三章・東京(3)

「触れるのに……」

 若い男女が並んで座っていた。その女性の方の肩をつつく友之。

「なんでそっちなんだよ!」

 小波が頭を引っ叩く。とはいえ彼の言ったことそのものは事実だ。こちらの存在に対し無反応なこの人々は、けれど単なる映像というわけではなく触れる。実体がある。

「質量を持った立体映像、とでも解釈すべき?」

 自論を述べる月華。朱璃は仮想世界と言ったが、幻にしては現実感がありすぎる。自分達の肉体も装備も、たしかにここに存在している。トンネルの中へ戻れば簡単に崩界後の世界へ逆戻りだ。少なくとも集団で幻覚に囚われているわけではない。

「精巧な幻を見せる霊術もあるけれど、これだけの規模と現実感を両立させることは私にだって不可能。幻覚ならどこかに“夢っぽさ”も残るものよ。やはり魔素による再現だと考えるべきね。疑似空間とでも呼びましょうか」

「了解」

 霊術のエキスパートが断言したのだ、そこは信じよう。ともかくここは幻ならぬ魔素によって再現された都市であり、道行く人々もアサヒと似たような実体を持つ記憶。物理的接触は可能だが、こちらのことは認識できていない。

 それを、幽霊でも眺めるような眼差しで見つめる討伐軍一行。

「全部、大昔の人間なのか……」

「この街そのものが魔素やて……」

「向こうが東京のはずだよな」

「見た限りじゃ、あっちも旧時代の景色そのままだぞ」

「さっき似たようなものを見たことがあるって言ってたけど、それもここでの話?」

 朱璃の問いかけに、月華は頭を振った。

「いいえ、全く別の場所で起きた出来事。私達は彼をサルベージするため定期的に東京を訪れていたけれど、ここでこんな現象に出くわしたのは初めてよ」

 と、目線でアサヒを示す。

 彼自身も否定した。

「前は、こんなんじゃなかった」

 彼にもサルベージされた直後からの記憶はある。以前桜花達と逃走した時の東京は多少旧時代の建築物の残骸が残っているだけで完全な廃墟だった。

「ドロシーの仕業でしょうか?」

 大谷の質問に、さあねと返す朱璃。現状、答えを絞り込むための情報が足りない。

「他にできそうな奴の心当たり、ある?」

「いえ……」

「なら、決めつけるのは早計。とりあえず、もう少しこの辺りを調べてみるわよ」

 このままでは進むべきか退くべきかもわからない。

 そう言おうとした瞬間、変化が起きた。

「殿下、あちらを!!」

「へえ」

 陸軍大将の示した方向を見ると、天に向かって銀色に輝く光の柱が伸びていた。かつて筑波山、福島、大阪──過去三度、アサヒが出現させたのと同じもの。

「どうやら誘ってるようね」

「みたいだわ」

 同意する月華。あれは敵からの挑発。進退を決めかねていた自分達へ、さっさと進めと呼びかけている。

 そしておそらく、これはテストでもある。

 ならばと朱璃は決断した。動揺している兵達も落ち着かせなければならない。そういう役割も王太女の仕事。指針を示せば彼等はちゃんとついて来る。

「あの光の柱を目指す! 隊列そのまま、各自周辺を警戒しつつ前進!」




「あー、自動車にも乗ってみたかったなあ」

「我慢我慢」

 ぼやく友之と宥める小波。兵士や術士達の中にも次々通り過ぎていく車両を興味深げに見送る者達がいる。当然だが崩界後の世界に生きる彼等にとって、ここは“歴史”の中にしか存在しなかった場所なのだ。未知ではないが、未体験の宝庫。

 一行は馬に跨り、車道の端を進んで行く。せっかくだからバスや電車を利用することも考えたものの、人数が人数なので断念した。それにやはり不気味で恐ろしい。都市全体が魔素なのだから、乗り物だと思って乗り込んだ途端、竜の口に代わるなんてことも起こりうる。

 ドラゴンに喰われるなんて体験は、一生に一度で十分だ。自分自身にその記憶は無いが、想像してみたアサヒは身震いする。

【余計なことを考えるな】

(いや、別にお前を責めてるわけじゃ……)

 彼にとっても古傷なのだろう。かつて伊東 旭と彼の母親を捕食したライオは、思考に割り込んできて強引に想像を打ち消した。本当にそういうつもりはなかったのに。

(ごめん)

【許そう。それより油断するな、近くに奴の気配を感じる】

(ドロシー?)

【……そうだ】

 何故か一瞬の間があった。眉をひそめるアサヒ。今のはなんだったのか訊ねようとする。だが、ちょうどそのタイミングでマーカスが声を上げた。

「コイツら、どうなってんだ」

 いつの間にか一行は人の多い市街地まで辿り着いていた。大勢の人間が歩道を行き交い、それでいてやはり、誰も自分達の存在に気が付かない。

「ここまで徹底的に無視されると、かえって清々しいわね」

 不自然さを嘲笑する朱璃。そんな彼女に意識を取られた瞬間、アサヒは今しがた抱いた疑念を忘れてしまう。

(あれ?)

