三章・東京(2)

 東京湾アクアライン。旧時代に建設された海を渡る高速道路。名前に“東京”と入っているものの、あくまで東京湾を横切るだけで都内には掠ってもおらず、神奈川県川崎市と千葉県木更津市が出入口。

 木更津側からは海上を四kmほど進み、中継地点の海ほたるという人工の島を経由して海底トンネルへ入る構造になっている。その海上部分の道路はとっくに崩落してしまっているのだが、月華の規格外の霊力があっさり問題を解決した。

「う、うわっ!?」

「浮かんだ!」

 驚く兵士達。彼女は一行の足下に巨大な霊力障壁を展開し、彼等を乗せたままで空中へ持ち上げたのである。

 下が透けて見えるとパニックを起こす者もいるかもしれない。なのであえて光を完全に遮断する設定にしてあり、見た目には影が浮かんでいるように見えた。

「このまま東京に突っ込んだらいいんじゃない?」

「流石に、この人数を乗せたまま防御のための障壁まで展開して長時間飛ぶのは勘弁してほしいわ」

 朱璃の提案に頭を振る月華。早くも額に汗が滲んでいる。いくら規格外の霊力を有していても、術の制御まで楽になるわけではない。むしろ出力が高ければ高いほど、こういう緻密な操作は難易度が上がる。

 飛翔術を覚えた朱璃も、そこは理解している。だからさっきのは冗談。本当にこのまま東京へ向かえと言ったわけではない。そもそも、あの魔素の雲に突っ込むのは月華の結界で守られていたとしても危険過ぎる。渦に巻き込まれた浮遊物が擦れ合い帯電することで、中では常になんらかの記憶災害が生じている。

 数分かけて人工島の海ほたるまで到着した。基礎部分以外、ほとんど何も残っていない。とはいえ二五〇年も放置されてきたのだ。数々の災害に見舞われた上で今なお残っていることを奇跡と讃えるべきかもしれない。

「俺、母さんと遊園地に行く時、ここ通ったな……」

 オリジナルの幼少期の記憶を振り返り、感傷に耽るアサヒ。覚悟はしていたが思い出のある場所が変わり果てた姿になっていると、やはり堪える。

「さて、鬼が出るか蛇が出るか」

 最初にトンネルへ踏み込む月華。正確には浮遊し、小規模の障壁を展開して後続の馬が通りやすいよう道を均しながら進む。まだ辛うじて通れる状態ではあるものの、海底トンネル内は積もり積もった泥が固まり、貝などの生物が繁殖して自然の洞穴とさほど変わらない状態になっていた。

 ついていく朱璃達。馬上から見渡すと、なるほど菊花と凛花の報告通りゴカイか何かの変異種と思しき生物が何者かによって蹴散らされていた。数え切れない死骸が転がり異臭を放っている。

「何が起きたんだ……」

 しばらく進むと壁に爪痕のような亀裂が走っていた。これを刻みつけたものが犯人だとすると、少なくとも人間の仕業ではない。

「うわっ!?」

 急に驚いたアサヒへ全員の注目が集まる。霊術で作った照明が照らし出す中、彼は失態に気付き慌てて手を振った。

「す、すいません。虫が落ちて来ただけです」

「アンタ、まだ虫が怖いの?」

 呆れる朱璃。彼は唇を尖らせる。

「しかたないじゃないか。足がいっぱいある生き物は、なんか苦手なんだよ」

「そういう風に怖がってばかりいると、百足っぽい竜が現れるかもよ」

「やめて、そんなのと戦いたくない!」

 朱璃が言ったら現実になりそうな気もした。身震いするアサヒ。

 しかし、それからしばらく進んでも何も起こらなかった。

「記憶災害だったんスかね?」

 推察する烈花。何もいないということは、この殺戮を行った怪物は記憶災害で一〇分間の維持限界を迎え消失したのかもしれない。そう考える。

 だが、朱璃は即座に否定した。

「違う」

「なんでッスか?」

「記憶災害で再現される記憶は、周囲の環境に左右されるからよ」

 このトンネル内の環境は現在の状態になってからほとんど変わっていないはず。それがこんな凶暴な怪物を再現しやすいものだとすると、そもそも変異種達は住みつかない。別の場所を棲み処に選び、ここへは近付きもしないだろう。

 変異種の群れがここで繁殖していた。その事実が事態の異常性を物語っている。これは、本来ここに現れるはずのない怪物がもたらした死。

「多分、アイツなりの歓迎の証よ」

「え?」

「まさか……“ドロシー”の仕業だとでも?」

「確証は無いけどね」

 斬花の問いかけに頷く。敵はアサヒを手に入れたい。なら、彼が自分の方から懐へ飛び込もうとしているこの状況、諸手を上げて迎え入れてもおかしくない。殺戮は、その一環。邪魔な虫を掃除しておいてくれたわけだ、彼のために。

「ケッ、オレらのこたぁ眼中に無さそうだな。生意気な蛇公だ」

「おかげで楽に通れたんだし、いいんじゃないスか?」

「この変異種の群れも、あたし達を見たら襲って来たんだろうしね。どっちみち倒されてましたよ」

「そうそう、ここは厚意に甘えようじゃないか──っと?」

 マーカス、友之、小波、門司が会話していると急に馬達が脚を止めた。先行する仲間がやはり立ち止まってしまったからだ。

「なんだ、どうした?」

 問いかけに大谷が振り返る。

「それが……」

 彼女は信じられないものを見たように顔を青ざめさせていた。先頭を進んでいた月華も神妙な表情で引き返して来る。

「とんでもないことになってるわよ」

「とんでもないこと?」

「すぐにわかるわ」

 そしてまたトンネルの出口へ向かう月華。動揺する兵達の間を通り、彼女のすぐ後ろをついていった朱璃達は、ほどなくして絶句させられる。

「な……」

「ど、どう……なって……」

 海底トンネル出口。光が射し込んでいるのに、何故かその向こう側が見通せない奇妙な場所。その光の中に踏み込み、一歩進んだ瞬間、目の前に異様な光景が広がっていた。


 車が走る。クラクションが鳴る。

 遠くにビルが立ち並び、どこからか音楽が流れて来る。

 頭上には爽やかな青空。雲の障壁は消え去った。近くにある羽田空港から飛び立ったのだろう、旅客機が頭上を横切って行く。

 神奈川県川崎市。そこには旧時代の風景が、そのまま広がっていた。




「……仮想空間みたいなもの、のようね」

 しばらくトンネル出口付近に留まり調査を続けた朱璃は、そう結論付けた。

 アクアトンネル出口、あの場所が謎の空間と現実世界の出入り口にもなっているらしく、中へ戻ると元の荒廃した景色だった。だが一歩でもこちら側へ踏み出すと旧時代の川崎市が姿を現す。

「これも魔素の力なんスか……?」

「その可能性が高い」

 やはり断定はできないが、起きていることを考えると、それ以外には考え辛い。月華も同意した。

「昔、似たようなものなら見たことがある。記憶災害とはちょっと違って、人間の記憶を魔素がスクリーンになって投影するのよ」

「ふうん……ところで、あの建物、気にならない?」

「なら、行ってみましょう」

 朱璃達はトンネル出入口の背後にある浮島換気所を訪れてみた。ピラミッド型の建物だ。

「もしもし? ちょっと訊ねたいんですけど」

「駄目ね、誰も反応しない」

 中には数人の職員がいたが、誰一人、彼女達の呼びかけに応えなかった。それどころか存在を認識されてすらいない。突然謎の武装集団が現れたのに平然と普段通り業務を継続している。

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