六章・懐疑(1)

 さらに四日後、富山から名古屋へ南下し、名古屋から地下都市間連絡通路を通って来た一行は、ついに大阪へ到着した。

「これが……大阪?」

 目の前の光景を呆然と見つめ、それから頭上を仰ぐアサヒ。ずっとずっと上の方に光が見える。大阪はすでに“地下都市”とは言えない姿になっていた。

「裂けてやがる……」

 マーカスも、それ以上言葉が出て来ない。

 するとカトリーヌが訂正した。

「浸食されたと言う方が正しい。時間をかけて、少しずつ」

 両者の言葉通り、地下都市・大阪の半分は天井と壁を失っていた。本来その上にあったはずの土や岩盤が存在しない。大地が左右に割れ、微かながらも頭上からは陽の光が射し込んでいる。

 谷だ。信じ難いほど深い渓谷。そして、そこに挟まった球体。それが今の大阪。しかも全体が緩やかに傾斜しており、三分の一の区画には水が溜まっている。

 水源は探すまでも無い。日光だけでなく、上からは膨大な量の水が流れ落ちて来ていた。旧時代、南米のギアナ高地にはエンジェル・フォールと呼ばれる落差一〇〇〇m近い滝があったらしい。地下都市が深さ八〇〇mの地底に建造されたことを考えると、それに次ぐ落差だ。

「あの水は……?」

 指差すアサヒ。落下してきた水の一部は地下都市の南端に溜まり、残りは外壁に沿って左右へ分かたれ、さらに深いところへ落下して行く。

 今度は斬花きりか烈花れっかが振り返った。

「海水です。ここは海よりずっと低いので、流れ込んで来るのです」

「溜まった水の重みで傾いちまったんスよね。ちょっと下にずり落ちたし」

「マジかよ……」

 想像を絶する惨状に、北日本の面々は困惑の色を隠せない。

「だ、大丈夫なんですか? 入った途端、さらに落下したりしませんよね?」

 護衛隊士の一人が訊ねると、二人の少女はクスクス笑う。

「心配無いッスよ。初めて見たら、そう思うのは無理ありませんけど」

「中からでは見えませんが、外側には大きな木の根が絡み付いていて、この高さと角度を維持してくれています。母様の話では、遥かな古代、ここには想像を絶する巨木が立っていて、その根が残っていたことにより助けられたのだそうです」

「そんな大きな木が……」

 こんなところまで根を張り巡らせていた木なんてものが、アサヒ達にはどうしても想像できなかった。目の前の滝も合わせて、ただただ自然の神秘に感動する。

「地割れは、例の“蒼黒そうこく”って怪物の仕業?」

「はい!」

 小波こなみの質問に頷く風花ふうか。今度はぞっとさせられた。深さ八〇〇mに建設された地下都市。それを露出させるほどの攻撃とは、いったいどれほどのものなのか、やはり想像力が追い付かない。

 ただ一人、朱璃あかりだけがいつも通りの調子で冷静に都市全体を眺める。

「あちこち錆びてるわね。まあ、こんだけ潮に晒されてたらしかたないか」

 彼女達が通って来た通路の出口は地下都市の北端。そのため斜めに傾いた大阪の全貌が見渡せる。

 このあたりには、ほとんど人がいない。とはいえ大阪では今も数万人が暮らしていると聞いた。実際あちこちにチラホラと人影が見える。時刻は午後三時。北日本と同じでまだ大半の住民は働いているのだろう。

 朱璃の視線の意味を察したカトリーヌが、ごく近い位置を指差す。

「ほら、向こうに小屋がたくさん並んでいるだろう。この時間なら住民の半分はあそこだ。もやしやキノコを栽培している。塩害に強い作物なら外の畑でも育てられているぞ」

「なるほどね」

 朱璃が頷いたのを確かめ、今度は逆に最も遠い位置を指差す彼女。

「水が溜まっている南側では海産物の養殖。結界が張られていて危険な変異種は侵入できない。だが、それでもやはり海を恐れる住民は多いからな。あっちで働きたがる奴は少数派だ」

「職業は選べるんですか?」

「いや……」

 アサヒの質問に対し、言葉を濁した彼女に代わって烈花が引き継ぐ。

「選択する余地がそもそも無いッスね。一定の霊力があったら術士で、そうじゃなけりゃ、だいたい食糧生産スよ。街がこんな状態なんで」

 使えるスペースが狭い分、サイクルを早めることで生産性を高めているのだそうだ。

「代わりに個々の労働時間は短いんです。人手が有り余ってますから」

「ふうん……」

 それも善し悪しだなと考える朱璃。昔から人間という生き物は、暇を持て余すとロクなことをしない。だから北日本でもなるべく多くの民に仕事を割り振り、生き甲斐を持たせようと試みている。

 一方、この大阪では人口に対し仕事の量が足りていない。となれば、やはりやることが無く、鬱屈した感情を溜め込んでしまう。もちろん、それをどうにかする施策も行われているのだろうが。

「……建物、どれもボロボロだけど原型は留めてるのが多いわね。正直もっと悲惨な状態かと思ってたわ」

「燕を飼ってるからさ」

 以前、人斬り燕と呼ばれたことのあるカトリーヌが苦笑した。

「燕?」

「変異種だ。そいつの唾液と粘土、それに海藻を混ぜたものは強力な接着剤になる。建物の亀裂に埋め込めば延命できるし、表面に塗りたくると風化を遅らせられる」

「え? 呼びました?」

「おめえじゃねえよ! 風化だ風化! 風に化けるの方!」

 勘違いから反応してしまった風花の頭を抑え込み、ぐりぐり撫でる烈花。傍らの斬花は面白そうに笑う。

「それはまた、余計な発見をしたわね……」

「だな」

 小声で会話を続ける朱璃とカトリーヌ。便利な補修材を生み出してしまったことにより、さらに仕事が減ったわけだ。それが無ければ大阪の民は補修工事に追われ、もっと忙しく生活できていただろう。

(もっとも、この環境じゃ仕方ないわね。人よりも街の延命を優先しないと、か)

 まあ、こちらの事情を北日本が案じる必要は無い。朱璃は気を取り直し、周囲を見回しながら問いかける。

「それで、着いたはいいけど、次はどこへ行けばいいの?」

 妙なことに連絡通路内にもこの場所にも見張りは一人もいなかった。これは歓迎の証か、それとも警備がザルなだけか。流石に後者は無いとわかってるが、人を呼びつけておいて出迎えも無しとは感心しない。

「あの婆さんはどこよ?」

「もう来ている」

 カトリーヌが答えた瞬間、突然目の前に童女が現れた。黒髪をボブカットにした、外見だけなら愛くるしい幼子。風花達と同じく旧時代の巫女のような服を着ている。


「そう、私達はもう来ている」


 さらに続けて周囲に出現する無数の術士。そうか、福島で風花が使ったのと同じ隠形ステルスの術だ。今度は全く見抜けなかった。

(芝居がかった演出だこと)

 朱璃はフンと鼻を鳴らし、最初に出て来た童女を見つめる。


「お招きにあずかり、参上したわよチビッ子」

「ええ、ようこそいらっしゃいました、王太女殿下」


 秋田で会った時と同じように、南の英雄・天王寺てんのうじ 月華げっかは、あどけない笑顔で北からの来客を歓迎した。

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