二章・朱糸(3)
二日後の早朝──地下都市・秋田から南へ向かって伸びる長大な都市間連絡通路。その入口の前に大勢の人間が集まり、言葉を交わし始める。
「アサヒ様、完全に快復なされたようですね。おめでとうございます」
杖を使わず歩く様子を見て、優しく微笑みかける
「ありがとうございます。ほんと、あの人のおかげで、すっかり良くなりました」
あの人とは
半信半疑ではあったが、マトモに動けなくては大阪まで行けないし、現地の人々の助けにもなれない。助力を求めて来た彼女が嘘をつく理由も無いと思い、頼んでみた。
すると、あっさり動かせるようになったのだ。
『魔素も霊力も同じ。体内で循環しているの。貴方の中のそれが乱れていただけ』
曰く、どちらの流れも精神状態の影響を受けやすいという。あの時、アサヒは暴発寸前の魔素を抑え込もうと強く抗い、その意志を保ったまま気絶してしまった。そのため自分自身を縛りつけようとする暗示が残留した。そういうことだったそうな。彼女は催眠術のようなものでそれを取り除いてくれた。
ついでに訓示も与えられた。
『普通の人間なら自己暗示の“残滓”程度で、ここまで大きな影響は出ない。けれど貴方は全身が魔素の塊。記憶や思念に反応するこの物質は霊力と同様、心にかき乱され、心に縛られてしまう。
ゆめゆめ忘れないで英雄さん。暴発を防いだのは偉かったけれど、そもそもスタンガン程度でそうなりかけてしまったのは貴方の心の弱さが原因。もっと他人に興味を持つことから始めるといいわ。より多くの人々と交わり、学べば、心の中にけっして揺らがぬ芯を通すことができる。そうなれば同じ轍は踏まない』
そんな彼女の言葉を、そのまま小畑に伝えると、彼女も小さく頷いた。
「たしかにアサヒ様は、もっと心を鍛えるべきだと思います」
「心……ですか」
「はい、御身は間違いなく最強でしょう。なにせ人を象った“竜”ですから。再生能力に変形能力、加えて無限の魔素吸収能力を持ちながら、同時に体内の“竜の心臓”を用いた無尽の魔素放出能力まで有しておられる。単純な殴り合いであなたに勝てる者はいません。事実、あの巨竜シルバーホーンすら、その力の前に屈した」
しかし、と言葉を続ける。
「最強の肉体を操るあなたは、ごく普通の十七歳の少年。知識、覚悟、経験、全てが不足しています。だから剣照様に隙を突かれ窮地に陥った」
ただし、と再度繰り返す。
「それは我々も同じ。むしろ、あの方の計略を知りながら不用意にアサヒ様と接触させてしまったのは私や陛下のミス。そもそも、どれだけ鍛えようと人の心は惑い、揺れるもの。完璧な存在になどなれません」
「え?」
「もちろん成長はできます。でも完全にはなりえない。誰もが不完全で、だからこそ手を取り合える。私は、そちらの事実をこそ忘れないでいただきたい」
一人ではありませんよ。そう言って、彼女はまたニッコリと笑う。
仲間がいて、助け合えることを忘れるな。正体が王室護衛隊の隊長だという彼女らしい訓示。
「……そうですね」
アサヒは星海班の面々を順に見つめ、頷き返す。自分の仲間とは誰か? そう考えたら、やはり真っ先に思い浮かんだのは彼等だった。
「福島の時も、教会でも、一人で勝てたわけじゃない」
「そうです」
「ありがとうございます。でも、月華さんの言うことももっともだと思うんで、向こうで経験を積んで少しくらいは成長してきますね」
「それがよろしいかと。とはいえ、一つだけ御忠告申し上げます」
「忠告?」
「利害が一致している限り、あの方を信用することは構いません。けれど、絶対に信頼はしないでください」
「えっと……」
信用と信頼?
