03話.[別にいいんだよ]

「ということでさ、一緒になんとかしようよ」

「ちょっと待って」


 箸箱に持っていた箸を戻して目の前を見た。

 そうしたら「なに?」と多分ふたつの意味で聞いてくる彼女。

 なんで当たり前のように空き教室にいるのか、それが聞きたいんだよ僕は。


「それに僕が行動したら余計に怖がらせるだけだと思うけど」

「いやいや、このまま維持する方がお互いに良くないでしょ」


 そんなことをするぐらいなら自分勝手に席替えをしてくれと根岸先生に頼んだ方がマシだ。

 そうしたらまず間違いなく断られるのは決まっているが、隣の子が僕の横だと集中できていない的なことを言えば少しは、少なくとも彼女はどうにかなるかもしれないから。


「分かった、それならいまから根岸先生に言ってくるよ」

「待って、それなら私も行く」


 それならそれでいいから協力しようだなんて言ってほしくない。

 大体、僕ではなにもできないよ、なにもしなくても嫌われる人間がいい方向に変えられるわけがないのだ。


「失礼します」


 彼女には廊下で待ってもらっている。


「どうした?」

「すみません、少し来ていただけませんか?」

「別にいいぞ」


 自分から自分の隣にいるのは嫌そうだからって言うの嫌だなあ……。


「それで?」

「あ、隣の席の子がいるじゃないですか」

「ああ、長谷川のことか」

「はい、その子が僕の隣だとやりづらそうにしていたので席替えをしてほしいな、と」

「席替えかあ……」


 この反応は絶対に無理だ、誰かの希望によって変えてしまうとみんなに応えなければ不公平になってしまうわけだし。


「後ろに行きたいって言っている子もいるんだよな」

「じゃあっ」

「その場合は黒田が前になるけどいいのか?」

「はい、問題ありません、教室にいられるのであればどこでもいいですよ」


 これで席を貸さなくて済むようになったと思うと、はは、なんていい日々の始まりなんだろ。

 ちなみに後ろに行きたい子は見えすぎて嫌だそうだ、すごいな、僕も一度ぐらいは言ってみたいかもしれない。

 幸いまだお昼休みということもあってこの時間から交代ということになった。

 席と机を持って行って座ろうとしたときにあからさまに嫌そうな顔をされたけどねっ。


「黒田、わざわざこっちに来るなんて勇気があるな」


 しまったなどとは思わなかった。

 これだけ嫌そうな雰囲気を出されているのであれば借りようとはしないだろうし。


「今度は席が近いね、よろしく」

「……まあな」


 あ、これは考えなしだったか、あんまり仲がいいって捉えてほしくないんだろう。

 そこからは特になにも言わずに残り少ない休み時間を過ごすことだけに専念した。

 授業が始まったら集中をして、席替え以外は落ち着いた1日となった。




 兄からすぐに家に帰ってくるなと言われていたのもあって勉強をしていた。

 理由は彼女さんが来ているからだそうだ、取られるかもしれないから不安なんだと。


「ふっ、取れるわけがないのに」


 中学生時代から成人しても尚続いているふたりの間に入れるわけがない。

