【中編】彼と雪の女妖 ~「妖しい、僕のまち」クリスマス閑話2~

詩月 七夜

クリ「妖しい、僕のまち」クリスマス閑話2

 今年もやって来ました、クリスマス。

 街角を彩るきらびやかなイルミネーション。

 BGMで流れる「ジングルベル」

 プレゼントを手に、家路を急ぐ人。

 腕を組んで、ロマンチックなひとときを満喫する恋人たち。


 それら全てが。

 ここには無かった…


「ですので!」


 吹き荒ぶ吹雪に掻き消されないよう、僕…十乃とおの めぐるはあらん限りの声で続けた。


「ぜひ!役場の!『人間社会適合セミナー』を!受講していただきたいと!思いまして!」


 いちいち区切るように喋っているのは、あまりの寒さのせいで、適度に口腔を閉じないと口の中が凍り付いてしまいそうだからだ。

 そんな僕の説得に、目の前の「相手」はかけていたサングラスを優雅にはずして言った。


「そのように申されましても…」


 鮮やかな明青色ペール・ブルーに、やや青みがかった白磁の肌。

 切れ長の目には、長い睫毛まつげ蒼玉サファイアの瞳。

 通りの良い鼻梁は絶妙な形となって走り。

 紅を差した艶やかな唇から悩まし気な溜息を漏らす。

 まさに「美の造形の塊」

 その「相手」は、究極的な美女だった。

 故に、それだけでも女性に免疫が無い僕には刺激的なのだが…


私共わたくしどもは暑さに弱いので、この山から下りることは極めて困難でございます」


 そう言いながら、美女…雪城ゆきしろ 氷美華ひみかさんは横たわっていたプールサイドチェアから上体を起こした。

 それと共に、豊かな胸元が「ぷるるん」と揺れる。

 その抜群の刺激に、僕は赤面しつつ、慌てて視線をズラした。

 この極寒の猛吹雪の中でも"雪女ゆきおんな"である彼女は、肌も露わなビキニ姿だった。


 “雪女”は、もはや説明も要らないくらい有名な妖怪だ。

 主に北国の雪深い地方にその伝承が残っており、雪の夜に現れては人の魂を吸い取ったりする「雪の妖怪」の代表格だ。

 その一方で、人間の男性と恋に落ちたり、子供を授かったりもする説話も残っており、ある意味、人間とはとても近しい存在の女妖である。


 そんな彼女達は、当然ながら、ことのほか寒さに強い。

 雪城さんがこんな猛吹雪の中、南国の海辺でバカンスでも楽しんでいるような恰好をしているのは、その能力による。


「はるばるこのような北の山奥まで来ていただいたのに、大変申し訳ないのですが…諦めていただくほかございません」


 立ち上がると、そう言いながら、深々と丁寧に頭を下げる雪城さん。

 その拍子に、再び「ぷるるん」と胸元が揺れる。

 しかも、角度が角度だっただけに、今度は「何か柔らかいもの」が二つ、こぼれ落ちそうだ。

 今度は顔を真っ赤にして下を向く僕。

 本当に目のやり場に困る方である。

 昔から“雪女”をはじめとする「雪の女妖」は妖怪の中でも特に美女・美少女揃いで有名だ。

 その俗説は、妖怪が人間の姿となって表れた現代において、明白となった。

 さらに、雪城さんもその美貌もさることながら、スタイルの良さも群を抜くものだ。

 彼女が芸能界に進出すれば、きっと爆発的な人気を得るだろう。

 しかし、雪城さんをはじめとする「正統派大和撫子」が多い雪女達は、いずれもそうした形での人との関わりを好んではいない。

 理由は、ひとえに「防熱対策」が大きな課題となっているからだ。

「雪の女妖」たる彼女らは熱さに弱く、春先程度の気候でも夏の猛暑くらいに感じるらしい。

 故に。

 特別住民支援課渉外しょうがい係の僕が、セミナー受講者勧誘のためにこうして説得を行っても、その結果は如何いかんともし難いものだった。


「…そうですか。残念です…」


 最初から無理難題であるとはいえ、人間社会への適合について妖怪達の間に差別をつけず、セミナーへの参加を促すのが基本である。

 例え険峻な山奥や広大な海原を住処とする特別住民ようかいでも。

 伝説に登場するような強大な妖力を持つ特別住民ようかいでも。

 人間を襲い、食らうとされる危険な特別住民ようかいでも。

 そのスタンスは変わらない。

 だから、今回もこうして決死の覚悟で彼女達が棲む冬山登山に挑戦したのだが…


「本当に申し訳ございません」


