五章・桜花(1)

 魔弾が走り、障壁が受け止め、ひび割れたそれをアサヒの拳が砕き、ライオが雷で追撃をかける。

 ドロシーが避けると同時、蛇が長い胴をくねらせてアサヒの攻撃を掻い潜り、そのまま腕に絡み付いて来た。締め上げられる前に自ら右腕を切断して逃れる。援護のため朱璃あかりはさらに魔弾を放つ。

 だが、実はそれはブラフ。本命は気付かれないよう遠回りで伸ばした霊力の糸。それが首に絡み付く直前、ドロシーは糸を“視て”かわす。

「チッ!」

「危ない危ない。昔のことだから忘れてたわ。月華げっかの得意技でしょ、それ? さっき私を捕まえたのもその糸ね。霊術まで使えるなんて本当に有能な子。でも対処法は知ってるの。あさひと彼女の戦いを見てたし」

 この空間には魔素が霧となって満ちている。蛇のドロシーの力を借りれば、その全てをレーダーとして利用可能。そもそも蛇の彼女は霊力を認識できる。だから予め感覚を同調させておけば、視覚的にだって捉えられる。

 朱璃とアサヒ。この二人、いや、ライオを含めて三人。出会って一年にしては悪くない連携だ。工夫もしている。けれど、まだ足りない。

「ねえ、それで本気なの? この私達を倒したければ、もっと全身全霊で挑んで来ないと駄目よ?」

 余裕綽々のドロシー。説教のつもり? 違う、あれはリクエスト。朱璃の中で嫌悪感と確信が深まっていく。戦えば戦うほど、この女と自分との繋がりが鮮明になる。

 たしかにコイツは自分の先祖らしい。考え方がよく似ている。一族が代々継承してきた頭脳や戦闘センスも、なるほど伊東 旭というより、この女の方から受け継いだ才だったのかもしれない。


 それが無性に気に喰わない。


 彼女の斜め前では、アサヒが右腕を再生させつつ唸った。

「何度やっても当たらない……」

 スピードではこっちが上だ。さっきのような街中と違い、ここには障害物が何一つ無い。さらに速く、鋭く動けている。なのに、全て紙一重で避けられてしまう。最小限の動きのため、すり抜けられているかのようだ。

(ただ追いかけるだけじゃ駄目なんだ。あの人みたいに先を読むか、朱璃みたいに意表をついた攻撃を仕掛けないと……)

 隙を伺いつつ、必死に考えるアサヒ。だが、これまで幾度かの死闘を重ねて来ただけに理解出来てしまう。どこにも隙など無いと。朱璃の手の内まで把握した今の彼女の守りは、さっき一度だけ捉えられた時とは比べ物にならない堅さ。しかもあの時とは違い、今は班の仲間達の援護さえ無い。いったい、どうやったらこの怪物を仕留められる?

(方法はもう一つある。避けられないほど広い範囲をまとめて吹き飛ばすこと。俺と朱璃とライオの三人で防御すれば、蒼黒そうこくの時みたいに防ぎ切れる。問題は拳に魔素を集めるとすぐに気付かれてしまうこと。時間もかかる。この人はきっとそれを見逃さない)


 ──そうして、虎視眈々と自分の首を狙う彼を見やり、ドロシーは苦笑した。


「あなた、私への攻撃に躊躇が無いわね。なるほど、旭の思惑通りか」

「え?」

「記憶が無いんでしょ? 崩界の日の直後から、サルベージされるまでの間の分。それは何故だと思う?」

「聞くな!」

 突然朱璃が発砲する。それを障壁で防ぎ、空中を滑るように飛んでアサヒへと迫るドロシー。未来位置を予測して偏差射撃を行っても、相手はそれを計算に入れ、正確に防御と回避を実行する。種が割れてしまえば一秒先の未来を読めるアドバンテージもさほど強みにはならない。

