十章・特別(2)

 北日本の面々に地獄のような光景を見せてから、少し後──斬花は頼まれ、一人の客人と共に屋上へ上がった。

「ここなら、他の人間に話を聞かれる心配は無いでしょう」

「ありがとう……」

 頭を下げたのはくるま 小波。北日本から来た特異災害調査官。

 二人一緒に夜の屋上の中央まで移動する。

 頭上には巨大な亀裂。そして間から僅かに覗く細長い星空。周りが暗い分、さほど多いわけでもない星々の輝きが強調され、まるで天の川のような光景。

 空を見上げる少女に、しかし年上の調査官はなかなか話を切り出そうとしない。相談を持ちかけたのは向こうからだというのに。しかたなく、こちらから本題に入る。

「私に話したいこととは、なんでしょう?」

「……あの、さ」

 年下に促され、流石に自分でも情けないと思ったのか、ようやく口を開く小波。

「あたし……には、やっぱり霊術の才能は……無いのかな……?」

「あった方が良かったですか?」

 あの弟妹達の姿を見て、なおそう思えるなら、なかなか豪胆な性格かもしれないと冗談めかして考える。

 けれど小波の表情から、そういう話ではないことは察せられた。

 彼女は、きっと──


「うらやましいって……思ったんだ」


 申し訳なさそうに、そう言った。

「あたしには、なんの才能も無いから」

 小波は自身をそう評価している。何の取り柄も無い凡人。特異災害調査官になれたのは、ほんの少しだけ戦闘員向きのセンスがあって、体格にも恵まれていたから。それだけ。

 でも星海班に配属されてわかった。自分はあまりにも平凡だと。マーカスのように長く生き残ることは不可能だろう。亡き真司郎しんじろうなどは、そんな彼よりもさらに上の存在だった。あの福島での戦いだって、自分は足を引っ張って、彼は他の全員の窮地を救った。とても、あんな風にはなれない。

 ウォールは誰より体格に恵まれているし、疑似魔法の扱いだって上手い。門司は高度な医療技術と知識を有しており、時折あの朱璃に相談を持ちかけられることさえある。

 カトリーヌは言わずもがなの超人。正体を隠していた時でさえそつなくなんでもこなす優秀な人だったが、まさか南日本でも指折りの術士だったとは。彼女が扮していたという二代目“人斬り燕”の強さはチャペルの戦いで実際に目の当たりにした。はっきり言って次元が違い過ぎて、今でもまだ何がどうなっていたのかよくわかっていない。

 そして何より、彼女には自分に無い“女”としての魅力もある。


「欲しかったんだ……せめて、一つくらい、特別なもの」


 今回の任務が終わったら、カトリーヌは大阪に残る。二度と会えないということは無いだろうが、滅多に顔を合わせることは無くなるだろう。

 チャンスだと、そう思ってしまった。彼女さえいなければ、あいつを振り向かせることができるかもしれないと。

 でも自信の無い小波は、さらに欲張った。勇気を振り絞るために、背中を押してくれる何かを。今までの自分には無かった“特別”を──


 そんなもの、無いとわかっていたのに。


「ひょっとしたらって、思ったんだ……ほんの少しでも霊術が使えたら、カトリーヌさんみたいになれるかもって……ごめん……何言ってんだ、あたし……」

 ずっと年下の少女の前で、みっともなく泣き出してしまった彼女は、必死に袖口で涙を拭う。けれど、こすってもこすっても止まらなかった。どんどん溢れ出してくる。

 そのうち嗚咽を上げてしまった。堪えても堪え切れない悔しさが喉の奥から漏れ出してしまう。

「ご、ごめっ……あ、あたし……」

 ああ、本当に情けない。大阪まで来て、いったい何をやってるんだろう?

