一章・穏冬(2)

 海軍は港へ戻り、そこから地下通路を使って地下都市秋田の西エレベーターシャフトへ漁の成果を運び始めた。アサヒはまだ艦上に残り、周辺を警戒しつつ感嘆の吐息を漏らす。白く煙った息を。

「真っ白だなあ……」

 見渡す限りの雪、雪、雪──年末が近付き、地上は雪で覆われていた。東京出身の彼にとっては見慣れない風景。映像でならこんな雪景色を見たこともあったが、やはり本物を目の当たりにすると違う。ここが北国なのだと実感できる。

 東京ではビル風が冷たかった。ここのは山から吹き下ろして来る風。今日のように特に寒い日の雪質はサラサラで非常に軽く、風が吹く度に積もったそれが宙を舞い、地吹雪と化す。地上で作業している兵士達が悲鳴を上げた。きっとものすごく冷たいんだろう。

(なんか俺、ずるいよな)

 大阪での戦いで強制的に痛覚を蘇らされた後、あれをキッカケにコツを掴んでしまったようで、今では自由自在に特定の感覚を遮断できるようになった。二時間ほど前に地上へ上がった時には、あまりの寒さにあっさり心が折れてしまい、温度を感じないようにしたのである。

「あ」

 ふと思いついた彼は、艦上から手を伸ばし、作業中の兵士達を守るための巨大な障壁を展開してみた。突然吹雪が止み、気が付いた彼等は振り返って感謝を述べる。

「ありがとうございます、アサヒ様!」

「流石です!」

「ははは、いや、ははっ」

 喜んでもらえたのは嬉しいが、やはりずるいことをしているようで心苦しくもある。昔、オリジナルの自分もこんな気持ちで王様をやっていたのだろうか?

(でも、感覚の遮断もそうだけど、こういう小さいことの積み重ねで少しずつ力の使い方を知ってったんじゃないかな……)

 オリジナルは何故か、一七歳以降の記憶の大半を与えてくれなかった。なのでアサヒも、彼と同様に自身の力について一から学んでいかなければならない。偽りのシルバーホーン、人斬り燕、蒼黒そうこくと戦ったことによりかなり上達したとは思うのだが、全盛期の伊東いとう あさひを知る人物に言わせると、それでもまだまだだそうだ。オリジナルの自分はいったい、どれだけ強かったと言うのだろう?

(記憶か……)

 こんな雪景色の中にいると、一つの記憶を思い出す。たった一つだけ自分の中にも転写されていた王としての伊東 旭の記憶。


 母を助けるため、たった一人の娘と別れ、仙台から旅立った。

 そんな彼の“後悔”が、この頭の中にこびりついている。


 ただ、筑波山で拾われてから九ヶ月ほど経つ。その間に色々とあったため、もはやこの記憶を自分のものだとは認識し難い。ほとんど他人のそれ。

 もちろん、だとしてもオリジナルの哀しみは伝わって来る。船縁で感傷に浸るアサヒの背中に艦長の水無瀬が声をかけた。

「ありがとうございます。さっきもそうでしたが、アサヒ様に手伝っていただけると実に作業が捗る」

「なら、いいんですけど……」

 歯切れの悪い返事に、まだギリギリ三〇代だという艦長は眉をひそめた。

「お疲れですか?」

「いえ」

 気疲れならするが、この体ではもう、肉体的な疲労とは縁が無い。

 初代王の後悔について軽率に語るべきではない。なんとなくそう思ったアサヒは、自分から質問を投げかけて話を逸らす。

「えっと、前から思ってたんですけど、向こうの山から何本も突き出てる針みたいなもの、なんなんですか?」

 彼が指差したのは秋田市──今は何も無い平野──の奥にそびえ立つ大平山という山だ。標高は一三〇〇m。昔はもう少し低かったらしいのだが、崩界の日以降の地殻変動が原因で上昇した。その山肌に無数の長いポールが立っている。

「ああ、避雷針ですよ」

 艦長が答えた通り、その役割は雷避けである。

「ハタハタだけならいいが、落雷は“竜”まで呼ぶでしょう。なので、なるべく地下都市から遠い位置へ落ちるよう、あの山に。私の曽祖父も若かりし頃、設置作業に参加したと祖父から聞きました」

