十章・特別(1)
「──そう、殿下は無事に“開門”できたのね。他にも三人、素養の持ち主がいたというのは喜ばしいわ。人数を考えると驚きの割合よ」
夕食の席で微笑む
彼女の言葉を聞き、眉をひそめる
「かいもん……と、言いますと?」
「強い霊力を持っていても、体外へ放出できるようにならなければ意味が無いの。だから、まずは自分の中にある“門”を開く必要がある。まあ、疑似魔法も感覚的には霊術と似たようなものだし、貴女達はコツを掴むのが早いと思っていたわ」
実際、素養のある四人は簡単にその技術を習得した。霊術に親しんでいる南の子供達といえど、普通は数日かかる訓練なのに。
「重畳重畳。これで、新しい住処も確保できそうね」
上機嫌に語りつつ、焼き魚の身をほぐして口へ運ぶ。
しかし、ふと対面のアサヒの様子を見咎めた。
「あら、箸が進んでいないようだけれど、ひょっとして魚はお嫌い?」
「え? いえ」
魚は嫌いじゃない。
ただ──
「その、立派な食事に驚いて……」
「そう?」
食卓に並べられた食事は、粗食を常とする北日本の食糧事情から考えると驚くほど豪勢だった。焼き魚に煮物に味噌汁。漬物もあり、なんと白米まで出されている。向こうでは王族でも月に一度しか食べられない代物。なのに昨日もこうだった。二日連続で白いご飯が出て来るなんて、南は思ったより豊かなのか?
首を傾げたアサヒの前で、今度は味噌汁の椀を持ち上げ、ずずっと啜る月華。満足いく味だったのか、うんと頷きつつ答える。
「我が家では普通の食事よ。術士は命を賭けて戦うのだもの、このくらいの扱いはされてしかるべき」
「なるほど……」
アサヒもようやく納得して、よく味の染みた煮物を口へ運ぶ。守られる側としても危険な仕事に従事する術士達に対し「質素な食事で我慢してくれ」とは言いにくいだろう。
すると、少し離れた席の
「北に潜入してる間は、メシが辛かったなあ」
その北日本の面々の前だというのに、臆面無く口に出す。
隣の
「私達は民間人としての潜入だったので仕方ありませんが、あれでは死地に立つ兵士の皆様が可哀想です」
「言ってくれるわね」
唇を尖らせる
とはいえ、なんといっても向こうは人数が多い。それだけ責任も分散されるが、伴って恩恵も小さくなってしまうのは当然の話。いくら母国の環境がこちらより恵まれていると言っても、振り分けられるリソースには限りがある。
「ところで子供達は、まだ食べないんですか?」
さっきまで外で訓練していた候補生達がいない。その事実を不思議がる
すると術士達の顔が一様に暗くなった。月華だけは別だが。
彼女は平然と答える。
「あの子達は、あと二時間ほどしたら食べるわ」
「二時間?」
「ずいぶん遅くないですか? あれだけ動き回ったら、お腹も減ってるでしょう」
「いいのよ、せっかく食べたものを吐いてしまうよりはマシでしょ」
「え?」
どういうことか訝る北の面々を見渡し、彼女は再び微笑む。
優しく、けれど怜悧な眼差しで。
「そうね、どうしようか迷っていたけれど、霊術の秘密を開示すると約した以上、やはり皆さんにも見てもらいましょう。術士になるための道は甘くないのだと」
小波達は後悔した。知らなければ良かったと。
「あ……う、うう……」
「たす、けて……いたい……いた、い……」
ここだけ、霊術による光ではなく壁の松明が照明となっている部屋。いくつも並ぶ寝台の上に術士候補生の子供達が一人ずつ横たわり、苦痛に喘いでいた。目を見開き、口から涎を垂らして許しを乞う子供もいる。幼い子ほど辛そうに見えた。
けれど子供達を監視する年長の術士も、小波達を案内してやって来た月華も絶対に手を差し伸べて助けようとはしない。
なぜなら、これは彼女達の所業だから。
「毎日、毒を飲むんだ」
カトリーヌが説明する。自分の口から語った方が、多少は北日本の面々の怒りも和らぐかもしれないと、そう思ったからだ。案の定、何人かは義憤に燃えている。マーカスなど今にも殴りかかって来そうな顔。
「テメエら……いったい、何をしてんだ……?」
「訓練の一環さ。激しい感情の起伏と強い生存欲求はな、時に霊力を強化するんだ。量も出力も回復力も増大する。必ずではないが、確率はまあ、それなりに高い」
「どれくらい?」
朱璃に問われ、彼女は苦笑した。脳裏には死んだ実姉の笑顔が浮かぶ。彼女の死を思い出しても悲しむだけで済むくらいには、自分も外道を働いて来た。
「三人に一人といったところだ」
「そして、変化が起きようが起こるまいが、どちらにせよ毒を飲み続けた子供のうち半分は死ぬ」
補足する月華。娘はおそらく、あえてこの事実を秘めようとしたのだろう。でも自分は全て明かすと言った。もちろん守る必要の無い口約束ではあるが、これは伝えておいた方が将来的な利は大きい。そう判断した。
「ただでさえ数の少ない素質ある子供達を、こうして苦しめて半分に減らす。非効率だと思うかしら、殿下?」
「……いいえ」
