。気分は高級フレンチを食べ来た気でいてくれたまえ。
え? メニュー? 勿論、鍋さ。
フレンチはどうしただって?
おいおい、僕たちは清く正しくジャパニーズ心を持っているだろ。鍋を囲んで飲む日本酒の美味さにはいくら星が付いてるレストランのフレンチにも勝てはしない事ぐらい君も分かっているだろうに。
さあさあ、入って入って。
おや。その袋を貰っていいのかい? お土産だって? 気にしなくてもいいのに。
アイスクリームだなんて、君は分かっているな。
安いコンビニのアイスで悪かったな何て、とんでもない! 熱い鍋を食べ終わった後に戴くのには最高のデザートじゃないか。
ほらほら、客人は座った座った。
鍋の準備も万端さ。
肉がないって、何を言うんだい。肉よりも、君には魚の方が良いだろ?
肉は太らないって? おかしいな。太った人は皆口を揃えてそう言うだろ? いや、君の事じゃないよ。
敢えて言うなら、そう、敢えて言うなら、少しだけ。君には長生きして貰わなきゃ僕の人生が面白くないからね。少しだけ痩せた方がいい。
仕事が忙しいのは分かっているが、適度な運動は動物には必要だよ。人間だって、動物だろ? 僕も君も、動物なのは変わらないさ。
さあ、席に着いならば手を合わせて命を戴こうじゃないか。
ほら、豆腐も食ってくれ。僕のお勧めの豆腐屋だ。どこのだって? この知りたがり屋さんめ。いいだろう。僕と君との仲だ。君にだけ特別に教えてやろう。
僕のうちから右に出て角を曲がって、まっすぐ行って、次のブロックも右に回る。そして暫く進んでまた右に回って、一つめのブロックを右に回って歩けばある店の豆腐だよ。
何? 僕の家の下のスーパーじゃないかだって?
正解! 君は僕博士だな!
そこのスーパーでしか買い物はしないタチでね。
そりゃそうだって? 君程の名探偵は何でもお見通しとは恐れ入るよ。
え? 誰でも分かる? いやいや、ご謙遜を。名探偵は酒で讃えなければね。ほら、注ぐよ。
ささ。グイッと。
升で飲むのが初めてだって? 日本の心だぞ? 君の家には升一つないのかい? それは駄目だな。僕は升にも拘っているよ。その升は、とある歴史的価値のある升なんだ。そんな物なんて使えるかって?
何言ってるんだい。物は使わなきゃ価値がないよ。
さ、飲んで飲んで。よく、冷えているだろ?
お、いい飲みっぷりだね。見ていて気持ちいいよ。
美味しいだろ? 良かった。君の口に合うと思ったんだ。
二杯目は如何? いいレスポンスだ。今夜は最高だね!
この酒を何処で買ったか? おや、二回目だぞ? この、知りたがり屋さんめっ。
先日、地方に講演に行った際に振る舞われてね。これは是非君に飲ませなきゃいけないと思って買ったんだ。海外じゃないのは珍しいなんて、僕だって毎回海外を飛び回ってるわけじゃないんだよ。呼ばれれば何処でも行くさ。
そう言えば、そこで面白い事が起こったんだ。
酒のつまみにでも聞いてくれるかい?
僕が講演に呼ばれた場所は随分と辺鄙な村の公民館でね。駅からタクシーで五十分の山の中。年老いたらそこで君と農場を営むのもいいなと思って景色を見ていたんだけどね、そのタクシーの運転手からこんな話を聞いたんだ。
なんでも、その土地はかの戦国時代に武田軍の名のある武将が統治していた土地でね。そうそう、滅法強くてさ、そう。何だ、君もその武将は知っているのか。それは、少し残念だ。
ああ。君の教科書の知識通り、その武将は戦で傷を負った事がない猛将で知られている。でも、死因は病だった事は知っているかい?