【やめろッ!】

 再生中の右腕を自身のそれに変化させ、アサヒの意思に関係無く攻撃を繰り出すライオ。だが、その一撃もまた容易くかわし、彼女は少年の懐へ飛び込んだ。


 そこへ朱璃は、躊躇無く魔弾を放つ。


「!」

 なおもかわされたが、アサヒから引き離すことには成功した。ドロシーは一旦二人から距離を取り、瞠目して呟く。

「ひどい奥さんねえ」

「び……びっくりした……」

 アサヒの腹が抉れている。朱璃は自分の夫ごと彼女を撃ち抜こうとしたのだ。

「アンタに言われたくないわ! 第一、そいつに当たっても死なないことはとっくの昔に確認済みよ!」

「たしかにそうだけど!?」

 伴侶に蜂の巣にされた回数で言えば、おそらく自分は世界一。悲しい事実を再確認して眉根を寄せるアサヒ。

 ドロシーは、少女のようにけらけらと笑う。

「アハハハハハ! まったく面白い子達ね、だから連れて行きたいのよ。他の有象無象は家畜だけれど、あなた達だけは賓客。誰よりも厚くもてなしてあげる。どう? それでも話に乗るつもりは無い?」

「無い!」


 アサヒは即答した。何をどう言われようと、この女の口車になど乗るものか。自分の道は自分で決める。あの日、福島のエレベーターシャフトでそう決めた。

 そして、その直後に実際に選んだ。この時代で、この世界で生きていくと。伊東 旭の模倣体ではなく、アサヒという別の存在として。


 ──だが朱璃は回答しない。ギョッとしたアサヒの目の前で、ドロシーが今一度そんな彼女へ問いかける。

「あなたは?」

「アンタの言ってることは、合理的よ」

「朱璃!?」

「この星は魔素に汚染された。記憶災害なんて馬鹿げた現象が頻発する。だったらそれを捨てて新天地を目指すのも、たしかに選択肢の一つ。でも、惑星間の移民なんて今の技術じゃ到底不可能。旧時代の技術が蘇ったとしても問題が山積み。だったら人類全体を魔素の力で統合して、元凶であるドロシーに責任を取らせ、不可能を可能に変える。

 ……そんなやり方も、実際ありだと思うし、それで救われる人達だって大勢いることは間違いない。アンタが見せてくれた旧時代の東京は、とても平和だったもの」


 想像する。あの世界でアサヒと過ごせたならと。お互いに歳を取らず、永遠に今の姿のまま彼と生きられる。

 そこには母もいずれ加わるだろう。過去のしがらみから解き放たれ、罪の意識を持たず、ごく自然に接してくれる理想の母親となって。

 魔素が二五〇年前から、この星の全ての生物を記憶しているというのなら、父にだって再会できるに違いない。マーカスは大はしゃぎするはず。


「でも、断る」

「アンタはもしかしたら、アタシより賢いのかもしれない。でも一つだけわかってないわ。人間は合理性だけに依らない。理詰めで動く時ばかりじゃない。むしろ、わけわかんないことを何度も何度も繰り返す不条理な生き物。

 腹が減ってるのに、飯を食わずに小説を書く馬鹿がいる。自分の命が危ない時に、他人のことばかり気にかけるお人好しだっている。育児放棄して、我が子の暗殺まで依頼しておいて、それでもやっぱり愛してるなんてぬかす、とんでもない母親だっている。

 それが人間よ! アンタがこの世界に退屈したのは、他人を理解することを諦めたからでしかない! 好奇心の塊を自称するなら、まずはこのわけわかんない生物の謎を徹底的に解き明かしてみなさいよ! アタシはまだ、そこに興味がある! もっとたくさん他の人達のことを知りたい! だから今は、この星に残る!」


 朱璃の啖呵に、ドロシーは全く動じない。むしろ哀れむように目を細めた。


「人間の研究なら私達の世界でだってできるでしょう? いったい、何十億の研究対象がいると思うの?」

「あれが人間?」

「そうよ」

「だったら何故、彼等はアタシ達を認識できなかったわけ?」

「……」

 沈黙するドロシー。聞くまでも無い、答えはもうわかっている。

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