 泣きじゃくる彼女の目の前まで斬花が歩み寄って来た。見上げて、少しの間だけ言葉に迷い、やがて離れる。

 見捨てられた。呆れられた。小波はそんな風に捉えたが、違った。

 少女は再び星を見上げ、過去を回想する。

「私も同じですよ」

「え?」

「何も特別なものを持たない落ちこぼれでした。少なくとも、ここでは」


 たしかに霊力はある。けれど斬花のそれは術士に求められる最低限の水準にしか達していなかった。

 だから戦闘員になることは期待されてなかった。あの毒薬による強化訓練で多少の向上が認められたとしても、前線に出て戦うことは無理だろうと。


「私は戦いたかったのに、です」

 あまりに才能に乏しいので、本当は術士にならなくても良いと言われた。でも、蒼黒のせいで死んだ家族の仇を取りたかった。彼女の母は術士で、立派に戦って死んだ。父は母の死を受け入れられず、まだ娘がいたのに絶望して命を絶った。

 だから母を奪われた怒りと、父の身勝手に対する怒りの両方が原動力となり、術士への道を選択した。

「私は空を飛べません。飛翔術を使うには霊力が弱すぎるからです」

 障壁も脆い。竜のような強力な敵との戦いではほとんど役に立たないレベルだ。

 挙句、毒薬による霊力の向上も起こらなかった。数年間、あの地獄を生き延びたことは幸いだったが。

「それでも諦められなかった……」

 必死に他の姉妹達に食らいつき、母や姉に教えを乞うて、弱い自分が、弱いままであの怪物達と戦える手段をがむしゃらに模索した。


 その執念が新たな“術”を生み出す。


「私の術……距離と障害物を無視して切り裂く技は、母様だけが使える“繰糸”という術を教わり、私なりにアレンジしてみたものです」

 そのままでは、とても自分には使いこなせない術だった。けれど自身の術士としての特性を探り、合わせて改良を施していくことで、やがて唯一無二の技に昇華できた。

「小波さん、私は、あなたが平凡だとは思えません」

「え……?」

「才能に恵まれていなかったとしても、それでもあなたはここにいます。あの王太女殿下に認められ、大阪を救うという任務に参加しているじゃありませんか。そんな人が自らを平凡と見下すなんて、あまりにも滑稽なお話です」


 才能がなんだ。生まれ持った手札だけで勝負できる人間なんて、元々この世には一人も存在していない。あの梅花ばいか姉様だって幼い頃は期待されていなかったと聞いた。


「私が新術を開発した時、母様に言われたんです。そこへ至るまでに歩んだ、足跡をこそ誇りなさいと」

「足跡……?」

「どんなに不格好でも、自分自身で情けなく思えても、それでも一歩一歩踏みしめて来た道程を誇るべき。母様はそう仰ったんです。だから私は堂々と“斬花”というこの名前を誇りますよ。

 ご存知ですか? 術士候補生は一人前になるまで虫の名前で呼ばれるんです。かつての私は“かいこ”でした。梅花姉様は“こおろぎ”だったそうです。成人して術士と認められた瞬間、母様から新しい名を与えられます。といっても、ほとんどはすでに亡くなった過去の姉様方から受け継ぐ名。

 けれど、この私は違います。斬花とは私だけのために新たに考えられた名。母様は私が私の足跡を誇るに相応しい“特別”を下さった。小波さん、貴女にも必ずあるはずですよ、そんな“特別”が」


 彼女は努力した。平凡だからこそ、誰よりも努力を重ねた。

 そうでなければ、今ここにいるはずがない。

 平凡であることを受け入れ、諦めてしまった人間が、あの新兵器DA一〇二の使い手に選ばれることなどありえない。


「誇ってください、自分の足跡を。車 小波という人間の歴史を」

「私の……歴史……」

 諭された直後、彼女の脳裏に浮かんだ記憶は──いつでも自分の前を走っていた少年の、その背中を追いかける光景だった。

「……うん」

 けっして格好のいい話ではない。自分が特異災害調査官を目指した動機は斬花のような立派なものじゃない。

 それでも、目標に向かって懸命に努力してきたことは、実際その通りだった。

 そんな自分を恥じることは、目の前の少女に対する侮辱だと思う。

「ごめん……いや、ありがとう……君に相談して良かった」

 彼女を相談相手に選んだ理由は、単に口が固そうだったから。それだけだ。霊力の有無を再確認できて、なおかつ話しやすく、そして他人に口外しないだろう人選。そんな消去法で選んだ相手だったのだが、思わぬ形で幸いした。