違いがよくわからない。
「心を許してはいけないということです。私が知る限り、天王寺 月華という人物は最も警戒すべき存在ですから」
「はあ……」
本当にそんな危険人物なのだろうか? 見た目は小さな女の子だし、中身は意外と温厚に見えた。女王と交渉していた時は、たしかに怖かったが。
とはいえ、小畑が根拠の無いことを言うはずも無い。
「わかりました、気を付けます」
「はい、無事のお帰りをお待ちしております」
彼等がそんな会話を交わす一方、すぐ隣では朱璃が親族と語らっている。
「道中も油断は禁物ですよ、朱璃」
「わかってる」
心配そうに見つめる祖母に対し、ひらひら手を振る彼女。女王自らがこんな所まで来るのは珍しい。それだけ本気で無事を願ってくれているのだろうと思った。
悪い気はしない。結局は後継者としか見られていないのだとしても。
「
自分が帰って来られなくなった場合、代わりを務めるのは彼。朱璃は一歳上のハトコへ顔を向ける。
「アタシらがいない間、こっちのことは任せるわよ」
「ただの学生に難しい仕事を振らないでくれ」
朱璃と良く似た顔立ちの少年は、肩をすくめて苦笑を浮かべる。
彼女はその肩にポンと手を置き、目を細めた。
「ただの学生はね、親の企てたクーデターを自分の手で叩き潰したりはしないの。無駄な謙遜は嫌味なだけ。いいから言われた通り働きなさい」
「わかったよ次期女王陛下。まったく、僕はこんな体なのに、人遣いが荒いな」
わざとらしく肘から先の無くなった右腕を持ち上げる。失明した左目も相変わらず眼帯で覆われていた。見る度にデザインが変わっているようだが、いったい幾つ作ったのやら。気障な奴め。
「目も腕も一つずつあれば足りる」
「スパルタだなあ」
再び苦笑する開明。すると、その時だった。
ついに緋意子が口を開く。
「朱璃、出発前に話しておきたいことがある」
「……うん」
思わず目を逸らす朱璃。いつもならこんなことはしない。でも、アサヒが余計なことをしてしまったせいで、今日は気まずく思えた。
その空気が周囲にも伝わり、全員が会話を止め、二人に注目する。彼女達母子の関係は周知の事実。何が起こるのかと固唾を飲んで見守る彼等の前で、緋意子は衝撃的な告白を行う。
「……人斬り燕に、お前の殺害を依頼したのは、私だ」
「はあっ!?」
驚いたのは朱璃でなく、開明や他の面々だった。その事実を知っていたマーカスと女王、そして他ならぬ人斬り燕本人だけが別の意味で動揺する。
「緋意子、何を──」
「待ってくれ母さん。お叱りは後で聞くし、裁きも受ける。今はまず、朱璃と話をさせて欲しい。この事実を隠したままでは、私は前に進めない。いや……あの頃に戻れない」
緋意子の声は震えていた。脚にも力が入らない。だから彼女は片膝をつき、顔を上げた。いつのまにか、しゃがみ込むと頭の位置が逆転するほど大きくなっていた我が子を見上げ、なおも真実を語る。
「あの日から、彼が死んだ日から、ずっとお前のことが怖かった。悲しむより先に復讐へ走ったお前が異質に見えて、怖くて、娘を怖がる自分のことは嫌いになった」
「……」
朱璃は口を挟まず、その告白を聞き続ける。
「それでも、せめて、お前の邪魔だけはしないようにと自分に言い聞かせてきた。しかし、それも都合の良い嘘を重ねただけだ。多分私は、本当はお前の存在を消したかったのだと思う。あるいは利用していたのかもしれない。私にはシルバーホーンを倒せない。けれど、お前になら可能性があるからと」
「緋意子おばさん、なんてことを言うんだ!?」
「待ちなさい」
激昂し、詰め寄ろうとした開明の腕を
「今は黙って聞きましょう」
「でも、陛下……!」
「……お前にも悪いことをした、開明。お前はいつも朱璃のために怒ってくれていたのに、一度も耳を傾けなかった」
開明も親を殺された人間だ。だから同じ境遇の朱璃に同情している。
何度も繰り返し諫められた。それでも自分は変われなかった。
でも、ここまでにしよう。ここから変わっていこう。
緋意子は再び朱璃を見上げる。焦点が定まらない。決意したはずなのに、まだ目を見て話せない。
それでも顔は背けなかった。
「正直に言って、お前をまた昔のように愛せる自信は無い。でも、せめて心配することを許してくれ。お前は彼が遺してくれた忘れ形見だ。私が人生で一番愛し、今も愛し続けている人の血を継いだ子だ。こんなことを言ったって信じてもらえないとは思う。虫の良い話だ。それでも言いたい」
普通の母親のようにはなれない。
だとしても──
「彼がいなくなった今、お前は、私にとって最も大切な存在だ。今まですまなかった朱璃。やっぱり、お前がいなくなるのは辛い」
彼女は、自分に無数の冷たい視線が刺さるのを感じた。これまで何年も子供を放置してきた親の身勝手な物言いに、誰も彼もが呆れている。
挙句、娘の殺害まで依頼した犯罪者。こんな最低の女が母親などと名乗っていいはずが無い。自分自身そう思う。
とうとう、耐え切れなくなって俯く。でも、脳裏に直談判に来たアサヒの姿が蘇った。
彼は勇気を出したじゃないか。そして自分は、彼のオリジナルの子孫。
だからまた顔を上げ、まっすぐ朱璃を見つめた。せめて返答を聞くその瞬間まで、目を逸らしてはいけないのだと思って。
ところが次の瞬間、視界が大きく跳ね上がる。
「ごっ!?」
──顎に膝蹴りが入った。のけぞり、倒れそうになった彼女の胸倉を掴んで引き起こす朱璃。そして思いっ切り罵る。
「寝言ぬかしてんじゃないわよ!」
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