第2話 祭司の宴
アーサーは今はまた別の国を訪れている。巨大な鉱山を持つ国として名のあるテリロイ皇国である。やはりこの国でも彼の指名手配は行き届いており、逃亡に成功して一時はのんびり羽を伸ばしていたアーサーも、時期に皇国兵から追い回されるようになった。ずっと東の山まで逃げ、年寄りばかりの村々や、人里離れた森に身を潜めてやり過ごし、今再び街まで降りることを決心した。
街から皇都へと一直線に続くテリロイ街道は食い物や酒、衣服、武器や宝石などを売る店がいくつもあって、民家はほとんど見かけない。人々はこの通りの店を求めて、互いに身をよじり合いながらごった返している。
この賑わう人だかりも、彼の嫌うものの一つだった。人間は目付きも悪いし、愛想もない、金目のものがないと言うことも聞かない不躾な生き物だ。人間だけではない、夜更けに空を舞う星も、この世界ではどうも小さく見えるし、輝きも淡い。陽の光も遠いせいか、人界の生き物は皆弱々しい。この人界が天界に勝るものなどなにもない。アーサーは、ずいぶん前から、それを確信していた。
さて、人で群れた通りの脇へと流れてきたアーサーは、建物の間の狭苦しい空間に身を委ね、素足を休ませていた。なにより不快だったのが、土埃を吸い込んだ喉の痛みと、人の汗の匂い、肉屋や魚屋や、時折匂う女の香やら混じり、熱された匂いだった。
「……まさか今日が『祭司の宴』だったとはな」
この人だかりの原因である今日のこの『祭司の宴』では、今まで祭司(クージョイ)として皇帝に仕えていた者が他界し、同時に祭司の側近であった巫女(パミサ)がその座を下りると、次に祭司の血を引く、男子の後継者が新祭司(ア・クージョイ)となり、同じように血を引く乙女を新巫女(ア・パミサ)とされる。その神聖な儀式や宴を一口に『祭司の宴』といわれている。
(こんな日に皇都へ下りるとは……)
「これじゃアシトラの店まで行けないじゃないか」
不満をぼやくアーサーが向かっているのは、彼がこの街で唯一気を楽にしていられる店である。雑穀なんかよりも腹のふくれる串団子が安い、美味いで食えるのがアシトラの店だった。店はこのテリロイ街道のずっと奥――皇都の近くに構えている。だが今日に限っては、奥へ進めば進むほど人は多いし、いつもは閑古鳥の鳴くあの店も、今頃は繁盛しているだろう。
「やれやれ、たまったもんじゃない」
ぼろぼろの羽織りを頭から被りなおし、再び流れに混ざったかと思うと、すぐそばの脇道へ入ろうとした。
角を曲がったその瞬間、視界が白いなにかで覆われた。きゃっと女の甲高い声が目の前でしたが、アーサーは声を捉えるより先に、体が応じていた。
もとより、天の神々に鍛えられたこの肉体と感覚である。アーサーはひょいと身をよじって、前から突っ込んでくる人物に道を通した。はずなのだが……。
悲鳴とともに鈍い音を聞いて、ふと視線を落とすと、眩しいほどの白い衣服を身にまとった女が、地に突っ伏していた。どうやら転んだようだ。体勢を崩すほどに驚いたのだろうか、避けようとしてつんのめったのだろうか。
「おい、なにすっ転んでる」
女はその言葉にきっと顔を上げた。その拍子で頭に被さっていた布被りがはずれ、そこからまた純白の美しい髪が滑り出た。きつい表情で見られているが、その肌も美白。瞳は淡い緑をしていた。笑みよりも真剣な顔つきの方が、映えて美しい顔立ちだった。
ささやかな感動に浸っていると、女は不満をこじらせたように頬を膨らまし、言葉の矢を放った。
「ちょっと、どうして避けたりするの、男の方。紳士として生を成したのなら、乙女のか弱い身体くらい、受け止めてくれたっていいじゃない。私の我儘なのかしら」
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