「なるほど」

 落雷時、再現された記憶災害の種類によっては地下八〇〇mの深度にある地下都市まで被害が及びかねない。それを防ぐためのものだったのか。

「ここからでは森が邪魔で見えませんが、旧秋田市の周辺には同じものが多数設置されております」

「そうなんですね、ありがとうございます」

「いえいえ、この程度、受けたご恩に比べますれば」

「はは……」

 自分はまだ、オリジナルほど多くの人々を助けたわけではない。どうしても彼と自分を比べてしまう癖がついたアサヒは、素直に喜べず頭を掻く。

「さて、地下道への搬入作業が終わったようです。我々は艦を隠すとしましょう。後少し、護衛をお願いできますか?」

「喜んで」

 彼が頷いたのを確かめ、錨を上げさせる艦長。港に接弦していた艦が次々舳先の向きを変え、スクリューを回して動き出す。電気は使えなくともボイラーが焚ければ蒸気の力で船は動く。場合によっては帆を張って風の力にも手伝ってもらえばいい。

 ゆっくりと進んだ計四隻の軍艦は秋田運河へ入り、昔、ポートタワー・セリオンという施設があったあたりで係留された。今はもう、その建物は名残すら見当たらないが。

 周辺に石垣が積み上げられ、頭上では植物の蔓が複雑に絡み合い、屋根を形成している。自然にこうなったわけではないが、人の手によるものでもない。


「キッ!」


 その蔓に掴まっていた動物が甲板へ飛び降りて来た。艦長は彼等に渡すため取り分けておいた魚と、地下から持って来た果物を指で示す。

「持ってけ。代わりに、しっかり守れよ」

「ウキッ!」

 取引相手は猿だった。他にも何匹か蔓に掴まっており、海軍の持参した土産に興奮して吠え始める。ここは彼等の縄張りで、だから他の変異種も近付かないのだそうだ。人間は高い知能を持つ猿達と取引することにより、大事な艦船を守ってもらっている。

 支払いが少ないと怒って、甲板に糞をするらしいが。

「アサヒ様がいらっしゃると、こいつらもおとなしい。威厳が伝わっておるのでしょう」

「いや、そんなことは……」

 副長が耳打ちする。明らかなおだてに持ち上げられた当人は苦笑い。知能の高さゆえか東京からの距離のためか、ここの猿達は“ドロシー”に操られる気配が無い。しかし彼のことはやはり怖がっており、絶対に近寄って来なかった。

「何もしないって……」

 もちろん襲って来るなら迎え撃つが、友好的な動物とは仲良くしたい。そんな彼の想いは今日も伝わらなかった。

 無事に艦から降りた乗員達は、徒歩で地下都市の入口まで向かう。こんな危険で大変な仕事を毎日のように続けているのだから、まったく頭の下がる話だ。海兵は王国軍の中で最も勇敢で短命だと言われるのも当然。

 とはいえ、だからこその特権もある。

「艦長、帰ったら今日も一杯やりましょう!」

「おう、いいな! アサヒ様もどうです?」

「す、すいません。俺は飲んだことなくて……」

 海兵には任務を終える度に酒が支給される。巷でこっそり取引されているような密造酒ではなく、旧時代から連綿と技術を受け継いできた杜氏が作る最高級品だ。実は北日本で栽培されている米の大半は彼等の飲む、その日本酒の製造に費やされる。ツマミとして肉や魚も多目に配給される。

 このくらいの特権が無ければ誰も海兵なんてなりたがらない。南日本で術士隊が受けていた厚遇ほどではないにせよ、ここでもやはり一番危険な職業にはそれに見合った贅沢が認められているのだ。

 断るアサヒを、そう言わず、今日こそはとしつこく誘う艦長と副長。酒の味を知らない若者に飲ませて反応を楽しみたいだけだろう。

 とはいえ、朱璃には絶対に呑んで帰るなと言われている。結婚前から尻に敷かれていたアサヒは、今日も必死に誘いを断り続けた。

 そんな彼を猿達は、きょとんとした目で、なお遠巻きに眺め続けるのだった。

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