「いやいやいや!そんなに謝らないでください!とにかく頭を上げてください!ついでに水着も!」


 三度みたび眼前で巻き起こる「ぷるポロリん」の危機に、僕は首をぶんぶんと横に振りつつ言った。

 正直、これ以上の刺激は冬山以上に命の危険(出血多量による死)に結びつきかねない。

 僕がそう言うと、雪城さんはようやく姿勢を正してくれた。


「しかし、あなた様のご要望に応えることも出来ないことは、大変に心苦しく思います」


 そう言いながら、けなげな表情のまま、本当に申し訳無さそうに僕を見つめる雪城さん。

 過激な水着姿とはいえ、その物腰といい、馬鹿丁寧な口調といい、とにかくそれらのギャップにドギマギさせられるほどの魅力を振り撒いてくる。

 我を忘れて、改めて見惚れそうになり、僕は慌てて応えた。


「何にせよ、こちらも無理強いは出来ませんし、お話を聞いてくださっただけでも有り難かったです」


 そう言うと、僕は凍り付きそうな顔の筋肉を精一杯動かして笑顔を作った。


「せっかくのお休みを邪魔してしまってすみませんでした」


「いいえ。こちらこそご期待に沿うことが出来ずに…本当に申し訳ありません」


「だから大丈夫です!究極的に大丈夫ですから、どうかそのまま!ストップ、プリーズ!」


 四度よたび頭を下げ「無意識系お色気攻撃」をしようとする雪城さんを慌てて押し止める。

 このまま留まったら、本当にアクシデントが起こりそうだ。

 僕は念のためにセミナーの案内書類を手渡すと、そそくさとその場を後にした。


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 次に向かったのは、同じ雪山にあるとある洞窟だ。

 ここにも交渉を行うべき妖怪がいる。

 外の吹雪は今は止んでいた。

 雪代さんが「せめて。お餞別にお持ちください」と渡してくれたお守りのおかげだろう。

 氷の結晶をかたどった首飾りで、何でも雪除けの効果があるらしい。

 おかげで、ここまでの道のりは順調だった。

 僕は洞窟に入る際、持参したヘルメットとLEDライトを装備した。

 他にもロープやピッケル、非常食に水、カイロなどなど探検隊もどきの装備は忘れない。

 こうした遠隔地への出張は、仕事柄割りと頻繁ひんぱんにある。

 なので、こうした人跡未踏の領域に足を踏み込むための準備は、これまでの経験からそこそこ手慣れていた。

 入庁した後、特別住民支援課に配属が決まった時は、妖怪に会える喜びが大きかった。

 しかし、すぐにこういう僻地での交渉の過酷さや煩雑さに音を上げそうになったことは何度もある。

 が、今はそれ以上にやりがいを感じる余裕も出てきた。

 雪城さんの一件ように、手間暇かけても結果を残せないことも多い。

 それでも、この仕事を通じて人間と妖怪のつながりは生まれていく。

 その一番最初の切っ掛けとなる場所に身を置くことが出来ることが、とても嬉しかった。


「お邪魔しまーす」


 しまーす…

 まーす…

 ーす…

 …


 洞窟内に反響する自分の声に応えがないことも構わず、中へと足を踏み入れる。

 気候のせいか、内部はじめじめしてはいないが、代わりに物凄い寒さだった。

 天井から地面まで凍り付いており、進みにくいことこの上ない。

 もはや洞窟というより氷穴だ。

 用心しいしい進むと、薄暗い内部が突如明るくなっていく。

 その光源は、奥から漏れる光とそれを反射して輝く鍾乳石や氷柱つららだ。

 その明るさたるや、ライトはもう必要ないレベルだ。

 良かった。

 どうやら「相手」は在宅中のようだ。


「こんにちは~…」


「どなたですか?」


 そんな声が奥から聞こえてくる。

 自分の身分を名乗ると、


「どうそ。その氷柱に沿ってお進みください」


 という応えがあった。

 同時に、天井から伸びていた無数の氷柱が、まるで誘導灯のように光り始める。

 その光る氷柱に沿って進むと、大きな空洞に出た。

 そこは別世界だった。

 例えるなら、どこかの企業のオフィスのようだ。

 壁面は凍った洞窟そのままだが、天井には氷柱が集まって出来た豪奢なシャンデリアがあり、様々なファイルが収まったキャビネットや事務机が並び、それらには多数のパソコンやサーバーが鎮座している。