朱璃には理解出来てしまった。非道だろうがなんだろうが、ようは限界まで鍛え抜いた一騎当千の力の持ち主達でなければ、今まで生き延びて来られなかった。そういう話なのだと。蒼黒に大地を引き裂かれ剥き出しになった時点で、大阪は常に地上にあるのと同等の危険に晒されている。まだ地下都市内の安全が保たれている北日本とは比較にならない窮状。
他の者達も、そこは理解していた。だからどれだけ頭が煮え滾ろうと、助けを求められようと、黙って子供達を見ている以外に何もできない。
「でも、だからって、こんなこと……」
まだ旧時代の価値観が抜け切らないアサヒだけは動いてしまった。助けを求めて宙に手を伸ばしている少年の、その手を握ってやる。非道な訓練を止められないまでも、せめて励ましてやれればと思った。
が──
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「なっ!?」
少年が絶叫して泡を吹いたため、慌てて手を離す。タイミング的に明らかに自分の行動が引き金。
「……」
彼を咎めることはせず、慣れた様子で監視役の術士達の一人が動き、少年に対し処置を施し始める。よく見ると、その手には手袋が嵌められていた。
彼女達の処置のおかげか、少年は少しずつ落ち着きを取り戻していく。しかし、やがて再び顔を歪め、苦しそうに喘ぎ始めた。
「ああ……ううっ、ああ……」
「ご、ごめん……」
「来なさい」
月華に袖を引かれ、廊下まで連れ出されるアサヒ。
肩を落とす彼に、彼女は教えた。
「素手で触れては駄目。今のあの子達には、焼き鏝を当てられるようなもの」
「す、すいません……」
あの子にも本当に申し訳ないことをしてしまった。きちんと確認を取ってから動くべきだったのだ。やってしまってから、そんな当たり前のことに気付く。
「う……」
「だ、大丈夫ですか?」
手で口を押さえる大谷。彼女は霊術に対する高い素養の持ち主だと、数刻前に判明したばかり。だから当然、想像してしまったのだろう。自分も同じ処置を受けるのかと。
同僚に背中をさすられ、なんとか堪える彼女を見やり、月華は朱璃へ問いかける。
「この毒の製法も、必要ならば教えましょう」
「もちろん。契約に従って全てを開示してもらう」
臆さず同意する朱璃。彼女は大谷以上に大きな才を宿しているが、そこからさらに強くなれると言えば、自身に毒を使うことさえ厭わないだろう。
とはいえ、本当に使って死んでしまわれては困る。念のため釘を刺しておいた。
「教えましょう。けれど殿下、貴女が使っても無意味よ?」
言われた朱璃は、軽く舌打ちする。
「時間切れ?」
「そういうこと。いかなる方法でも霊力の強化が望めるのは、第二次性徴が始まるまで」
やっぱりか。成人した術士達が同じ処置を受けていない時点で、おおかた予想はついていた。大谷も自分が毒を飲まされることは無いのだと知り、安堵する。だが苦しむ子供達を見て、今度は自己嫌悪に陥った。
「……あの、俺……」
何かできることはないかと、アサヒはそう問おうとする。でも、何も無いとすぐに気が付いてしまった。自分にできるようなことがあったら、月華達がとっくの昔にしてやっているはずなのだ。
彼女達だって、好きでこんなことをするわけがない。
そのくらいは、自分にだって理解できる。
「さて、ここからはご自由に。まだ子供達を眺めていたいなら、それもいい。この屋敷の敷地内でなら自由に行動なさって結構よ。もちろんそれぞれに監視は付けさせていただくけれど」
「なら、あたしはここに残るよ」
門司が手を挙げた。医師として、せめて子供達の訓練が終わるまで待機したいと言う。
「許可が貰えるなら、後で全員の診察もしたいんだが」
「構いませんよ。いつもは私の仕事ですけれど」
簡単に頷く月華。門司は逆に眉をひそめる。
「あんた、医者もできるのかい?」
「私にできないことは、おそらく皆さんの想像以上に少ないわ。そこの棚にカルテもありますので、参考にして」
「あいよ」
素直に壁際の棚へ近付く門司。そんな彼女をしばし見つめた後、朱璃はマーカスの背中を叩き、同胞達を見回して告げた。
「明日も忙しくなる。アタシ達は、先に休むわよ」
「……朱璃」
「何もできないわ。少なくとも、今はね」
けれど、蒼黒を倒したなら?
自分達が霊術を北へ持ち帰り、女王が契約を果たしたなら?
「あの子達を哀れむくらいなら、全力で任務に励みなさい。福島と仙台を譲れば、少しはゆとりができるでしょうよ」
「……だな」
深く息を吐き出し、肩の力を抜くマーカス。
直後、彼もまたアサヒの背中を叩いた。
「頼むぞ」
「はい!」
二人の会話を聞いていた彼も、やはり決然とした眼差しで前を見据えた。
ああ、やっぱりだ。
やっぱり、あの人達は自分なんかとは違う。
彼女には、ここにいる誰も彼もが輝いて見えた。
逆に自分自身は、どんどんくすんでいく。元々薄かった輝きがさらに弱まる。
どうしてなんだろう?
どうして自分みたいな凡人がここにいるんだろう?
それもやはり単なる偶然だろうと、あっさり結論が出せてしまった。
哀しいが、現実なんてそんなものだ。
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