一章・穏冬(3)

「おかえり」

 ドアが開き、アサヒが声をかけると、帰宅した朱璃は「ただいま」とシンプルに答えて抱き着いて来た。触覚はもちろんオンに戻してある。あったかくて、柔らかい。

 彼も自然に応じて、その場で口付けた。部屋の前に立ったまま、軽くため息をつく護衛隊士の大谷おおたに 大河たいが。毎日朝夕見せつけなくてもいいだろうにと苦言を呈す。

「殿下、アサヒ様、できれば睦みごとは、お二人だけの時に……」

「なんでよ? 別に隠すようなことじゃないでしょ」

「……」

 王族にそう言われてしまっては、絶対忠誠を誓った隊士が言い返せるはずも無い。大谷と彼女の同僚は軽く一礼し、また明朝にと言って扉を閉めた。そしてすぐに夜勤組と交代して護衛隊の詰所へ向かう。彼女達はこれから今日一日の出来事を報告書にまとめ、提出してからようやく家路につくのだ。

 ご苦労様です。アサヒは小さく呟き、扉に向かって頭を下げる。


 ここは王城の一室。以前の地下室とは別の部屋。蒼黒打倒という偉業を成し遂げ、長年懸案だった南日本との関係改善に大きく寄与したアサヒは、女王・ほむらから一定度の信頼を勝ち取り、朱璃と共に城内へ移ることを許された。

 だが、見張りはいまだ付けられている。以前とは別の意味での監視のために。


(朱璃を守ってくれてるんだし、我慢我慢…………)

 室外の立哨の気配に、こちらもため息つくアサヒ。人前で朱璃と仲睦まじくすることに、もちろん多少の抵抗はある。とはいえ四六時中見られているのだから、いちいち気にしていたら何もできない。

 北日本の軍備増強計画の要であり、南でもう一つの才能を開花させ“偉大な魔女”への一歩も踏み出した朱璃は、今や南北共通の宝。そんな彼女を守るため、大谷ら護衛隊士は近頃つきっきりになっている。

(俺も、やっぱり朱璃の傍にいた方がいいかな……)

 国内には今も反体制派の残した火種が燻っていると聞く。南日本にも北との共闘を快く思わない勢力が存在するそうだ。人斬り燕事件のようなことが再び起こる可能性は十分に考えられる。

 けれど、そんな彼の浮かない表情を見た朱璃は、洗面所で洗った顔をタオルで拭きつつ苦笑する。

「アンタ、また余計なこと考えてるでしょ」

「うっ……」

「何事も適材適所よ。アンタの場合、今やってることに力を尽くすのが最善なの。何一つ間違っちゃいないんだから胸張って働きなさい」

「それはまあ、そうなんだろうけど……」

 でも心配なんだと唇を尖らせて反論すると、彼女は彼の右手を掴み、手の平を自分の胸へ押し当てた。

「な、ちょ、朱璃!?」

「落ち着きなさい。ほら、アタシの心臓、ちゃんと動いてるでしょ?」

「え? う、うん……」

「これが何よりの証拠。アタシは今日も生きている。護衛隊だけでなく南の術士まで派遣されて来てんのよ、大抵の相手にゃ殺されない。アタシ自身、かなりパワーアップしてるしね。心配しなくても大丈夫」

 その言葉通り、今の朱璃は術士としても一流の域に達している。恐ろしく霊術に対する理解と習得が早いと、あの月華ですら舌を巻いたほどだ。


 ──以前、カトリーヌに「朱璃は天才でなく、本当は努力家なのだ」と教えられたことがある。けれど霊術に関して言えば、どうやら努力が必要無いタイプの天才だったようだ。それでいて努力も怠らないのだから、伸びるのが早いのは当然の話。


「今のアタシなら、アンタにだって勝てるんじゃない?」

「やめてよ。勝ち負けに関係無く、朱璃と殴り合ったりとかしたくない」

「ま、そうよね。アンタ、アタシにベタ惚れだもの。ところで今夜は何? 珍しいものを用意してあるみたいだけど」

 唇をペロッと舐める朱璃。行儀が悪い。さっきその唇を味わったばかりのアサヒは感触を思い出し、もじもじしながら土鍋の蓋を開けた。今日は配給食でなく特別に彼の手料理を振る舞う。

「ハタハタ鍋だよ。艦長が秋田の伝統の味を一度は味わってくださいって言ってたくさんくれたんで、小畑さんに教わりながら作ってみた」

「へえ、料理できたのね」

「簡単なものならね。じゃあ、お腹が空いてるみたいだし、食べようか」

「人を意地汚いみたいに言うんじゃないわよ」

「そんな風には思ってないって。いっぱい食べる君は好きだよ」

 言ってから、自分で照れてしまうアサヒ。再び口をもにもにさせていると、朱璃もまた抱き着いて来て彼の顔を引き寄せた。

「なら、今夜もいっぱい食べさせてもらうわ」

「お、お手柔らかに……んぐっ」

 食前酒を堪能して、ニヤリと笑う彼女。

「こっちのセリフよ」

「あう……」

 アサヒは昨夜の自分を思い返し、頭から湯気を噴き出した。




 深夜、朱璃は密かに霊術を使い、周囲の気配を探る。霊力探査という術で、術者の力量次第では姿を消している相手でも感知できる。

(誰もいない……と)

 大阪で寝室に侵入されて以来、警戒する癖がついてしまった。もっとも、あれ以来月華や他の誰かに覗かれたことはないのだが。いや、扉の前に立っている隊士達なら可能性もあるか。

(ま、隊士の場合は仕事だしね。仕方ないわ)

 隣ではアサヒが寝息を立てている。さっきまで頑張っていたのだ。とはいえ、コイツの場合本当に眠っているか定かでないので、自分も眠ったフリをしつつ考え込む。


 ──南で互いの気持ちを確かめて以来、何度も肌を重ねて来た。あの一件が、お互いに最後の一歩を踏み出すきっかけとなったわけだ。

 けれど、最初に結ばれてから三ヶ月経過した今も妊娠の兆候は無い。そうなる可能性もあることは想定していたが、やはり“記憶災害”の彼との交わりで子を生すことは難しいようだ。


(ごめんね……)

 もし、彼がこのまま永久に生き続けたらと想像する。その度に恐怖してしまう。今でも前と変わらず、ほとんどの物事は怖くないのに。

 彼は自分を愛している。こんな自分を本気で愛してくれている。なのに、人間の寿命は短い。彼がもし悠久の時を生きられるなら、自分が共にいた時間は、やがて一瞬と変わらなくなってしまうだろう。

 だから、せめて子を残したいと思った。子孫が傍にいてくれれば、少しは彼の寂しさも紛らすことができるだろうと。


 いや、違う。


 誤魔化すな星海ほしみ 朱璃。そうじゃない。自分はただ彼に忘れて欲しくないだけ。永遠に彼の中に自分の痕跡を残したい。そのために子供を産もうとしている。

 でも、それではやはり、いつか忘れ去られてしまうだろう。

 だったら、いっそ──


(……アンタも、そうだったの?)


 遠く、ここにはいない人間へ問いかける。ひょっとしたらと、少し前からその可能性を考えるようになった。

 彼女もまた、そのために“禁忌”に手を染めたのかもしれないと。

 悩み、惑った朱璃は瞼を開けて目の前の少年の顔を見つめる。そして、彼がまだここにいることに安心して、とりあえず眠ることにした。

 答えを出すのは、もっと先でいい。

 自分にそう言い聞かせて。

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