一章・提案(4)

 彼女の隙をついた月華が、隠していたもう一つの手札を切る。これが本当の奥の手。

「陛下、先程の地下都市をお譲りいただけるという提案、ご厚意に感動しました」

「ふふ、大言を吐きましたが、アサヒ殿がそちらへ助力することを決意した以上、無駄になってしまいましたね」

 様子のおかしい孫から視線を外し、素早く対応する焔。しかしその返答にもまた致命的なミスが含まれていることには気付かない。

 無駄になってしまった、などという一言はいらなかった。それではまるで惜しんでいるようではないか。

 いや、実際惜しんでいるからこその一言だ。彼女にしてみれば南日本がこの東北の地へ移って来てくれた方が都合が良い。せっかくの策に相手が嵌ってくれなかったという意識もあった。


 だからこそ、自分が策に溺れた。


 月華の口角がさらに高くつり上がる。獲物が術中に落ちたことを確信する。その口から滑らかに紡ぎ出された声は、蜘蛛の糸のようにスルスルと焔達を絡め取った。

「もちろんわかっております。しかし、ありがたい提案であることはたしか。そこで別の対価を支払い、それをもって二都市を譲っていただくというのはいかがでしょう?」

「別の?」

 窮している南日本に、地下都市二つに見合うだけの何かを差し出せるというのか?

 瞬時に可能性を取捨選択した焔は、ハッと息を呑む。ほとんど同時にマーカスと開明も立ち上がった。

「待て朱璃!」

「駄目だよ!」

 彼等の制止も空しく、朱璃は月華に対し答えてしまった。


「乗るわ」


「まだ、肝心の対価について申し上げておりませんが?」

「聞くまでもないもの。今のアンタらに支払えるもので地下都市二つ、まあ、仙台は半分以上崩れてるから実際には一つ半も無いけど、ともかく、それに見合うものって言ったら一つしかないでしょ。お得意の“霊術”よ」

「ご名答です」

 月華の目が、感心したように鋭く細められる。瞬間、焔は気が付いた。この女の狙いはアサヒだけではなかったのだと。狙いを一つに見せかけ、虎視眈々ともう一つの“宝”に手を出す機会を窺っていた。

「王太女殿下の仰る通り、福島と仙台を譲っていただけるのであれば我々は霊術の知識を余さず開示しましょう。ただしその場合、事が事ですので契約不履行を防ぐため、どなたかを人質として我が国までお連れせねばなりません」

「それもアタシでいいでしょ。ついでに向こうで霊術を覚えて来られるし」

 こともなげに自らを人質として差し出す朱璃。焔は頭痛を覚えて額に指を当てた。

 つまり月華のもう一つの狙いとはこれ。北日本の至宝、王太女・朱璃の身柄を南日本へ連行すること。

 遅れて理解が追い付いたアサヒも、やはり立ち上がって問い詰める。

「な、何を考えてるんだよ!?」

「留学」

「いや、そういうことじゃないだろ、これって?」

「そうなの?」

「そういうつもりで来ていただいて構いませんよ」

 くすくす笑う月華。それを見て「ほらね」とアサヒに返す朱璃。

「うぐぐ……」

「ああ……」

「チクショウ……」

 アサヒは言葉を失った。開明とマーカスも天を仰ぐ。男三人、頭の中では必死に説得を試みているのだが、どうやったって朱璃を翻意させられる気がしない。

 彼等に代わり、焔が待ったをかける。

「朱璃、流石に認められません。人質に足る人材なら他にもいます。王太女として自覚を持ちなさい。あなたはいずれこの国を継ぐ者なのですよ?」

 正論を並べ立てつつ、彼女もやはり、これでは無理だろうなと確信する。朱璃の表情に全く変化が表れなかったから。

 案の定、言われてしまう。

「陛下、そういうことはアタシが調査官になると言い出した時点で言ってもらいませんと、説得力がありませんよ」

「……その通りですね」


 ──迂闊だった。孫の好奇心の強さを知りつつ“霊術”を釣り餌にされた場合の対処を考えていなかった。剣照の一件を考えれば十分予測できたことなのに。

(あるいは、知らぬうちに気を逸らされていたか……?)

 思えば開明の発言にしても、向こうに挑発された結果のように思える。こちらはあれを反撃の契機と捉えていたが、むしろ彼女によって打たれた布石だったのかしもれない。

 ともかく、こうなってしまっては後の祭。孫は絶対止められない。どんな方法を使って阻もうとしても、この子は必ず敵国へ行く。良くも悪くも両親の性質を色濃く引き継いでいるから。


「そう心配しなくてもいいわよ、おばあさま」

 気楽な調子の孫に、もう一度だけ頼み込む。

「お願いです。考え直してください」

「嫌よ、せっかくのチャンスだもの。それにダンナが行くって言ってんのに、アタシだけ留守番なんてしたくない。新婚旅行とでも思って送り出してちょうだい」

「そんな気楽なもんじゃねえ」

「そうだよ朱璃」

 マーカスと開明に説得されても、やはり彼女は意見を翻さなかった。

 しばらくして、焔は嘆息と共に命じる。

「小畑、王室護衛隊から精鋭を選抜なさい。それと星海班も全員、朱璃につけます。構いませんね緋意子?」

「はい」

 女王と特異災害対策局長のその会話は、つまり王太女の南日本行きを認めたという意味である。

 祖母と母の計らいに、朱璃はニヤリと笑う。

「そうこなくっちゃ」

 そして再びアサヒの手を取り、高く掲げた。

「今度はハネムーンよ、ダーリン!」

「大丈夫なの?」

 アサヒはさっきまでとは一転、不安そうに彼女の顔を見つめる。自分一人が行くのなら、どうとでもなると思う。でも朱璃が一緒となると、そう気楽には構えてられない。

「頑張らないとな……」

 今度こそ絶対に守り抜かなければ。前回みたいなことは二度とごめんだ。

 決意を固めた彼の頬に手を触れ、朱璃は艶っぽく指の腹で唇を撫でる。

「どうせ頑張るなら夜にしなさい。忘れてるかもだけど、今夜が初夜よ?」

「えっ」


 その夜、アサヒは平謝りして、もう少し待ってくれと懇願した。

 結婚までしておきながら、往生際の悪い少年だった。

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