 その一つに向き合い、パソコンを叩いているのは、眼鏡をかけた妙齢の女性だ。

 いかにもデキる女といった雰囲気を醸し出し、かっちりとしたビジネススーツに身を包んでいる。


「ええ。いまは○×企業が上場です…いえ、それはお勧めしませんね。きな臭い動きが見えます」


 どうやら、誰かとやり取り中らしく、インカムを通じてあれこれ情報を流していた。

 女性はひとしきり通話を行い、ようやく一息ついたのか、僕に気が付くと付けていたインカムを外した。


「お待たせしてすみません。顧客と通話中だったもので」


「ど…どうも…」


 あまりにも意表を突かれた目の前の光景に、僕は呆然と返すのがやっとだった。

 探検隊みたいな恰好の僕が、本当に場違いに思えてくるようなオフィスっぷりである。

 そんな僕に、女性は生真面目な表情のまま右手を差し出した。


「初めまして。私は“つらら女”の寒沢かんざわ 雫莉しずりと申します。ようこそ私のオフィス兼住まいへ」


降神町おりがみちょう役場の十乃様です。お、お仕事(?)中にすみません」


「問題ありません。半分、趣味みたいなものですので」


 そう言いながら、表情一つ変えず答える寒沢さん。

 間近で見ると、鋭利ともいえるほどのクールで大人びた美女だった。


 “つらら女”は“雪女”の近種で、こちらは「氷柱の妖怪」だ。

 “雪女”に似た能力を持ち、寒さにはビクともしない。

 現にこの氷穴の中でも、ビジネススーツで平気な顔をしている。

 唯一差があるとすると、彼女たちには「クールビューティー系美女」が多いところか。

 個人差はあるものの、とにかく理知的であまり感情を露わにしない一族らしい。

 反面、嫉妬深い面もあり、浮気をした旦那を氷柱で刺し殺したという伝承もある。


 寒沢さんはまさにそうした“つらら女”の典型に見える。

 何というか…同じ美人であり、きっちりとした雰囲気ではあるが、奥ゆかしい雪城さんとは真逆で、クールで生真面目なオフィスの女王みたいな女性ひとだ。


「…で、本日はどのようなご用件で?大変申し訳ありませんが、次の顧客とのアポがあるので、手短にお願いいたします」


「は、はい…いや、あの…」


 僕は改めてオフィス内を見回した。


「…もしかしたら、貴女には問題ないお話かも…」


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 結局。

 勧誘は無効になった。

 理由は、さっきの一幕にある。

 人間社会適合セミナーの受講を勧めても、寒沢さんはネットを通じてある程度人間社会を把握しているばかりか、株式関連のアドバイザーとして活躍しており、顧客を得るまでになっていた。

