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「先ずはこちらを御覧頂きたい」
そう云って博士が出したのは一本のアンプルであった。
その傍には一匹のラットと丸太が頑丈な檻に入っていた。
「こちら、一つとれば滋養も増して四六時中戦える代物で御座います」
博士の説明は何も響かなかった。
「何です?覚醒剤の類いでしたらヒロポンも有りますし、大した事とは」
「勿論。フィロポンスキィ等様々な物が出回っておりますが、これは全然新機軸な代物です」
博士はラットにアンプルの中身を飲ませる。
するとたちまちその体は膨れ、興奮状態に陥り檻の中を駆け出し始めた。
「ラットは興奮状態になっておりますが、ヒトの場合は制御できますのでご安心下さい。さて、そろそろ我等がラット君が『獲物』を見付けます」
するとラットは眼前の丸太に狙いを定め、そこに牙を立てると、たちまちオガクズに変えてしまい檻の床はふかふかになった。
「滋養強壮ですから、ただ意識ばかりでなく、筋力や集中力も高めてくれるのです」
ラットは檻の柵を齧りだすが、流石に鉄には歯が立たない様だ。
「物理的限界は有りますけれどもね」
博士は説明を続ける。
「これの利点は経口摂取可能、つまり注射器等の器具が不要な点と、用途に応じてその場で調整でき、必要以上に負担を与えない事です」
そう云う間に、ラットは元の大きさに戻り、ふかふかの床の上で眠り始めた。
「彼は反動で疲れて寝てしまいましたが、実際にはその場の求めに応じた効能を自在に得られます。勿論、人体でも問題無く作用します」
博士の説明は淡々としているが、声色には慈愛の響が籠っていた。
「なるほど。これは全く便利だ」
思わず声に出してしまった。
「そうでしょう、そうでしょう。これは『薬』として調整しておりますが、先にも申しました通り『薬』と『毒』とは同根で御座いますから、『毒』にもできます。その場合は血流を激しくさせ脳卒中等を引き起こします。しかも元が薬ですから、当然毒物は検出されませんので暗殺等にも便利に使えるでしょう。僕もこつを掴む迄は大変でした」
博士はラットを見たまま続ける。
「他に、マンドラゴラとの音から曼荼羅華、つまりダチュラと勘違いされた例もありました。ダチュラも幻覚作用があるのでメスカリンの様な物は作ってみました。こちらは厳しい神経負荷を伴う場所でも摂ればたちまち極楽を顕す作用を得られましたが、マンドラゴラとは別なので今回は割愛します」
すやすやと眠るラットの元を去り、今度は地下に続く階段へと案内される。
博士はそのまま降りて行くと「危険」と書かれた扉の前に立つ。
「『危険』とは書いてありますが、まあ、僕は勝手が分っておりますのでご安心下さい」
そう言うと博士は扉を開けた。
中は射撃場の様になっており、的が置かれるべき区画はガラスで仕切られ、その向こうに数匹のラットが確認できる。天井からは植木鉢の様な箱が吊るされ、その上にはマイクロフォンも付いていた。
「先程はマンドラゴラの薬効を御覧入れましたが、三宅坂からのご紹介でも有りますから、軍事応用の実験もご紹介致しましょう」
嵌め殺しになったガラスの近く、射的場なら銃を置くべき台の上には幾つかのボタンと某かの波形を描くオシロスコープやそれを記録する機械が置かれていた。
はて?
参謀本部の事等伝えたであろうか?
「こちらの機械にはガラスの向こうの音の波形が表示、記録されております。今はラットの鳴き声や動き回る音が乱雑に出ておりますね。このガラスは二重になっておりますので、彼我の音を隔て、伝える事は有りません」
そう言いながら博士はガラスを叩く。
こんこん。
こちらにはその音が響くが、機械にその変化は見られない。
「上で説明しました通り、朝鮮人参とマンドラゴラの一番の違いは『抜く際の『声』を聞いた者は死亡・発狂する』と言う点です。今からそれを御覧に入れましょう」
説明しながら、耳栓と耳当てをこちらに手渡す。
「遮断されておりますが、万一も御座いますので、これをご着用下さい。実験開始の合図は手で送ります」
そう云いながら、博士自身も耳栓と耳当てを着ける。
ゴリツ
ゴリツ
耳当てを付け終えると、そこは完全な沈黙かと思いきや体内の音が反響する変な空間になった。
どうも頭蓋骨を通じて鼓膜を刺激しているらしい。
ふと、博士の方を向くと、何やら手を振り、指を広げこちらに向けている。
「5」と言う事だろう。
その指が一本ずつ畳まれて行く。
「4」
「3」
「2」
「1」
博士が手元のボタンを押す。
するとガラス向こうの箱から、赤く、皺だらけの赤子の顔が出てきた。
そして、一斉に大口を開ける。
オシロスコープの波形が大きくうねり、記録紙にはその跡が書き込まれ、吐き出されては畳まれて行く。
その線は酷く禍々しく見え、目を通しただけで背筋の中を細かい蟲が這いずり回る様な気配を覚えた。
——オギヤア——
——オギヤア——
目を通じて入った音は私の中でも響いた。
マイクロフォンがその音を拾い、拡声器がガラス向こうの隅々まで伝える。
それを聞いた途端、幾らかのラットは倒れ、痙攣し、泡を吹き、残りは興奮状態に陥り暴れ出し、ついには眼前の朋友を喰らい、或は壁に体を打つけ始める。
「死亡・発狂」両方起るのか……
——オギヤア——
——オギヤア——
頭の中で「声」が響き、目の裏に赤子の顔が見え始める。
——あなたは、そんな程度の人だったの——
な……涼子……
何故、そんな妄言にのり、私を捨てて……
——オギヤア——
——オギヤア——
私の中が声で埋め尽くされる。
ラットが一匹こちらのガラスに向かって跳躍し、突っ込む。
それは、頭を潰し、ガラスに赤い抽象絵画を描いて落ちた。
直後、頭の中の声は止んだ。
計器には、もはやただの直線しか出ていなかった。
おもむろに博士は耳当てを外し、大きく天井を仰ぎ見る。
何故か瞳は大きく潤んでいた。
こちらを向くと、何か言い始める。
私もも耳栓を外す。
「……実に素晴らしい成果で御座いましたでしょう?これの何が便利といって、通常の兵器と異なりただの音なのですから、欧州大戦やその後の爆撃の様に市街地に用いてもそこの生物を殺す他は破壊も汚染も起きず、施設はそのまま使える、と言う点です。しかも音は、気温にもよりますが、爆風や衝撃波よりも遥かに早く、遠く迄届きます。爆弾の代わりにこの仕掛けを用いるだけで、実に『奇麗な』殺害だけができ、しかも、残ったマンドラゴラはそのまま兵士達の薬草として使えるのですから一石二鳥。いや、実に近代的な兵器では御座いませんか?」
博士はこちらの反応を確認もせず、喜々として語り出した。
生き物だけを殺す兵器……
——オギヤア——
頭の中で、またあの「音」が響いた。
平衡感覚がおかしくなる。
——オギヤア——
「おや、慣れない光景に疲れてしまいましたかね?」
博士は心配そうにこちらをみる。
「そうだ、夕食も用意致しましたので、そちらでお休み頂くと良い。そうだ、そうしましょう」
博士はこちらの意志を確認する事無く、手配を進める。
ああ、ダメだ。
世界が拡張される……
——オギヤア——
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