四章・欲暴(4)

「なっ!?」

 驚愕するマーカス達の反応を満足気に見下ろすドロシー。ああ、そうそう、そんな顔が見たかった。そのために秘密にしてきた甲斐があった。

「彼はね、二二〇年前、私達の中に取り込まれた後も同じように囚われた人々を守ろうと、懸命に戦い続けたのよ」


 愛おしげに、杖の表面を撫でる。

 だが、杖はもう何も反応を示さない。


「でも、ついに完全に壊れてしまった。いえ、機能は正常に働いているの。この姿は無敵の私達に抗い続けるため人を捨ててまで辿り着いた究極形。吸収した魔素を使い、囚われの人々が安らげる“聖域”を私達の中に作り上げた。それが記憶によって形作られたあの旧時代の東京都」


 守るための、そして抗うための砦だった。けれど自分達の攻撃を一身に引き受けた彼の精神は次第にすり減っていき、ついには消失してしまった。

 だからこれはもう、ただの抜け殻。


「今は抜け殻の再利用をしている。このてっぺんの球体、わかる? この内部にあるのがさっきまであなた達がいた世界よ。ここではまだ、数多くの“記憶”が生きている。ごく普通に生活して、日々思い出を積み重ね、私達のために肥え太っていく」


 ここまで話せば、もう自分達の目的も理解出来た頃だろう。

 ドロシーは、たった一言でそれをまとめた。


「──あなた達も、ここへ加わるのよ」


 箱庭の住人は多ければ多いほどいい。そのためなら、この球体の中の世界をもっと拡張してあげよう。どうせ惑星全体の記憶を取り込むのだ。それを基にもう一つの地球を生み出してやる。そこで幸せに暮らせばいい。

 対価は、それぞれの思い出だけ。


「私にとっては無意味だけれど、あなた達は“納得”が欲しいでしょう。だからもう一度だけ訊いてあげる。

 抵抗せず、大人しく協力してくれない? 平和な世界で幸福を享受し、共に星々を巡る旅へ出ましょうよ」


 優しい声音で問いかけるドロシー。

 何人かは心が揺れた。デメリットのある提案だとは思えない。過酷な現実世界を捨てて、あの快適な疑似空間を選んで何が悪い?

 そう考えた瞬間、彼等の姿は消失した。驚く討伐軍の戦士達。

「な、なんだ?」

「消えた!? どこへ行ったんだ、吉邑よしむら! 井畑いはた!?」

蓮花れんか? 揺花ようか!?」

「大谷殿、谷口たにぐちも消えました!」

「これは……!」


 つまり、そういうことだろう。

 彼等は選んだ。そして取り込まれた。

 ならば、この空間に残された自分達は──


「ほとんど消えなかったわね。すごいわ、あなた達。これだけ言っても理解出来なかったなんて」

 嘲笑するドロシー。その体に絡み付いた蛇は不思議そうに残った者達を見つめる。

「まあ、そういうことなら仕方ないわね……どのみちゴールは同じだけれど、旭のようなつまらない反抗心を残されても困るの。あなた達は苦しんで死になさい」


 彼女がそう言った瞬間、今度は月華を含む大半の人間が消失した。


「月華さん!?」

 何故か朱璃と共に取り残されたアサヒは、彼女達まで屈服してしまったのかと戦慄する。しかし、そうではなかった。

「外へ放り出しただけよ。思いっ切り暴れるなら、家の中より外ってこと。彼女達の心をへし折るのはこれから」

「折れやしないわ」

 朱璃もアサヒも理解した。月華達は屈したわけではない。外というのがどこのことかはわからないが、とにかくまだどこかにいて、そしてドロシーの攻撃に晒されている。


 ならきっと、戦い続けるはずだ。命が続く限り、最期まで。


「あなた達だけは別。万が一にも逃げられるようなことがあってはならないし、直接相手をしてあげる」

 銀色の光に満ちた魔素の海。おそらく、蛇の方のドロシーの体内。

 残されたのはアサヒと朱璃だけ。

 彼は彼女を背後に庇った。

 彼女はその背を押し返す。

「朱璃……?」

「アタシを守ろうなんて考えなくていい。言ったでしょ、今のアタシならアンタとも良い勝負ができる。さっきは周りに皆がいたからね。今度は全力でやりなさい」

「……──わかった!」


 風が吹いた。魔素が渦を巻き、アサヒの体内に取り込まれる。そして、それを呼び水となし体内の“竜の心臓”をゲートに変える。無尽蔵に魔素を汲み上げ、それを己の四肢に込める。