 あと、何気に1度も見たことがないので、対面することになった方が好都合だと思う。

 って、そこまで自分中心で回っていないんだけど。

 20時ぐらいまで家にいるらしいからそれ以降でなければならないわけか。

 21時まではいられるから学校にいればいいのはまだ救いな点かな。


「さ、寒い……」


 人が全くいないと教室はここまで寒いのか。

 空き教室で寒いことが分かっていたはずなのにこのざまだ。

 それでもどうせ残ったのならと20時近くまで頑張った。


「ここからどうするかな……」


 独り言が自由に言えるこの空間はいいが単純に寂しすぎる。

 お腹は減ったし、いますぐにでもこたつに入りたい。

 でも、兄弟仲が悪くなるのはごめんだから確実性を持ってぎりぎりまで残るか。


「え」


 それでも尿意を感じてトイレに行こうとしたときのこと、暗い階段を上るか下ろうとしている足音が聞こえてきて足を止めてしまう。

 こういう類の怖さは無理だ、もし相手が人間であっても怖すぎる。

 それとこの高校のトイレの嫌な点は時間経過で照明が消えてしまうこと。

 つまり詰み、故に慌てて教室に戻るしかできなかった。

 尿意がぁ……やばい、このままだと決壊する。


「まだ残っていたんですね」

「ぎゃあああ!? ごめんなさい!」


 今度は逆にトイレの個室に逃げ込み、排尿をしている間に暗くなってぎゃあだ。

 慌てて個室から出て、人として手をちゃんと洗ってからゆっくりと戻ると……。


「ふぅ、誰もいないか」

「先程はなにか悪いことでもしていたんですか?」

「ぎゃ」


 正直に言うとびびりすぎてそのまま倒れました。

 気絶したわけではないから教室の明るい蛍光灯がよく見えている。


「大丈夫ですか?」

「あ……」


 冷静になってよく見てみるとただの丹羽君のお姉さんだった。

 急に全身が熱くなる現象を確認、つまりまあ猛烈に恥ずかしいんだなこれは。


「慌ててしまってすみませんでした」

「いえ、寧ろ私の方こそすみませんでした」

「でも、こんなに遅くまで残ったら危ないですよ」

「家ではあまり集中できないので、静かなところでないとできないんです」


 僕はある程度賑やかな方が好きだった。

 それが聞こえなくなるぐらいにまでなったら集中できているということだから。


「それじゃ、気をつけてくださいね」

「黒田君はまだ帰らないんですか?」

「はい、もう少し勉強をしてから帰ろうかと思いまして」


 送りますよ、なんて言えなかった。

 そうしたら嫌われるどころでは済まない、明日には噂が広まっていることだろう。

 ああでも、丹羽君と関わっていたからこそ年上な美人な人に◯◯君と呼んでもらえる喜び、あんまり悪く言うのは明日からやめてあげよう。


「教えてあげましょうか?」

「いえ、大丈夫ですよ、ありがとうございます」

「そうですか、それならこれで」

「はい」


 はぁ、もしここで送れていたらそこから始まるなにかがあったかもしれないのに。

 愚痴を聞いたりするのは嫌いじゃないから聞き上手として動きまくってやがてふたりは……ってなる予定だったのになあ、普段の自分を知っているとなんにも行動できなくなるな。

