6

「おやおや。どちらに行かれるのですか?」


 声が、呼んでいる。


「御不浄でしたら、扉を出て右手ですよ」

 博士は特に止めるでもなく、親切に案内してくれる。


——オギヤア——


 行かねば。


 絨毯の感覚がふにふにと現実感を喪失させる。


——オギヤア——


 ああ、涼子……

 先に裏切ったのは君ではないか……


——オギヤア——


 あの子は、仕方なかったんだ……

 何故、自分の裏切りの結果を私に依らしめようと云うのだ……


 長い廊下が続く。


 壁の肖像画が、次々と「あの時」の場面を映す。


——だから私はダメだと申したのです——


 絵から涼子の声が聞こえる。


——あれ程申し上げましたのに——


 自分の裏切りは棚に上げるのか?


——逆賊の友人など——


 自から道を外れた事は何とも思わないのか?


——貴方様の為、と思っておりましたのに——


 絵の涼子は幾重にも足場を変え、私を詰る。


 絨毯は、相変わらずふにふにとしている。


 ふと、一つの扉の前に出る。


 扉には「危険」とだけ札が掛かっている。


「おやおや。そこから先は危ないですよ」

 後ろから博士が声を掛ける。


——危険——


 それは大きく記されている。


「この扉の先は?」

 その先が気になり博士に訊ねる。


「『危険』ですよ?」

 博士はゆっくりと告げる。


——危険——


「『危険』、なのですか?」

 再度、訊ねる。


「ええ、『危険』なのです」

 それでも、博士はのんびりとしている。


——危険——


 そうか、「危険」なのか……


——オギヤア——


 あの「声」が聞こえる。

 何か、心の奥底の何かを引っ掻き回し、そこに注目し、確認しなければならないような焦燥感に人を駆り立てる「音」。


——オギヤア——


 確認せねば……


——オギヤア——


 扉の取っ手に手をかける。


——危険——


 ふと、脊髄がひんやりする。


——オギヤア——


 いや、確認せねば……


——危険——


 ぞくぞくとする。


——オギヤア——


 手に力を込める。


——危険——


——危険——

——危険——


 歯車が噛み合い、バネを押しのける


——危険——

——危険——危険——

——危険——危険——危険——

——危険——危険——危険——危険——

——危険——危険——危険——危険——危険——危険——危険——危険——危険——


 扉が開く。


——オギヤア——


 そこは暗かった。

 月明かりだけが光源であった。


 外気。


 冬風。


「ああ、開けてしまったのですね」

 博士の声が暖かく響く。


 見事な満月である。

 外は、区画分けされ耕された土が幾重もの畝を為し、青白い光を真夜中の蒼天に反射していた。

 畝からは規則正しく小さな大根の葉の様な物が出ている。


「ここは?」

 「危険」と云う割に、何とも牧歌的であり気が抜けてしまった。

「畑?」


「ええ、畑です」


 応えたのは博士であった。


「『本草経』とある通り、マンドラゴラとて『植物』なのですから、当然、畑で栽培しております」


 云われてみれば当然である。


——オギヤア——


 ふと「声」が聞こえた。

 その声に合わせ顔を上げると、見事な満月の中に幾つかの人工的な影が見られる。


——オギヤア——


 それは、十字の影であった。


「ああ、そうそう、マンドラゴラの栽培方法、中でも『肥料』の話をしておりませんでしたね」


 博士は長い髪と白衣の裾を月夜に揺らし、思いついた様に話し出す。


——オギヤア——


「あれだけ生体に影響を与えるのですから、当然それなりの『対価』が必要になります」

 月明かりが力を増す。


「最初の実験でも申しました通り、『物理的限界』は有るのです。詰まり等価交換、作用と対価の左辺と右辺はイコールで結ばれる、と言う事です」

 その言葉は淡々としていた。


「世界が自身を喰らう事で世界自身を再生成するのと同様、『生命』をあれだけ増強すると云う事は、当然その育成にも『生命』が必要になるのです」


——オギヤア——


「マンドラゴラが収穫の際に『命』を奪うのは、その仕上げに必要な事なのでしょう。しかし、それは仕上げに過ぎません。その効用に対して余りにも対価が少な過ぎる」


 十字の影が伸びる。

 その影の交点が私の眉間にきたとき、影の姿を視認する事ができた。


——オギヤア——


 それは、十字架に掛けられた人であった。

 うめき声から、未だ生きている事が判る。

 その根元には青白い光を覆う赤黒い影があった。


「マンドラゴラは処刑台の下に生える、とも云われております」

 博士は説明を続ける。


——オギヤア——


「それは『無実の罪で処刑された童貞の血液』に反応するからだと西洋では伝えられております。生憎と『神農本草経』には精々『千年育てる』と云った程度で、肥料や育成方法の記載は御座いませんでした。残念ながらそれでは毎年の予算申請の更新は不可能です。なので、育成方法は西洋流を応用しております」


 それは、つまり?


「尤も『童貞の』と云うのは、錬金術にある銀を金に変える方法と同様、今日的自然科学の見地に立てば無意味である事が判明しております」


 違う、聞きたいのはそこじゃない。


「なので弊研究所では『無実の罪の男性の血液』を肥料にしております。十字架なのは散布に便利だからです」


 それは、つまり……


——オギヤア——


 土の中から「声」が聞こえる。


「そして、満月の夜に収穫するのが良いのだそうです」


 月明かりが博士の微笑みを照らし出す。


「そう、今夜の様な……」


——オギヤア——


 博士が何かを操作する。

 畝に規則的に並べられた葉が引き抜かれる。


——オギヤア——


 一斉に「声」を上げる。


——オギヤア——


 赤子の顔。


——オギヤア——


 嬰児の顔。


——オギヤア——


 胎児の顔


——オギヤア——

——オギヤア——

——オギヤア——


 中には蛙の様に眼孔の飛び出した平たい頭の赤子や、顔の真ん中に繋がった単眼状の瞳で鼻孔が額に有る赤子もいる。


——オギヤア——

——オギヤア——

——オギヤア——


「ヒト同様、時々ああいった『奇形』も出るのです」

 博士は事も無げに告げる。

「ああ、今日は豊作ですよ、ほら」

 実に嬉しそうである。


 何故か、博士の後ろに七色の後光が見える。


——オギヤア——

——オギヤア——

——オギヤア——


 足元がふにふにする。


——オギヤア——

——オギヤア——

——オギヤア——


「ああ、そう云えば、これを聞いて無事と言う事は、貴方も、僕同様『罪無き者』ではない様ですね」

 博士はさらに微笑む。


——オギヤア——


 足元には「あの子」が敷き詰められていた。


——オギヤア——

 顔を踏んでしまい、顎を外してしまう。


——オギヤア——


 違う!仕方なかったのだ!


——オギヤア——


「ああ、僕は嬉しいですよ。僕の理解者が増えて」


——オギヤア——

——オギヤア——

——オギヤア——


 違う!

 こんな、踏みつけにするつもりは毛頭無い!

 そんなつもりは無かったんだ!!


——オギヤア——

——オギヤア——オギヤア——

——オギヤア——オギヤア——オギヤア——

——オギヤア——オギヤア——オギヤア——オギヤア——オギヤア——オギヤア——



 その「声」を聞いた者は死亡・発狂する




——オギヤア——



+++


 戦後、GHQはこの辺鄙な研究所を大急ぎで占拠した。

 その後、何故か米国ではLSD等を用いた「ドラッグ革命」が大いに流行する。

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マンドラゴラ研究所 @Pz5

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