 要は「何をいまさら」な勧誘だったわけである。

 僕の話を聞いた寒沢さんは、セミナーの案内書類を見つつも、


「残念ですが、私もこの山を下山することは難しいですね。防熱対策もさることながら、顧客との連絡も行わなければなりませんので」


「そうですか…」


「要望に沿えなくて申し訳ありません。その厚意だけ受け取らせてもらいます」


 と、丁寧に答えてくれ、更に見送りや次の目的地の案内図までくれた。

 見た目はクールでも、温かい気配りができる女性ひとだった

 まあ、こうした空振りもままあることだ。

 無駄骨だったとはいえ、寒沢さんのように人間社会に興味を持ち、関わってくれる妖怪がいるということは、僕達にしてみれば喜ばしいことなのだ。

 それどころか、あの凄まじい環境の中で、よくもネット接続設備まで整えたものだと感心すらさせられる。


「さて…次が最後か」


 装備変更を終えると、僕は次の目的地を目指した。

 次の目的地は同じ山にある森の中だ。

 ここにも勧誘対象になる妖怪がいる。

 僕は雪上行軍に適した装備を備えると、うず高く積もった雪道を進み始めた。

 普通に歩けば雪に足を取られてなかなか進めないが、寒沢さんが「この雪の中、それでは進み辛いでしょう」と、クロスカントリー用のスキー板とスキーポールを譲ってくれた。

 何でも氷柱から削り出したものらしいが、軽さや強度は折り紙付きだそうだ。

 スキーの経験があって幸いだった。


「ここか…すみませーん!」


 僕は両手を口に当て、声を上げた。

 見事な大木が並ぶ森だ。

 自然を好む摩矢まやさん(野鉄砲のでっぽう)がいたら、大いに喜んだろう。


「すみませーん、降神町役場から来た十乃でーす!」


「誰が『ロリ神』だが!」


「うわあっ!」


 唐突に。

 足元の雪の中から、誰かが顔を出した。

 見れば5~6歳くらいの女の子だ。

 頭に藁帽子わらぼうしを被り、赤い頬をしたその子は、ぴょんと雪の中から飛び出すと、を履いた足で見事に着地する。

 よく見ると、くりくりとした大きな目が特徴的な可愛らしい子だった。


「あ、あの…君は…?」


「わー?わっきゃ“雪ん子”の凍神とうがみ 舞雪まゆきだよ!」


「あ、貴女が“雪ん子”…成程、道理で…」


 僕は舞雪と名乗った子を見やった。

 自然と見下ろす視線になる。

 それにジト目になる舞雪さん。


「なにズロズロ見ぢゅの!?」


「い、いえ別に…」


「ふん!どうせわーチビだはんで、おがすいんだべな!?言っておぐげどね!子供みだいばって、わっきゃねの何倍も年上なんだはんで!」


 なまりからの推測になってしまうが…どうやら、僕の内心が見透かされたようだ。

 実際、本物の“雪ん子”を目にしたのは初めてだし「何か子どもみたいだなー」と思ってしまったのは事実である。


 “雪ん子”は、見た目はまんま人間の子供と変わらない。

 伝承では、人里に下りてきて、人間の子供とも遊ぶこともあったという。

 何を隠そう“雪女”の娘であり、やはり寒さには強い存在である。

 一方で「雪の妖怪」として妖力が育ち切っていない分“雪女”や“つらら女”よりは熱に耐性があるらしい。

 また、その本質は「雪の妖怪」というよりは「雪の精」に近いとされる。

 彼女達はそろって「元気いっぱいの美少女」が多い。

 目の前の舞雪さんも、いかにも気が強そうで、威勢もよさそう娘だ。


「あ、すみません。決してそういう目で見ていたわけではなく…」


 僕がそう弁明すると、


「うそづげ!わー小さぇはんでって「ロリ神」どが言ってあっただべな!ちゃんと聞いであったんだはんでね!」


「いや『ロリ神』ではなく『おりがみ』と言ったんですよ。僕は『降神町役場』から来たんです」


 それを聞くと、舞雪さんは目を見開いて、前のめりになった。


「本当だが!?おめは町場がら来だんだが!?」


「え、ええ」


「うわあ!それ先さ言ってけ!!遠ぇどごろがら、ようごそ来でくれだ!」


 そう言うと、舞雪さんが腕を一振りする。

 すると、それだけで周囲の雪がうず高く集まり始める。

 目を丸くする僕。

 そして、瞬きをするうちに「かまくら」が完成した。


「さ、座って、座って!」


 どこにしまってあったのか、分厚い敷物の上に火鉢や座椅子まで備えられている。


甘酒あまげは好ぎが?いま、餅も焼ぐはんでね!」


 傍らから、ヒョイと飲み物や食べ物を取り出す舞雪さん。

 まるで、絵本の「北風がくれたテーブルかけ」みたいだ。

 ともあれ、ここまで用意してくれたのだ。

 僕はお邪魔することにした。


「し、失礼します」


 僕が席につくと、舞雪さんは待ってましたとばかりに身を乗り出した。


「そいだば、さっそぐ聞がせでけ!」


「え?な、何をでしょう…?」


「決まってらでね!町場のお話だよ!」


「町場って…町中の様子ですか?」


 僕がそう尋ねると、舞雪さんはニンマリと笑って頷いた。


「そうそう!なんでも町場にはこの森の大木よりおおぎぇ建物があって、山ブドウやまぶんどよりめぇ食い物がたくさんがっぱあって、夜でも町中キラキラすてらって聞いだよ!本当が!?」