「どういたしまして」

 にっこり微笑む斬花。歳の割に落ち着いていて、態度だけ見ているとどちらが年上だかわからない。

 鼻を啜り、ようやく涙の止まった目を擦りつつ、小波はさっきの斬花と同じように星を見上げた。

 あの星々の輝きは、実際には遥か昔のものらしい。光の速さでも何年、何十年、何百年とかかる遠い場所。そこに想いを馳せると、自分達人間の悩みも、この地球という星の危機もちっぽけなことに思えて来る。

(でも、そうだよね……ちっぽけでも、あたし達だって必死に生きてるんだ)


 朱璃やアサヒのような“怪物”にはなれない。

 マーカスやカトリーヌのような“猛者”になれるかもわからない。

 だとしても自分を卑下すべきではないのだ。そんなことをしてたって、これまで歩んで来た道が変えられるわけじゃない。これから歩んで行く道を、まっすぐ見つめて進むべきなんだ。より良い未来へ辿り着くために。

 ずっと、何年も抱えて来た悩みが嘘のように吹っ切れた。少し前に知り合ったばかりの少女と、ほんの短い間、言葉を交わしただけのことで。

 本当、人生、何が幸いするかわからない。

 二人はそこでしばらく、無言のまま星を眺め続けた。必要以上の言葉はいらない。ただ、肩を並べて同じことをしているだけで年齢差を超えた友情が育まれて行く。そんな実感があったから。




 一方、屋上へ通じる扉の前では、一人の青年が頭を抱えていた。

「で、出らんねえ……あの雰囲気の中には出て行けねえ……」

「せっかく一世一代の決心をしたのにな」

 付き添いを頼まれ仕方なくついて来たマーカスも嘆息する。これは流石に延期せざるを得ない。つまり、また後日この馬鹿に付き合わされるということだ。

「んじゃ、そろそろ戻ってもいいスか?」

 監視役の烈花が親指を立て、階下を示す。実は彼女は、この男二人が何をしに来たのかいまいちわかってないのだが、それだけにいつまでもこんなところで出歯亀じみた真似をしていたくなかった。

「ごめん」

 諦めて立ち上がる青年──友之。

 まあ、またチャンスはある。そう思ってこの場を立ち去ったことを、彼は後日、大いに悔やむこととなる。




「──二八〇年」

 月華は星空に浮かび、月を背負って海を見下ろす。

 長い、とても長い道のりだった。

 けれども、ようやくここまで来た。この時まで辿り着いた。あと少しで終わる。旅路の終着点は、もう見えている。


 そんな彼女を狙うものがあった。


「──」

 声を出さず音も立てず、影で気付かれないように角度まで計算に入れて急降下をかける怪鳥。

 変異種ではない。上空の月に僅かにかかった黒い雲──雷雲の中で生じた生物型の記憶災害。

 だが、その巨大な鳥は月華から遥か手前の上空で砕け散った。

 童女姿のこの魔女は、全く意にも介さない。分類上は“竜”といえども、彼女にとってあの程度、脅威たりえない。


 とはいえ、蒼黒そうこく……あれは別。


「決戦前の前哨戦にしては、厄介な相手よね」

 決め手に欠ける状況が続き、放置せざるをえなかったとはいえ、予想を超える大物へと成長してしまった。現在のあれは本当に手に負えない。たとえ犠牲を省みず全力を出したとして、それでもなお勝てるかどうか。


「まあ、あの子達なら大丈夫でしょう」


 彼女は信じている。この星に生きる者達の可能性を。手ずから育てた子供達や、自分の庇護下にあらずとも北の地で生き延びて来た逞しい人々の強さを。

 そしてなにより、あの少年と少女が放つ輝きを。

 霊術、いや、魔法は信じることが大切なのだ。

 他の何よりも、ずっと。

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