 何かをライオに訊ねようとしていた。それは覚えている。しかし、なんだったのか思い出せない。

 まあ、こういうことはたまにあるものだ。彼はそれ以上気にしなかった。

「うわっ!!」

「あ、あぶなっ」

「気を付けてください! 信号は青が進めですよ!」

 古の交通ルールや信号機の存在に慣れていない現代人達は、何度も車にぶつかりそうになる。危なっかしくて見てられない。こまめに注意を促していたアサヒは、いいかげんに疲れて来て朱璃に提案した。

「これ、徒歩で進んだ方がいいんじゃない?」

「駄目。いざという時の足は必要」

 この謎の空間から出る方法は、今のところあの東京湾アクアラインしか判明していない。撤退の必要が生じた時、一気に駆け戻るための馬は必要だ。


 ところがアサヒの提案が却下された、その瞬間──突然周囲の景色が銀一色に変わった。そしてまた別の景色が現れる。


「!?」

「な、なんだ!? いきなり違う場所になったぞ!」

「ここは……」

 月華はその場所に見覚えがあった。かつて一人の少女から傘を譲り受けたところ。

「あ……」

 アサヒも知っている。なにせ生まれ育った街だから。

「新宿駅……東口だ」

「ここが?」

 資料で見てどういう場所かは知っていたが、流石に突然のことでわからなかった。驚く朱璃。

 新宿駅東口駅前広場。ここから南東方向にしばらく歩くと新宿御苑がある。アサヒ達が二年間暮らし、ライオによって焼き尽くされた地下都市は、その真下に造られた。御苑の一角に地下と地上を繋ぐエレベーターが設置され、建設工事期間中、作業員達は毎日そこから行き来していたのだ。

 そして、その御苑がある方向に例の光の柱が立っていた。あの一瞬で間近まで移動させられたらしい。

「どういうこと……空間を捻じ曲げたとでも?」

「いえ、違うわ」

 何故か断言する月華。

「私は空間転移を見慣れている。だから違うと言い切れる。移動したのは私達でなく都市。魔素で組み上げた世界を、瞬時に別の部分と入れ替えてしまったのよ」

 この街は積み木を重ねて作った箱庭のようなもの。支配者はこちらがゆっくり移動して来る様を眺め、痺れを切らした。だが朱璃の言うような他者を別の空間へ転移させる力は持っていない。だから代わりに自在に操れる街の方を動かした。先にあった積み木を横へどかし、来て欲しかった場所の方をこちらの足下に持って来た。

「だとすると……」

 目を細め、馬から降りる朱璃。どういうことか訝る仲間達に、戦闘準備を促す。

「もう脱出のことは考えなくていい。トンネルを出た時点で、アタシらは敵の手の平の上だった。街全体を自在に動かせるなら逃げようとしたって逃げられるわけが無い」

 東京湾アクアラインを目指しても、今と同じように強制的に別の地点へ置き換えられる。永遠にあの場所まで戻ることはできない。

「つまり、ここで決着を付けるのよ」

「ご名答。流石ね朱璃」

「!?」

 驚愕するアサヒ達。これまで全く反応を示さなかった通行人達のうち一人が、急に立ち止まってこちらへ振り返った。

 赤い髪の女。瞳の色は茶。アサヒと同じくらい背が高く、無駄な肉付きの無い細い体躯。白いタイトなドレスを身に纏い、妖艶に微笑んでいる。

 アサヒは、どこかで見たことのある顔だと思った。しかし思い出せない。南日本の術士達も眉をひそめる。

 いや、カトリーヌ達、北日本に潜入していた工作員だけは目を見開いていた。同様に北の兵士達も困惑する。

「あ、あの顔……まさか……」

国母こくぼ様……?」

「あっ」

 彼等の言葉を聞いて、アサヒもようやく思い出す。そうだ、朱璃から歴史を教わった時の教科書に肖像画が描かれていた。彼女は、あの蛇と同じ名の──


「ドロシー・オズボーン」


 女は自らそう名乗る。そして笑った。口角を片方だけ、高く高く吊り上げて。茶色の目を嘲るように見開いて。


「ようこそ、彼の模倣体まがいもの。ようこそ、私の血を引く少女あかり。私達の魔法オズの国、エメラルドの都へ、ついに辿り着いたわね」


 ──次の瞬間、白いドレスの一部が変形して細長い生物に変わる。それはかつて福島でアサヒを飲み込もうとした、あの“蛇”の姿。

 北日本の初代王妃ドロシーが、彗星のドロシーと共に、そこに在った。

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