 ふむ。

 どうやら、舞雪さんは人間たちの住む町に興味があるようだ。

 僕はしばし思案した後、頷いた。


「ええ、本当ですよ。特に今の町中は『クリスマス』っていうお祭りみたいなシーズンで…」


 それから小一時間、僕と真雪さんは町中の様子や生活スタイル、遊びや文化などその他色々と話し込んだ。

 案の定、舞雪さんは町での出来事に興味を持っているようで、僕の話にその大きな目を丸くしたり、キラキラさせたりしながら聞き入っていた。

 そうして、彼女の熱意が高まった頃を見計らい、僕は遂に話の本題を切り出した。

 町中での生活に興味はないか、と。

 そして、その手助けとなるセミナーへの勧誘を行った。


 しかし…


「それは…無理だね…」


 しゅん、となりながらそう答える舞雪さん。

 絶対に受講生になってくれると確信していた僕は驚いた。

 だが、理由を聞いて納得した。

 暑さにいくばくかの耐性がある“雪ん子”も、春先には氷でできた氷室の中で夏を越さなければならないという。

 しかも、将来立派な“雪女”になるための修行もあり、それは先輩である“雪女”達の協力なくしては行えないらしい。

 つまり、最悪暑さは何とかできたとしても“雪女”が一緒に来なければ、舞雪さんが町中にやって来るのは不可能な話なのだ。


「せっかぐ町場さ行げるど思ったんだげどな…本当にごめんなかにな


 そう言ったっきり。

 舞雪さんはうつむいてしまった


 --------------------------------------------


「おはようございます…」


 そう言いながら、特別住民支援課の事務室のドアを開く。

 毎朝の登庁は、普段沙槻さつきさん(戦斎女いくさのいつきめ)が一番であることが多い。

 が、現在彼女は所用で実家に帰省中だ。

 代わりに僕が朝一番早く登庁をしているから、他に職員はいない。

 が、朝一番の気合いを入れる意味で、僕は無人の仕事場でも挨拶を欠かすことは無かった。

 しかし。

 その朝は違った。

 仕事もどこか上の空で、細かいミスも繰り返してしまった。

 最初は注意をしていた黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)も、しまいには「大丈夫か?」と心配するほどの体たらくだった、