何でも晩年酒を嗜んでいたらそのままポックリ逝ってしまったらしい。
最高な死に方だって? そうかな。僕にはそうは思えないけど。
それに、本当に病で死んだならいいけど、タクシーの運転手が言うには病に伏せたのは表向きの理由で、本当は呪いで死んだらしい。
呪いなんて、随分とファンタジーな単語が飛び出したと笑っていたら、何でもその武将が死ぬ前の年に捕まえた山賊達に升を作らせたらしいんだ。
そう、升。君が持っている升の様に檜でね。で、一番上手く作った奴は死刑にしないと言ったらしい。山賊達は僕が今晩鍋を作った様に腕に寄りを掛けてそれぞれ升を作った。しかし、素人が上手く作れる訳なんてないだろ? 結果は散々。しかし、そこで一つの奇跡が起きた。何でも死がチラつく中、一人が無我夢中で作った升がそれは見事に出来ていたらしい。
ん? それは可笑しいって?
まあ、昔話だ。素人に升なんて作れないよ。いくら僕だって捕まって升を作れと言われてもそれは無理だし、君の指摘通り、捕まっている賊達にノミやらの道具を貸すなんて考えられない。日本中どこにでもある都市伝説みたいなものさ。そんな真剣に考えるなよ。
話を進めるよ。
武将は、その見事に出来た升を大層気に入ったらしい。しかし、賊は全員処刑された。晒し首だ。結局、上手く作れたら助けてやるなんて嘘だったて訳。酷い話だよ。まったく。
武将は晩年、その升に酒を入れて毎晩飲んでいたらしいんだが、段々と病に伏せていった。それでも、武将はその升で毎晩取り憑かれた様に酒を仰いだんだ。
何でもその升で酒を飲んでいる時の武将は誰もいない部屋で誰かに勧められる様に話しながら酒を飲んでいたらしい。
いつしか、城内ではその相手はその升を作った山賊の霊ではないかって言われてね。
その升は武将が亡くなった後、次々に持ち主を変えて行き、その度に持ち主達は必ずその升で酒を飲んでは病に倒れ、いつしか『病み升』と呼ばれる升になったそうだ。
此処までだと良くある地方の民間説話さ。
タクシーの運転手に聞いたのは其処迄。
僕は無事、公民館に着いたからね。
勿論、講演も大成功。最後は皆んなのスタンディングオベーションで幕を閉じた。拍手拍手の大喝采さ。
いやあ、実に気持ちが良くてね。その後講演を手配してくれた市役所の人達が宴会の席を設けてくれたんだ。
滅法交通の弁が悪い所で、講演が終わった後タクシーに乗って帰ったとしても最終の電車には間に合わないのは分かっていたし、僕は近くの民宿に宿泊予定だったから返事は二つ返事さ。
事件はその後に起きたんだ。
僕が市役所の人達と宴会場に着いた時、一人の男が宴会場で倒れていた。
何と、彼は死んでいたんだよ。
ああ、驚いたさ。
死体と対面なんて、いつでも驚きの連続だよ。
死体は近くに住む青年で、彼の近くには酒を飲んだ升が転がっていた。良く調べてみると、どうらやら若者は何者かに殺されていたらしい。
そこで、三人の村人が容疑者として浮上したんだ。
僕たちの宴会を準備してくれた人達だよ。
え? 病んで死んだんじゃないのかって?
おいおい。病み升を本気にしているのかい? 冗談はやめてくれよ。それに、あの升は歴史的価値がある升だからね。そう簡単に村人が使用できるものじゃないんだよ。
三人に話を聞けば、三人とも殺してなんかないと言う。
勿論、殺していたとしても本当の事なんて言わないさ。人間だもの。
警察を呼んではみたものの、こんな辺鄙な村に警察が着くには随分と時間がかかる。僕は市役所の人達へのお礼を兼ねて、犯人を探すべく調査に乗り出した。
被害者はどうやら病んで死んだん訳ではなく、毒を飲まされて死んだらしい。でも、直ぐには死ななかったんじゃないかな? 死んだ彼は、最後の最後まで酒を飲みながら誰かと話していたんだと思うよ。
何でだって?
