一章・穏冬(1)

 忙しく、それでいて緩やかな時が流れる。北日本と南日本は互いに力を合わせ、東京に巣食う大蛇ドロシーの討伐準備を進めていた。兵器を改良し、増産し、兵士を鍛え上げて、精鋭を編成する。両国間で連携を図り、練度を高め、少しでも多くの情報を収集し、より確実な作戦を打ち立てる。

 その傍ら、アサヒは人々の生活を助けるべく奔走を続けていた。寿命が近い地下都市を少しでも延命しようと補修工事や拡張工事を手伝い、食料の調達にも励む。人々を脅かす敵と戦い、求められれば、いつでも実験に参加した。

 ある朝は漁に手を貸すこととなった。冬になると、この地域の沿岸ではハタハタという魚がたくさん獲れるらしい。

「寒いなあっ! こういう日は、きっと大漁ですよ!」

 水無瀬みなせ艦長。ヘルメットを被り、軽装甲付き戦闘服に身を包んだ海軍士官が声高に叫ぶ。強風のせいで大声を出さないとすぐ隣にいる人間にも声が届かない。波高く、船は絶えず上下へ揺れていた。

「そうなんですか!」

「寒い日ほど陸地へ近付いて来るんです!」

 なるほど、それで陸から遠く離れずともたくさん捕まえられるわけか。危険すぎて遠洋へ出られなくなった今の時代にはありがたい生態だ。


 ──ハタハタとは深海魚である。とはいっても水深〇mから五五〇mと生息領域が広く、この時季なら釣り竿を持って地上へ上がれば海岸でだって普通に釣れる。小ぶりで全身がぬるぬるした粘液に覆われており、味は上品で淡白。身離れが良く食べやすい魚で煮ても焼いても美味しい。メスの場合はブリコと呼ばれる卵を抱えており、噛むとプチプチ音を立ててはぜる。身とは対照的に濃厚でクリーミーな味わい。産卵後にはこの卵だけが海草から剥がれ、海岸へ漂着していることがあり、拾って醤油で味を付けつつ煮るとおやつになる。旧時代には資源保護の観点から禁止されていた行為らしいが。

 漢字は魚偏に神と書いて“鰰”であったり、神の部分を雷に置き換えて“鱩”だったりする。秋田では冬になると雷が頻発する。同時にハタハタが産卵のため沿岸に押し寄せてくることから後者の文字が生まれたようだ。語源には他にも諸説あるのだが、なんにせよ秋田の冬の御馳走として昔から親しまれて来た魚なのである。

 一時は乱獲により絶滅が危ぶまれていたものの、その後に行われた保護活動のおかげである程度回復。さらに“崩界の日”以降の生態系の変化も彼等にとってはプラスに作用し、今では毎年めいっぱい獲らないと逆に他種を絶滅させてしまいそうなほど大量に繁殖する。一説には他の生物が魔素に順応して大型化する道を選んだのに対し、ハタハタは個体数の爆発的な増加という方向性で進化を果たし、対抗したのではないかと言われている。


「艦長! 全艦、位置につきました!」

「よし、揚げろ!」

 副長からの報告を受け、号令を発する艦長。海軍の艦船は基本的に“崩界の日”以前の船を改造したものだ。全体に錆が浮き、補修の痕も夥しい。それらを巧みに操って所定のポジションに停止させる海兵達。全員が艦長と同じように武装している。

 旧時代ならこんな装備は必要無かった。しかし今の海は陸地以上の危険な場所。身軽な状態ではとても作業させられない。

 海から網の一部が引き上げられ、クレーンへ引っ掛けられた。それが慎重に巻き取りを始めると同時、空中に障壁シールドを形成して飛び乗るアサヒ。作業を網の真上から眺め、周囲を警戒しながら自分の出番を待つ。

「おお~、すごい!」

 網が引き上げられていくに従い、今回の漁の成果も見えて来た。物凄い勢いで水飛沫が跳ねる。あれがハタハタだろうか? 背中に黒っぽい斑点のある魚。それが数え切れないほどひしめき合っている。兵士達からも歓声が上がった。

「今年も腹いっぱい食えるぞ!」

「鍋にしてえなあ!」

「俺は味噌田楽がいい!」

「焼くんなら醤油漬けだろ!」

「なんでもいいさ、とにかく獲れるだけ獲って帰ろう!」


 しかし、


「いたぞ、変異種だ!」

 突然、網にかかったハタハタの群れの間から大人の腕ほどもある黒いトゲが発射された。素早く反応して魔素障壁を展開し防御する海兵達。流石に手慣れている。

 すると今度は、人間のように長い手足を持つ魚という不気味な生物が這い出して網の上を走り始めた。

「迎撃!」

「待て!」

 銛を構えた部下達を制止する艦長。その瞬間、不気味な変異種めがけて上空から強襲を仕掛けたアサヒが一瞬にして長い腕を捕まえる。

「こん、のおっ!」

 思いっ切りぶん投げてやった。珍妙な生物は「ゲゲゲゲ」と、これまた変な声を上げて遥か彼方へすっ飛んで行く。

 同じように、縦横無尽に空中を駆けて漁の邪魔をする変異種を投げ飛ばし続けるアサヒ。おかげでハタハタにも他の海の幸にも傷一つ付いていない。いつもなら戦闘の巻き添えで結構な被害が出るのに。

「いやあ、助かりますなあ!」

「うむ、毎回手伝ってもらいたいものだ!」

「ハハハ、殿下に叱られますよ!」

「それは敵わん!」

 呑気に談笑する艦長と副長。

 そこへ今度は、すぐ近くの海面が盛り上がり、巨大な変異種が姿を現した。海蛇が魔素の影響により巨大化した種で、小型艦程度なら簡単に沈めてしまう怪物。

 そいつは素早く艦上の兵の一人へ喰らいつくと、彼を咥えたまま、さっさと海中に逃げ込んでしまった。悲鳴を上げる暇さえ無い。

「田村ァ!!」

「クソッ、逃げ足の速い!」

「俺が行きます!」

 躊躇せず海中へ飛び込むアサヒ。水柱が収まり、波紋が広がって行くのを固唾を飲んで見守る兵士達。

 やがて再び水柱が上がり、連れ去られた海兵を抱えて飛び出すアサヒ。そんな彼を追いかけ、先程の巨大変異種も水面下を泳いで接近して来る。

「撃て!」

 すかさず命令する艦長。甲板と船腹から突き出した無数の砲身が一斉に火を噴き、海面に当たって爆発を起こす。その音に驚いたのか、それとも衝撃で多少なりともダメージを受けたのか、巨大変異種は浮上することなく海底へ沈んでいった。

「アサヒ様がいるというのにそれでも襲って来るとは、あの蛇、よほど腹が減っていたのでしょうな」

 苦笑する副長。これまでアサヒが手伝ってくれた時に大型変異種が現れたことは一度も無かった。どうやら彼の力に恐れをなし、近付いて来ないらしい。

「……だと、いいがな」

 一方、艦長はこれまでに無かった現象に不吉な予感を抱く。彼はすでにアサヒを狙う敵、ドロシーの目的や能力を上から聞かされている。


(海中の生物には干渉できないと聞いたが……もし今のが例の蛇の力による行動だったとすると、影響力が強くなっているのか?)


 であるなら、人類に残された時間は、本当に僅かなのかもしれない。

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