四章・欲暴(3)

 ──二二一年前。ちょうど、あの崩界の日から三十年後のことだ。魔素に関する研究を行っていたドロシーは、地下水脈に溶け込んだ魔素が周辺の環境や生態にいかなる影響を与えるか調査していた時、接触を受けた。

 驚きだった。父が発見し、自分と同じ名前を付けた彗星。その正体が意思を持つ高密度魔素結晶体だと知ったのだ。

 彼女は協力を求めていた。拡散してしまった“自分”を再統合するため、地球上の魔素を一ヵ所に集約したい。けれど彼女自身の能力ではそれに数万年の時を要す。しかも長く時間をかければかけるほど本体から離れた“欠片”は独自の意思を宿し、再統合の妨げになってしまう。

 だから、とてつもなく強大な魔素吸収能力を有する個体を取り込んだのだと伝えて来た。それが誰なのかは、すぐに理解出来た。自分の夫が同じ能力者だったから。


『彼ノ、お母サンを取り込んだノネ?』


 そして、その時すでに暴走を始めつつあった残りの“欠片”の回収を急ぎたい。だからもう一体の能力者を自分に与えて欲しいと“彗星ドロシー”は懇願した。

 彼女になら、それができるはずだと。


『……ナラ、私ノお願いモ聞イテ』


 ドロシーは契約を持ちかけた。彗星の最終的な目的が、完全な再統合を果たした上での故郷への帰還だと知り、利害が一致すると考えた。


『私ヲ、いえ……私達ヲ、連れてイきなさい』




「連れて、行く……?」

 虚空を漂ったまま、初めて驚く朱璃。彼女はあの時、新潟のプレート境界線で何者かに試されたと感じてから、彗星のドロシー以外の第三者の存在を察していた。何者かが別の思惑で動いていると推測し、消去法でその正体についても一人に絞り込んであった。


 ドロシー・オズボーン。


 仙台で発生した崩落事故。それに巻き込まれたものの遺体が見つからなかった彼女なら生存の可能性がある。そして伊東 旭の妻だった彼女だけが彼の母・伊東 あきらに匹敵する理由にたりえる。


 救出と、そして敗北の。


 しかし、本人が人類を裏切った動機については全く予想が外れていた。まさか、そんなことのために……。

「意外そうな顔ね。こちらとしても意外だわ、あなたには理解してもらえていると、そう思っていたのに」

 眉をひそめるドロシー。この朱璃という少女は子孫だけあって自分と実に良く似ている。利発ではあっても、旭の方の気質を受け継いだ娘・光理ひかりとは大違い。


「知りたくないの? この宇宙に数え切れないほどある、別の星々のことを」


 あの瞬間、ドロシーの目的を聞かされた時、初めて天文学の虜だった父の気持ちが理解できた。オズボーン家は、きっとそういう家系だったのだ。

 好奇心が抑えられない。知りたい。もっと知りたい。もっと、もっと、あらゆる未知なぞ既知ちしきに変え、未体験の世界を余すことなく体験したい。


「あらゆる記憶を保存する魔素は、そしてその結晶である“ドロシー”は、そんな私達の欲望を満たしてくれる。何もかもを私達に味わわせてくれる」


 だから裏切った。

 死を偽装し、王国を離れ、そして、その事実が“彼”にだけ伝わるようにメッセージを遺した。

 事実を知った彼がどう動くかなんて、火を見るよりも明らかだった。なにせ自分が彼をヒーローとして仕立て上げたのだから。妻を、そして母を救い出すため、人々の命を守るため、星を生かし続けるために戦いを挑む。正義感と使命感で心を燃やし、必ず東京までやって来る。


「案の定、彼は来た。南日本の術士達まで連れて来たことは意外だったけれど、結局私を救うか殺すかで迷い、その隙を突かれた」


 あの日あの場所にいた月華を見つめ、嗤う。月華もまた、あの場所で仕留め損ねた宿敵を睨みつけ、歯を軋ませた。

「ドロシー……!」

 たった一度の失敗を取り戻し、こうして再び対峙するために二二〇年もの月日を要してしまった。その間に、いったいどれだけの数の子供達を犠牲にしてきたことか。

 あの日あの時あの場所で、自分達二人がこの女を仕留められていたなら、犠牲者の数は遥かに少なくて済んだのだ。

「母様……」

「お前達、心して聞きなさい。そして絶対諦めないで。あれが本当の敵。この世界を蛇に売り渡した女よ。奴さえ倒せば活路は拓ける」

「そんな必要は無い。知っているでしょう月華? あの時あなたにも説明したじゃないの。私は別に、誰も殺すつもりは無いんだって」

「えっ……?」

「殺さない?」

「戯言を」


 月華は相手の発言を一蹴する。


「単に“記憶”として取り込むだけでしょう! それを生かすとは言わないわ! 肉体を破壊し、魂を縛りつけて“燃料”に利用するだけ!」

「いけない?」


 ドロシーは否定しなかった。


「別に苦痛を与えるわけじゃない。もちろん、死ぬ時には一瞬だけ痛い思いをしてもらうかもしれない。でも、その後はとっても楽になれるの。さっき見せたでしょう? 私達の、いえ、正確には“彼”の作り出した箱庭の中で永遠に穏やかに暮らせる。望めばどんな夢だって叶うわ。私達はただ、その代償として少しずつ記憶を貰うだけ」

「記憶……?」

「どういうことですか、母様」

「蛇の力よ」

 彗星のドロシーには先程戦ったカマキリ同様、霊力を利用した特殊な力がある。先天的に持っていたものか、宇宙を旅する間に後天的に獲得したのかは知らないが、魔素に保存された“記憶”を霊力へ変換できるのだ。


(あの人と同じ力……あんな獣風情が……)


 ドロシーがこの惑星に拡散した魔素を欲しがるのはそのためだ。自分自身の完全復活を果たすと同時に、地球の生物の“記憶”までたっぷり手に入れられる。


「ここまで彼女は、自分の記憶と、旅の最中で接触した生物の記憶を燃やして飛んで来たのよ。でも、それではあまりに効率が悪いわ。だから旭が私達に抵抗するため作り出した疑似空間を利用することにしたの」


 次の瞬間、ドロシーの目の前に一本の杖が現れた。骨のような質感で、そのせいか生物的な印象を抱かせる。頂点には水晶のような球体が嵌め込まれていた。まるで、最初からそこにあったかのようなそれを掴み取り、見せびらかす彼女。


「これが今の彼」

「何?」

「あら、わからない? なら、もっとよく見なさい。北日本王国の皆、これがあなた達の英雄、初代王・旭の成れの果てよ」

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