 にしても、美人だけど……なんか冷たい感じがする人だ。

 あれじゃあ自分からは近づきづらい、僕じゃなくても恐らくそう。

 ま、どうにもならないんだからそんなことを気にしても仕方がない、勉強をしよう。


「あ、もう出ないと」


 8時45分ぐらいなら兄に文句を言われることはないと思いたい。

 片付け、忘れ物がないかもちゃんとチェックし、電気を消して教室を出る。

 この階の廊下は電気が点けられていないから真っ暗、頼むから足音とか聞こえてくれるなっ。


「よし、昇降口まで来たぞ」

「遅いよ」

「え、なにやっているの?」


 ぎゃあと叫びそうになったのを上手く抑えて聞いてみる。

 結局まだ名字すら分かっていないけど、なんでこんな無意味なことを。


「寒い……」


 いや待て、上着を貸そうか? なんて言うべきじゃない。

 単純に寒いし、気持ち悪がられて終わるだけ。

 嫌われていなかったらこんなこと気にしなくていいのになあ。


「なにしてたの?」

「なにって時間つぶしだよ、あとは勉強」

「勉強なんか家に帰ってからすればいいじゃん」

「兄に帰ってくるなって言われててさ、彼女さんが来ているからとかで」

「別に部屋で仲良くしていればいい話じゃない?」


 いますぐ電話をかけてこれをそのままぶつけてほしい。

 僕だってそう思ったさ、でも部屋を出た際に遭遇するかもしれないからとかで聞いてもらえなかったんだ。

 酷い話だ、春夏秋ならともかくとして、冬にそれをさせるんだから。


「君はなんのために?」

「友達と盛り上がっていたらこんな時間になってて……怖くて」

「ここにいる方が怖いでしょ」


 21時になってしまうと本格的に困るから靴に履き替えて外に出た。


「じゃ、気をつけてね」

「は?」


 え、これはどういう反応なんだろう。

 異性といたことなんてほとんどないから分からない。


「怖いって言ったじゃん……」

「なんで友達と一緒に帰らなかったの?」

「……彼氏に呼ばれたとかで走って行っちゃった」


 それこそ話すことぐらい家でもできるだろうに。

 いまは便利なスマホというものがある、メッセージアプリを使えば会話できるし、なんなら顔を見ながらでも話せるのだからそれを使えばいいものを。


「仲のいい男の子でも呼んだらどう?」

「なんでそんな非効率なことを……」

「だって僕に送られたくなんかないでしょ?」

「いいからお願い、いい加減寒くてやばいから……」


 どうせ送ることになるならと上着と言ったら「貸して」と言われて貸すことにした。

 この形なら問題ない、痛い行為にはならない。

 そう言い聞かせておかなければ怖くて仕方がなかった。

 怖いのは幽霊でもなんでもない、生身の人間だと今日いっぱい分かった。


「ありがとね、黒田のおかげで叶子は普通に戻ったから」


 複雑だ、そうなっていた理由も僕だったんだぞ。

 寧ろこれまでのことを責めてくれた方がマシだろう、断じてなにもしていないが。

 学校からそう離れていないところで彼女は足を止めた。


「ここだよ」

「って、駄目じゃん、教えたら」

「別にいいでしょ、黒田は悪用しないだろうし」


 どこからきているんだその信用は。


「だって、私の名字すら知らないでしょ」

「し、知ってるよ?」

「じゃあ言って」

「……ははは」

「ほら、知らないんじゃん」


 どうせみんな敵だからって自己紹介のときも聞かなかったんだ。

 意味のない情報を残していても仕方がないから。

 それだったら数学の問題のひとつでも覚えた方がいいということで勉強をしていた。


「なら今日覚えて、湯浅衿花えりかだよ」

「あーうん、覚えておくよ」

「だめ、いま覚えてくれないと上着返さない」


 よしっ、やっぱり席を譲ることから始まる恋愛物語もあるんだっ。

 湯浅衿花さんね、大丈夫、そのためにならすぐに覚えられるよ。


「覚えたっ」

「そ、そっか、とにかく今日はありがとね」

「それはいいけど、これからは怖いのに遅くまで残らないようにね」

「うん」


 早く帰ろう、そうしないと寒さで体が震えてくるから。

 先程はハイテンションだったけど、いいことばかりではなさそうだってすぐに冷静になったせいで余計に寒くなった。


「おかえり」

「おかえり、じゃないよ……」


 勉強は捗ったけど丹羽君のお姉さんに恥ずかしいところを見られたんだぞ……。

 残っていなければああなってはいなかった、本当に恥ずかしい、顔を見せられない。


「彼女さんとは上手くいったの?」

「別にただ会いに来ただけだからな」

「はぁ? はぁ……」


 じゃあ家にいさせておくれよ、それこそ息子なんだからいる権利があるよ。

 悲しい気持ちでいっぱいだからご飯の前にお風呂に入ってしまうことにした。

 当たり前のように返してもらった後に着て帰ってきたけど……なんとも。


「気にしない気にしない」


 突撃してささっと済ませてリビングに戻って。


「おかえりなさい」

「ただいま、お母さんいつもありがとね」

「これぐらい当然よ、健一にはもう作れないからありがたいわ」


 兄は働いていることもあってお店で買うからいいと言って聞かないのだ。

 個人的には作ってもらった方が安いし美味しいしいいと思うんだけど。


「明日からは気にしないで早く帰ってきなさい」

「うん、寒いから早く帰るよ」


