六章・懐疑(2)

「お疲れでしょうし、まずは我が家へ」

 そう言うと、月華は徒歩で一行を先導し始める。他の術士は北から来た一行を包囲するような立ち位置。誰も馬に乗っていないので朱璃達も礼儀として地面に降り、自分の足でついて行く。

「警戒されてない?」

 小波の問いかけに、友之ともゆきは頬を指先で掻いた。

「そりゃ敵対関係にあるわけだし」

「というより、市民の不安に配慮したんでしょ」

 朱璃の言葉り、振り返って頷く月華。

「そうよ」


 ──なるほど、連絡通路の出入り口付近には人がいなかったが、街の中心部に近付くにつれ増えて来た。やはり、今も多くの人々がここで暮らしている。

 彼等はこちらの姿を見つけると、見慣れない一行に対し不安と猜疑の入り混じった目を向け、逆に月華に対しては必ずと言っていいほど頭を下げた。


「おい皆、月華様や」

「神童様、今日もありがとうございます」

 手を合わせて拝む者までいる。

「神童?」

 眉をひそめたアサヒに、風花が「母様のことです」と答える。見かけが一〇歳児なので、昔からそう呼ばれているのだという。

「聞いた話じゃ、街全体を障壁で守ってるそうよ」

「え?」

 街全体? まさか、この地下都市全部を一人で?

「アンタ、できる?」

「で、できなくはないかもしれないけど……」

 想像したことも無かった。おそらく、広範な魔素障壁を展開すること自体は可能なはず。でも、それを維持し続けるとなると意識の集中が続かない。

「霊術って凄いんだな……」

「勘違いするなアサヒ。これほど大規模な結界を張って休まず維持し続けるなんて芸当は、母様以外の誰にもできない」

 そもそも人間なのか? マーカスは不気味そうに月華の後ろ姿を見つめる。自称四〇〇歳超えの童女は、彼の目にはアサヒ以上に異質な存在として映っていた。

「それにしても、本当に人が多い……」

 感嘆する大谷。水没を免れた区画の中心へ差し掛かると、通行人だけでなく周囲の建物から向けられる視線も格段に増えた。耳の良いアサヒはひそひそ囁き合う声も聴き取ってしまう。


(あれが北日本の連中か……)

(手に持っとんのは銃か? 向こうの兵士がみんな銃を持っとるちゅう話は本当なんやな。おっかないわ)

(あっちにゃ術士がおらんらしい。銃でも持たせとかな、どうにもならんねやろ)

(なんや、そうなん? 術士がおらんなら大したことあれへんな)

(せや、戦争になったかてこっちが勝つ。でも、霊術無しでどうやって今まで生き延びて来たんやろな、向こうの人達)

(螺旋の人も、もうおらんはずやしなあ)


 どうやら、オリジナルの伊東 旭の存在と彼が北日本王国を去った事実は、一般にまで知れ渡っているらしい。

 その割に、こうして堂々と歩いていても騒がれないところを見ると顔は知られていないのだろう。街のいたるところに“伊東 旭”の銅像や肖像画が飾られている北とはそこが異なる。

(向こうじゃ街を歩く時に変装が必須だったし、オレにはこっちの方が気楽かも……)

 まあ、だからといって大阪に住もうなんてつもりは無いのだが。自分の帰るべき場所は、あくまで北日本王国だと思っている。

「近畿、中国、四国に九州。それと中部地方の一部──ここには旧日本の半分の生き残り、その子孫達が集まっているのよ」

 振り返らずに答える月華。続く彼女の言葉に曰く、現在大阪にいるのは八万人ほどだという。南日本の総人口一〇万のうち、残りの二割が京都だそうだ。

 アサヒは眉をひそめる。

「ここに八万人ですか?」

「ええ、そうよ」

 現在の南日本の人口は秋田とほぼ同じ。北日本全体と比べればかなり少ない。とはいえ三分の一が水没してしまった街に八万人も集まったなら、必然的に密度は高くなる。京都も仙台同様崩落して狭くなってしまったと言うが、それでも、もう少し多くの住民を引き受けられないものだろうか?

 訝っていると、斜め後ろで門司も首を傾げた。

「カトリーヌ、あれは何をしてるんだい?」

 彼女が見上げているのは、大阪の左右を挟む断崖絶壁。その視線を追ってみると、高い位置に数人の人間がしがみついていた。もちろん安全索は使っているが、それでも十分にスリリングな光景である。