酒を飲んだ形跡のある升が、机の上に置いてあったからさ。
三人に聞けば、誰も被害者と酒を飲んではいないと答えた。
しかし、そんなはずは無い。升は二つあったんだから。誰かが嘘を付いてると言う事だ。
僕は用心深く現場を見渡した。そこで、ある一つの些細な事実に気付いたんだ。
それは、机の上に置いてあった升以外に宴会場に配置してあった一つの升から微かにアルコールの匂いのする升が見つかった。
逆に、犯人が飲んだのであろうと思われていた机の上に置かれた升からは檜の匂いのみ。つまり、犯人は机の上に置いてある升と、配置された升を入れ替え更には入れ替えた升には水を注いで使ったの様に見せかけていたと言う事だ。
しかし、何故そんな事をするのか僕は不思議でね。
聞けば、使用した升はどれも宴会場に設置されている誰でも使える升だった様だ。色々な人が持ち込んでいたのだろうね。升には其々様々な家紋が底に描かれていたよ。
ならば、どうやって毒を仕込んだのだろうか。
おいおい。早いよ。答えるのが早い。もっと悩んでくれてもいいじゃないか。
そうだよ、名探偵。君の推測通り、犯人は酒に毒を仕込んでいた訳だ。
しかし、被害者だけ飲むだろうか? そもそも、この宴会は誰でもない、この僕のために用意されていた宴会だと言うのに0次会をやろうなんていい根性をしているよ、まったく。
そうだ。犯人が酒を飲もうと唆したんだ。
相手も飲むなら自分も飲む。悲しき日本人のサガだね。まったく。
まあ、犯人は飲んだフリをしていたのか、飲んだ後に直ぐ解毒剤を摂取していたのか何なのかは今となっては知る由もないが、犯人の思惑通り被害者だけが毒入りの日本酒を飲んでしまったわけだ。
おいおい、どうした。何故、そんなに飲んでいでいる酒を見ているんだい? 何だって? これは大丈夫なのかだって? 君は意外と失礼な奴だな。僕の真心込めたお土産を疑うなんて。君を毒殺して何になるって言うんだい。
言っただろ? 君が死んだ面白くないって。僕の話に付き合ってくれるのは君だけなんだから、大切にするさ。それは本当に何の変哲もない村のお土産屋で買った美味しい日本酒だよ。
さて、話の続きをしても? いい所なんだから。
どうも。では、続けようか。
僕は、犯人が酒を入れて飲んだ升を見ながら考えた。
普段なら、警察の方々や君の協力の元本来の僕の頭脳の鋭さを展開させていくのだが、今回はその限りではない。
また、あんなにも僕を愛してくれている市役所の人達が悲しむ姿を見るのも胸が痛む。
どうにかして、この場で直ぐに犯人を捕まえ、宴会をしたい。僕の純粋無垢な親切心がどうしようもなく疼いてしまってね。
僕は考えた。
そこで僕は宴会用に配置された升を持ってきて、その升に注いだ水を三人別々に飲んで貰おうと思った訳だ。
何でか分かるかい?
考えて、考えて。簡単なクイズじゃないか。
何? 殺人現場のクイズを出すなんて不謹慎だって?
おいおい、やめてくれよ。慎みに欠ける事なんて僕がした事があったかい? 君が喜ぶと思ってクイズを出しているのに、何て酷い言いがかりだ。
僕は悲しいよ。
折角、君の為に食後のデザートをアイス以外に用意したのに。
君があれ程食べたがっていたあの店のケーキを買って来たんだよ。勿論。君の想像通り、三時間並んでやっと買えたさ。君の推理が当たったら、すぐさま用意をしよう。
どうだい? 少しは考える気になったかい?
肥満げな腹をした矢田の目の前に座っていたこの部屋の主人は、楽しそうに口角を吊り上げる。
まったく。いつものBARではなく、部屋に来ないかと言ってきた時から下らない事を聞かされると想像はしていたが、まさか殺人現場クイズを出されるなんて思っても見なかった。
矢田の目の前に座っている男、伊吹はこう言う奴なんだ。だからこそ、矢田以外に親しい友人は皆無である。
本当なら、そんなクイズなど答えられるかと突っぱねて帰ってもいいのだが、あの話題のケーキが出てくるとなれば話は別だ。
なにせ、矢田の様な男が並ぶにも難ありの女の園。どれ程食べたいと願っても、その楽園に足を踏み入れる事さえ人の目は許してくれない。
矢田はため息をついて、升に注がれた日本酒を景気良く飲み干した。飲んでなければやってられないと言いたげに。
致し方ない。男にはやらねばならぬ時があるのだ。