 なんにも進展しないことは分かっているから残っていても仕方がないし。

 それに湯浅さんが言うようにこたつ内に入りながらの方が捗っていいから。

 席も変わったことだしなんにも起こらないことを願っておこう。




「根岸先生、黒田くんが横にいると嫌です」

「そんなこと言ってやるなよ、同じ教室で学ぶ仲間だろ?」

「嫌です、集中できません」


 いや本当になんでここまで嫌われているのだろうか。

 気になりすぎて見ていたら気持ちが悪いとか言われてどうにもできず。


「根岸先生、こう言っていることですし……離すことは不可能ですか?」

「不可能ではないけど担任として許せるわけがないだろ」


 それで成績が下がったとか言われても困るのだ。

 で、結局なんにも進まないから僕の席から距離を作るということで終わった。

 2メートルぐらい離れてるせいで向こうの子達が狭い思いをしているけど。

 けど、授業が進まないよりかはいいと考えているのか文句が出ることはなかった。


「根岸先生」

「黒田、悪かったな」

「いいですよ、難癖をつけられても嫌ですからね」


 なにがどう不快なのかちゃんと教えてほしい。

 そうしないと直しようがない、それに納得もしづらい。

 いまのままではあまりにも理不尽すぎて損しかしないから。


「ねえ、なにがそんなに不満なの?」

「は? 話しかけないで」

「言ってくれたら直せるかもしれないからさ」

「無理でしょ、だって顔が不快だし」


 そんなっ、いや、そこまで駄目じゃないでしょ。

 分かってもらおうとすることを諦めて自習をすることに。

 顔が不快ならあんまり見せないようにしておけば少しは落ち着くだろ、うん。

 はぁ、にしても本当に治せないところだったとは。

 目が結構影響を与えるからサングラス着用を許可してもらうか? 無理か。

 もう本当にどうしようもないことだから授業に集中することだけに集中したよ。

 わざわざ嫌な気分になりたがるような趣味じゃないから放課後になったらすぐに家に帰った。


「はぁ、僕の顔って普通でしょ」


 このレベルで不快ならほっとんどの人が不快な対象になっちゃうよ。

 どんだけあの子の美的感覚は狂っているんだ、イケメンが狂わせているんだ……。


「よう」

「ようじゃないよ君、なんで当たり前のようにいるの」


 教室では近づいて来ないくせに放課後は味方アピールとかいらない。


「今日、好き勝手に言われてたな」

「いつものことだから気にしていないけどね」


 気にしたところでなんにも意味がないと今日でまた分かった。

 イケメンなら少し悪いことをしようがモテるんだから頑張ってほしい。

 つまりまあ彼のことだ、中々にお顔が整っているようで羨ましいことだ。


「そういえば湯浅が探していたぞ」

「と言われてももう家だからね」


 また恥ずかしいところを見せないために学校にはもう残らない。

 あと、送ったり上着を貸したりなんかはイケメンがするべきなんだ。


「それでなんのために? もしかして笑いに来たとか?」

「ちげえ、悪く言っているのを聞くのは嫌だと言っただろ」

「じゃあなんで?」


 異性には無理だから同性に頼ろうだなんて考えてはいなかった。

 悪口を言われているだけであれば何度も言うが問題はないのだ。


「悪かった、話しかけたときまともに相手をしないで」

「ああ、別にいいんだよ」


 理由が分からないまま嫌われているからとはいえ、誰かのせいになんてしない。

 先程イケメンが憎しと言ったのは男子脳だからだ、人並みに希望があるからだ。

 それとああいう子の理想が上がって大変になるからだった、十分人のせいにしているか。


「それより昨日、お姉さんに恥ずかしいところを見せちゃってさ」

「ああ、遅くまで残っているからな」

「ごめんって言っておいてくれないかな」

「分かった、黒田が言っていたってちゃんとな」


 できることならこのまま会わないまま卒業してほしい。

 大学受験で忙しいみたいだし、学校に残ったりしなければ会うこともないはず。

 仮に会うことになったら心が死ぬから。


「それより帰りなよ、もう暗いからさ」

「あ、その前に連絡先を交換しないか?」

「いいよ、ほとんど利用機会がなかったから助かるよ」


 たったひとつでも、同性のであってもかなり嬉しい。


「って、なにこれ……」

「姉ちゃんのだ」

「いや……駄目でしょ、怒られちゃうよ」


 スマホを返してこちらも電源を消して。

 登録できるわけがないでしょうが、そんなことしたら噂が……ひぃ。

 ただいるだけで嫌われるレベルなのにそんなことをしたら居場所がなくなる。


「じゃあな」

「うん、気をつけて」


 お願いだから危ないことに巻き込まないでくれ。

 目立たないようにって気をつけて行動しているのに無意味になってしまう。

 今日だって席に張り付いておくことで湯浅さんといられないようにした。

 どうせ教室で話しかけてこようとはしないからね、対策する必要すらないかもだけど。


「丹羽君はよく来てくれるわね」

「うん、確かにそれはそう」


 ただ、ありがたい反面……微妙な気持ちになるのも確か。

 もっとも、いちいち言ったりはしないけどさ。

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