「海苔の採取だ」

「海苔?」

「あの滝から吹き付けて来る海水のおかげで、よく育つ。南では貴重な栄養源だよ」

「なるほどねえ」

「日照量が少ないし、塩害もある。ほとんどの作物はここじゃ育たないわ」

 朱璃が断定すると、それもまたカトリーヌが補足する。

「そのへんは今は京都頼りになっている。さっきも言ったが、今の大阪で育てられるのはキノコと一部の作物だけだ。あとは養殖した海の幸。それを使って京都と交易している」

 皮肉っぽく言う彼女の口調からは、若干の敵意が感じ取れる。

「交易? 同じ国なのに?」

「ああ、こっちから恵みを差し出さないと、向こうからもお恵みを下さらない」

「ひょっとしてアンタら、京都と対立してんのかい?」

 再び問われ、今度は逡巡するカトリーヌ。

 けれど、すぐに本心を認めた。

「ここにいれば嫌でもわかる。遥か昔から、大阪と京都は犬猿の仲だ」

「そりゃまた、いったい何があったんだい?」

「……察してくれ」

 周囲に視線を走らせ言葉を濁す彼女。相変わらず人目が多い。こんな場所で大っぴらに話せる事情ではないらしい。頷いた門司は「そうかい」と言って話を打ち切る。


 やがて一行は中心部を抜け、南側へ下った。一段と潮の香りが強くなる。カトリーヌの言った通り水没地区では漁業が行われていた。何艘もの船が浮かび、漁師が網を引いたり水を覗き込んだりしている。いつ危険な変異種に襲われるかわからない北日本の海辺では、まずありえない光景。それと水面の照り返しのおかげだろう、他の場所に比べるとかなり明るい。

 そんな“海”の手前で月華は立ち止まった。


「到着」

「おお……」

 頭上を見上げて息を飲むアサヒ。折れた三本のピラーが互いを支え合う形で立っていて、まるで鳥居のよう。その下に水没地区と生き残った地区を隔てる壁がずっと左右に伸びている。

 正面の開放されたままの門を潜ると、学校のグラウンドに似た場所へ出た。

 いや、というかそれそのものだ。今はアスレチックじみた様々な設備が設置されているものの、どう見ても学校のグラウンドである。

「学校に住んでるんですか?」

「そうよ、旧時代には小学校として使われていた場所。今も教育の場ではある。おかえり、娘達」

「ただいまです!」

 元気よく手を上げる風花。他の三人も感慨深そうに周囲を見回す。

 彼女達は幼い時に月華に引き渡され、ここで育ったのだ。

 月華は右手に見える大きな建物を示す。

「そして北日本の皆様も、ようこそ天王寺家へ。術士にとって、ここは学び舎であり生活の場。さらには大阪を防衛するための前線基地となっております」




 元・小学校の中へ案内された朱璃達は、とりあえずそれぞれの客間へ通される。

「貴女達二人は、この部屋を自由に使って」

 自ら朱璃とアサヒを最も上等な部屋に案内した月華は、そう言った直後、幼い顔立ちに見合わぬ下世話な笑みを浮かべた。

「元は音楽室だった部屋なの。防音がしっかり効いてるから、激しくしても大丈夫よ」

「何をですか!?」

「あら、今回の旅は新婚旅行を兼ねてるんでしょ? だったら遠慮せず仲睦まじくしたらいいじゃない」

「い、いや、でも俺達、まだ一七と一五で……」

「今時は普通の話。貴方はまだ旧時代の価値観を引きずっているようだけど、いつまでもそんなことを言っていたら殿下がお可哀想。せっかく異国に来たんだし、少しは開放的になってあげなさい」

「うぐっ……」

 反論できない。朱璃に申し訳ないという気持ちは、もちろん彼にもあるのだ。結婚してからもう一ヶ月以上。なのに未だにキス止まり。しかもキスだって自分からしたわけではない。

 負い目だ。男として恥ずかしい。年下の奥さんをリードしたいというささやかな願望もある。

 だが、旧時代で培われた良識が一五歳の子にそんなことをしていいのかと執拗に耳元で囁きかける。

「真面目な子ね。当たり前だけれど、オリジナルにそっくり」

 頭を抱えて唸るアサヒを、月華は嘆息と共に見上げた。朱璃の方は何やら室内を丹念に見て回っていて、こちらの話は聞いているのかいないのかわからない。そんな少女の姿を一瞥してから問い質す。

「貴方、あの子が好きなんでしょう?」

「は……はい、それはもちろん」

「なら、ちゃんと行動で示しなさい。女は曖昧な態度を取られると不安になるものよ」

「そうなんですか?」

「そうよ、先達の言葉を信じなさいな」


 そういえばこの人、四〇〇歳超えなんだった──思い出したアサヒは、ふと気が付く。

 今の言葉には実感がこもっていた。もしかして実体験に基づく助言なのでは?


「月華さん、結婚してます?」

「あら、鋭いわね」

 いつもとは違う大人びた顔で微笑む。

「ずっと昔の話。当然、もう死に別れてる」

「あ、すいません……」

 謝った少年の足を、軽く叩く彼女。

「気にしなくていい。ただ、これも経験者として言わせてもらう。私達はイレギュラーな存在。本来、人間の寿命はずっと短い。いつか必ず彼女は先立ち、貴方は置いて行かれる。だから本当にあの子のことが好きなら、その時が来ても後悔しないよう、気持ちを伝えてあげて」


 ──彼女は、後悔したのだろうか?


「はい」

 アサヒは頷き、それから深々と頭を下げた。

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