 正直、二日前に雪山から戻った僕は意気消沈気味だった。

 疲労がつのっていたせいもある。

 セミナー勧誘が叶わなかったことも原因といえば原因だ。

 だけど、一番の理由は妖怪達の期待や都合に応えられず、トボトボと帰ることしか出来なかった自分の情けなさだった。

 雪代さんは暑さという環境差が問題だった。

 寒沢さんはそれに加えて自分の生活のためだった。

 舞雪さんが一番気の毒で、希望はあっても、自分や身内の都合があった。

 そして…そのどれもが自分の力ではどうにもならない問題だった。

 それは仕方のない話なのだ。

 でも…

 僕にはどうしても諦められない部分がある。

 人間と妖怪が「同じ世界」を目にすることができる未来…それを諦めたくはない。

 そのためには、まだまだ問題が山積みで、僕自身の力も足りないんだ。


 終礼が済み、皆が帰宅した事務室で、僕は窓辺からどんよりとした雲が広がる夜空を見上げた。

 まるで今の僕の心のようだ。

 今日はクリスマスだというのに…気分が乗らず、皆に誘われたパーティーも遅参することにした。


「皆も僕のことを心配していたっけな…」


溜息を吐いてから、頭を冷やそうとベランダに出て、手すりに突っ伏す。

 役場も今日は「ノー残業デー」だ。

 横を見れば、どの課も明かりが消えていった。

 目の前の町中を見れば、きらびやかなイルミネーションやネオンが光を放っている。

 この光景を、舞雪さんにも見せてあげたかったのに…


「はぁぁ…もう、サンタさんにでも願いを叶えて欲しくなるなぁ…」


「まぁ『三太』様とは、そんなに凄い力をお持ちなのですか…?」


「いいえ。『三太』ではなく『サンタ』です。正しくは『サンタクロース』といい、西洋の聖人の一人『ミラのセントニコラオ』が起源とされています」


「知ってら!空ぁソリで飛んで「ぷれぜんと」っていうものくれるんだ!」


 最初は優雅に落ち着いた声。

 続いて、理知的に説明する声。

 最後に元気溢れる、陽気な声。


 その三つの声に、僕はガバッと身を起こした。

 振り向くと…


 そこに三人の「雪の女妖」が立っていた。


「ゆ、雪代さん!?」


「ご無沙汰…というには早過ぎますね、十乃様」


 白い着物姿の大和撫子が、優しく笑う。


「寒沢さんも!?」


「その節は失礼しました」


 ビジネススーツにコートをまとったクールビューティーは、初めて見る微笑みを浮かべていた。


「それに、舞雪さんまで!」


「なんだなんだ!そったらにすみったれだ顔すて!風邪でもひいだのが?」


 藁帽子の代わりにリボンで髪をまとめ、洋服に身を包んだキュートな少女が鼻の下を指でこすって見せる。

 思いもかけない三人の来訪に、僕は言葉を失った。


「本日は役場の開庁時間に間に合わず、大変申し訳ありませんでした」


 そう言いながら、頭を下げる雪代さん。

 思わず胸元に目が行きかけ、着物であることに内心ホッとする。

 そんな彼女の肩を持つように、寒沢さんが口をはさむ。


「私達が遅れたのは不可抗力でして。こちらの舞雪が、初めての町内に舞い上がり、迷子になりかけていたのです」


「あーっ!雫莉姉っちゃ、それは十乃には内緒だって言っおいだべな!」


 途端に赤い頬を更に赤くし、声を上げる舞雪さん。

 が、寒沢さんはクールに、


「嘘の情報は顧客の信用を失うので、私は協力できません。諦めなさい」


「ぶーっ!雫莉姉っちゃのいずわる!」


「まあまあ、二人とも。最終的にこうして十乃様にお会いできたのですから、良しとしましょう」


「ちなみに雪代さんの歩行速度がマイペースだったのも、原因の一つです」


「うふふふ。だって、私も町中は初めてでしたので。許してくださいませ」


 おっとりと笑う雪代さんに、寒沢さんが軽く溜気を吐く。

 その時、僕はようやく思考が追いついた。


「み、皆さん、どうしてここへ…!?」


「まぁ…お忘れですか?この前、わざわざ私共の山までお越しくださって『せみなー』の話をしてくださったではありませんか。それに私共も一緒に人間社会のことを学ばないか、とお誘いくださったのに」


 目を丸くする雪代さん。


「い、いやあの…忘れたわけではなくて…その、皆さん全員お断りだったはずじゃあ…」


 うろたえる僕に、雪代さんは再び微笑んだ。


「確かにお断わりさせていただきましたが『今』なら、その問題もございませんので」


「『今』?それって…ああっ!!」


 僕は思わず声を上げた。


「冬だからですか!?」


「ええ。この気候なら、私達もそれほど問題なく活動が可能のようなので」


 寒沢さんが眼鏡を正しながら説明してくれた。


「『冬季限定の受講生』ということで受講が可能であるならば、私も自分の視野を広げるために受講を希望したいのですが」


 そこまで言うと、傍らの舞雪さんをチラリと見やった。


「…まあ、正確に言えば、この娘が熱心に私達を説得しに回ったのですけどね」


「だーがーらー!それも十乃には内緒だって言ったでねが!」


 地団太を踏む舞雪さん。

 しかし、どこまでもクールな寒沢さんには微塵も堪えていないようだ。

 僕は荒ぶる舞雪さんに近付くと、そっとその手を取った。


「舞雪さん…ありがとうございます!!」


 精一杯の感謝を込めてそう言う僕に、怒りが収まらないのか、舞雪さんは更に顔を真っ赤にした。


「れ、礼言ってもらう筋合いはねよ…た、単にわー来だがったはんで…すたごどだ…」


「それでも…僕は嬉しいんです…!」


 そう言って、舞雪さんと視線を合わせた瞬間、彼女は手を振り張ってそっぽを向いた。


「あーもー!いつまでもむったどでも女の子の手にさわねで!この助平!」


 そんな様子に、クスリと笑う雪代さん。

 一方の寒沢さんは、やや憮然とした表情で「…説得には私も助成したのですが…」などとブツクサ呟いている。

 そんな三人の様子を見ながら、笑っていた僕の頬に、空から舞い降りてきた冷たい何かが触れた。

 夜空を見上げた僕は、思わず声を上げた。


「雪だ!」


 天気予報では、今晩の天気は曇りだったはず。

 しかも、雪が降るような気温にはならないと思ってたけど…


「メリー・クリスマス…です」


 その声に、僕は雪代さんを見やった。

 美しい「雪の女妖」は、ひと際優しい笑みを浮かべていた。


「そう言うのでしょう?今夜は」


「…ええ!」


 僕はようやく合点がいった。

 きっと、この美しくて、愛らしい女妖三人が連れてきてくれたんだ。

 こんなにも素敵で幸せな思いと。

 ホワイト・クリスマスを…!


「皆さん!メリー・クリスマス!!」

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