 全身を銀に輝かせながら、さらに皮膚を赤い鱗で覆い、額に角を生やす。空中に障壁を展開して足場を作る。


「いくぞライオ! 俺達と朱璃で、あの人を倒す!」

【望むところ。我だ、我にこそ奴の喉笛を喰い千切らせろ!】

「さあ、第二ラウンド開始よ、ババア!」

「その呼び方は好きじゃない。まったく、どんな教育を受けて来たの? ご先祖様として、しっかり叩き直してあげるわ、朱璃ッ!」


 二体で一つの怪物と三人一組とがぶつかり合い、魔素の海が激しく揺れる。その衝撃は、ここへはいない者達へも伝わっていった。




「か、母様、今の音は……」

 蒼黒そうこくとの決戦の時のように風の結界で月華を守りつつ、空を見上げる風花ふうか

「上から響いたぞ!」

「ということは、もしかして──」

「あの雷雲か!?」


 希望に目を輝かせる戦士達。

 彼等は今、東京にいる。

 本物の東京の地に。


「でも、それがわかったって……」

「諦めるな!」

 月華が言おうとしたことを、マーカスが先に叫んだ。

 すり鉢状のクレーターになった、その場所の中心。九年前、シルバーホーンの放った光により何もかもが消し飛ばされ、彼の親友や仲間達の命までも失われた惨劇の舞台。

 そこに立った彼は、まだ闘志を保っていた。あの時のように怖気づき、逃げ出そうとはしていない。

 朱璃には、生存を選ぶことこそ生物として当たり前の本能だと言われたが、やはり違う。人間は、少なくとも人間だけはそういう生き物じゃない。

「さっきの音は、アイツらがまだ戦ってる証拠だ! やっぱり、朱璃もアサヒもヤロウに屈したりしちゃいなかったじゃねえか! だったらオレらも戦うんだよ! 相手の数だの強さだの、勝てるか負けるかなんざ考えんな! 動ける限り戦い続けろ!」


 周囲は全方向を数え切れない“竜”に囲まれている。あの疑似空間では姿を消していた魔素の雲が、ここへ放り出された瞬間に復活した。そして、そこから次々に記憶災害の獣達が生み出された。

 陸も空も完全に包囲されている。隠れる場所だって無い。生物型だけでなく環境型記憶災害まで断続的に引き起こされ、もう半分近い仲間が散った。

 ──ウォールまでも。


「い、巌倉いわくらさん……」

 右目を負傷した烈花れっかが、残った片方の目に涙を溜めて、それを拭う。泣いてる場合じゃない。なんのために助けてもらった。彼は自分を庇って死んだ。ウォールの亡骸を背後に庇い、最期まで死力を尽くして戦うと誓う。

「来いよバケモンども……全部、ボクの火で焼き尽くしてやる!」

「落ち着いて烈花。アサヒさん達が生きているなら逆転のチャンスはあるはず」

「わかってる!」

 友之ともゆき小波こなみは、荒い息をつきながらアシストスーツのカートリッジを交換した。これが最後の一本。でも、いざとなったら死んだ仲間のを貰ってでも戦ってやる。

「……一緒だかんね」

「ああ……」

「ったく、あたしに妹や姪っ子達を泣かせろってのかい」

 死んだ元・義弟を一瞥しつつ、大谷の治療を進める門司もんじ。今は風花と月華の結界のおかげでなんとか敵を遠ざけられているが、相手の数が多すぎる。長くは保つまい。

 だが、それでも諦めはしない。マーカスの言う通りだ。

「す、すいません……先生……」

「謝んなくていい。あたしらは人間なんだからさ」


 不合理な選択ができる。

 それが人間だ。

 自分の命を捨てて赤の他人を守ったり、これから死ぬとわかっている人間に全力で治療を施したりする。

 それが人間だ。


「信じて待つよ、坊や、班長」

「なるべく一斉に襲いかかってこれないよう、私が防ぐ。さあ、ここから反撃よ!」

「はい!」

 月華の号令に声高に応じる生存者達。

 その頭上で、再び雷鳴に似た音が轟いた。

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