「本当に性格が悪いな。一度毒に触れた升なんて、洗ったと言えど誰だって飲みたくないだろ。わざわざ嫌がらせの様に犯人に飲ませようと思う悪趣味さに反吐が出るな」
「随分な言い草だな。言っただろ? 純粋無垢な良心な心が突き動かされた結果だよ」
「どうだか」
吐き捨てる様に矢田が言えば、心底心外だと言いたげに伊吹がため息を吐く。
「人の正義を疑うなんて、悪魔だな」
「人を心理的に陥れようとするお前の事かよ。余程その犯人も怖かったんだろうに。自分の目の前の升が、即効性のある毒入り酒が入っていた升だったら、例え洗った後だろうが、入っているのが水だろうが、誰だって飲みたいとは思わないだろ?」
「何を言っているんだい? 流石に本物は警察が来る迄証拠として残さなきゃ。僕が見つけた毒入りの升なんて使うわけがないだろ?」
「他の二人は、何の疑いもなく升を飲み干したんだろ? 一人だけ、飲めずに固まっていた」
「その心は?」
「犯人だけが、どの升に酒を注がれたか知っていたからだよ」
矢田は飲み干した升の底を伊吹に見せた。
その升の底には、小さなばつ印が彫られている。
「その宴会場にあった升には、村人達が持ち寄った升である為にどれも底にはこの升の傷の様に一眼でわかる家紋が焼印されていた。何も同じ家紋の升が各一つなんてことはないだろ? 複数持ち込まれていた筈だ。そこで、お前は自分が見つけた犯人が使っていたと思われる升と同じ家紋が焼印されている升を見繕って水を注いだ。犯人以外にとっては普通の升だが、犯人だけはその家紋が入った升に毒入り酒が入っていた事を知っていた。飲める筈がないだろ?」
犯人だけは知っているのだ。
どの升に酒を入れたのかと言う事を。
洗った所で、毒が一度ついた升から何かを飲もうとなんて心理的には無理がある。
それに、伊吹がその升を見つけなければ、犯人は何かと理由をつけて宴会場の片付けをした事だろうに。
「大正解。いやあ、流石君だね。素晴らしい推理だったよ」
「推理にすらなってねぇだろ。ただのクイズだ。こんなもん」
矢田は伊吹に文句を言いながら手を差し出す。
「ケーキ」
「はいはい。今用意するよ。でも、まだその話には続きがあるんだ。聞いてくれよ」
「何だよ。早くしろよ」
「結局、宴会は出来なくてね。僕に申し訳がないと思った村長さんが自分の家に招いて酒を出してくれたんだよ。でね、その村長さんは何とあの武将の子孫だったんだ。覚えているかい? タクシーの運転手に聞いた話を。凄い偶然だなと思ってね。それはそれは驚いたんだ。すると、村長さんが席を外した際に娘さんが僕に升に注いだ酒を出してくれてね。なんて美味しい酒なんだって驚いて村長さんにお礼を言ったんだよ。そしたら、だ。村長さんの家に娘なんていないと言われてね。聞けば、その武将が死罪にした病み升を作った山賊は、若い娘だったそうだ」
「ふーん」
突然の怖い話かよと思いながら、矢田は升に酒を注ぐ。
「怖がってくれないのかい?」
「別に。お前と幽霊ならお前の方が怖いわ」
「残念。ちょっとは怯えてもいいのに。ああ、そうだ。昔、罪人にはばつ印の焼印が押されていたのは知ってるかい?」
「何だいきなり」
話が随分と飛んだなと矢田が伊吹を見れば、彼はにっこりと笑い指でばつ印を宙に描く。
「何でも、病み升にはその作者が死刑された後、底にばつ印で彫った様な跡が自然に出てきたらしい」
ばつ印?
矢田は思わず、自分の持っている升を見ると、底には伊吹の言うばつ印が酒に浮かび上がっていた。
「ばっ! おまっ!」
「是非君に飲ませなきゃって、その升を買い取って来たんだよ。ね? 歴史的価値がある升だろ?」
「いやいやいやいや、何の嫌がらせだよ!」
「だって、僕がその升のせいでもし死んだら君と遊べないだろ?」
伊吹はまるで鳥は飛ぶもの、花は咲くものと当たり前の様な顔をして矢田に笑いかけた。
「矢田君、死後の世界でも一緒に遊ぼうじゃないか」
僕は君しか友達がいないんだからと、伊吹は病み升で矢田の注いだ酒を飲み干す。
死後の世界が例え暗闇だったとしても、君と居れば退屈しないだろ?
死でも二人の一方的な友情を分つ事さえ、この伊吹雅仁は許さないのだ。
病み升 富升針清 @crlss
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