一章・提案(3)

「なっ……」


 あまりの法外な提示に、全員が息を呑む。

 月華でさえ例外ではない。


「なんと、そこまでしていただけるのですか」

 初めて彼女が動揺した。とはいえ、それはごく僅かな変化であり、見抜けたのは焔一人。北日本の女王はその隙を見逃さず一気に畳みかける。師から教わった剣術のように。

「我々は貴国の皆様を歓迎します。これまで以上に近しい隣人として」

「たしかに魅力的なお話です」

 月華は顎に手を当てて考え込む。先の告白通り、南に残された二つの地下都市はもはや限界寸前。設計時に想定された耐用年数から一〇〇年以上超過したことに加え、度重なる脅威の襲来により、いつ崩壊してもおかしくない状態だ。移住先を確保できるのなら実際ありがたい。

 とはいえ、移り住むこと自体が容易ではない。なにせ今でも南日本には一〇万人以上が暮らしているのだから。仮に北日本の協力が得られたとしても一朝一夕で済む話ではない。最短でも半年はかかる。

 なにより、それを実現するにもやはり──

(彼の力が必要……か)

 視線は再びアサヒへ向けられた。伊東 旭の力を受け継いだこの模倣体の助力無くして、次の襲撃を凌ぎ切ることは難しい。


 一方、焔にとって、これはどう転んでも損の無い取引になっていた。開明が道を示してくれたことに感謝せねばならない。

 アサヒが助力のため南へ行くというなら、それを認める。帰って来れなかったとしても孫が悲しむだけ。元々彼は剣照一派を倒すための囮として王国へ引き込んだ。その役割を果たし、朱璃の新兵器も完成の目途が立った今、彼女としては惜しい駒ではない。先日の一件のように彼の体内の魔素が暴走したら、今度こそ最悪の事態が引き起こされる可能性だってある。

 もちろん無事帰って来たなら帰って来たで、大事な孫に恨まれずに済む。暴発の危険は依然付きまとうが、朱璃さえ傍にいてやれば大きく軽減されるはずだ。彼の能力が有用なこともまた事実。リスクを制御できる状態であれば手元に留めておくのも悪くない。

 地下都市二つという投資も、将来を見越せば安いもの。これまでは強力な霊術を扱える南日本が戦力の面で優位に立っていた。しかし今の北日本には朱璃の開発した魔法の杖と魔法の鎧がある。しかも個々の資質に大きく左右される霊術とは異なり、こちらの兵器は誰が身に着けようと大幅な強化が見込める代物だ。そのため兵器の量産が進むほど総合的な軍事力の差が縮小し、やがては逆転していくことだろう。

 霊術はたしかに強力。それでも一人の術士にできることは限られている。新兵器により北の兵の個々の能力が引き上げられていけば、反比例して術士打倒のハードルは下がっていく。一騎当千に千人の一で勝つことは難しい。だが千人の十なら? 千人の百なら──つまりは、そういうことだ。

 もちろん圧倒的に強くなる必要は無い。パワーバランスさえ釣り合っていれば、それでいいのだ。軍事力だけでなく食糧の生産能力等も国力には関わって来る。二つの地下都市を明け渡してしまっても、残り四つをこちらが確保している限り、互いの距離が近付いたからといって即開戦とはならないだろう。当面は平和な睨み合いが続くはず。

 それに関東を覆った魔素の雲、あの壁の向こう、こちらから見えないところで動かれるより、見える場所にいてくれた方が動向は探りやすい。そうなればもう二度と剣照にしたようなことはやらせない。

 間近に敵がいることで危機感が煽られれば、技術開発もさらに進む。となれば東北六県の地下都市が全て限界を迎える前に地上への再進出の目途も立つかもしれない。この地方の人口が増えることだって、人類の生存という観点から見れば利があることだ。


(さあ、どう出ます?)


 今のところこちらが優位。そのはずだが、相手はあの“天王寺 月華”だ。半ば勝利を確信しつつ、それでもやはり警戒を解かなかった。この女が本当に月華なら、そう簡単に思惑通り事が運んだりするものか。


 そして、その読みは当たっていた。案の定、彼女はまだ手札を隠していたのだ。


「非常に魅力的な提案です。しかし、我々もそう簡単にアサヒ殿の助力を諦めるわけには参りません」

「いや、それは──」

 焔は、しまったと不覚に気付く。彼女はアサヒが南へ行っても構わないと思っていたが、月華の今の一言で彼自身はこう思い込んだだろう。


“自分が行かなければ、南の人々が困る”


「あの! 俺、行きます!」

 やはり、ずっとタイミングを計っていたアサヒが挙手する。止めようとしたのか、一歩前に踏み出していた小畑は出遅れを悔やみ、無言で元の位置へ戻った。

(申し訳ございません、陛下)

(いや、これは仕方ない)

 小さく頭を下げた侍女を、焔は目配せで許す。そも今のは自分が悪い。この少年に対し、もう少し気を回しておくべきだった。

 同じ過ちを繰り返さないよう、まずは釘を刺す。

「アサヒ殿、開明にも言いましたが、この場での発言は私の許可を得てからです」

「あっ、すいません。えと、いいですか?」

「……いいでしょう」

 先に結論を述べてしまった以上、今さら発言を封じる意味は無い。先程“当人に判断を委ねる”と言ったばかりでもある。

 女王の許可を貰ったアサヒは、改めて月華に相対した。

「あの、もう一回確認したいんですけど、さっき言ってた“ソーコク”ってのと戦うのを手伝えば、その後はこっちに戻ってもいいんですよね?」

「そうです」

 彼女が頷くと、彼は目を輝かせて立ち上がった。先日、体内の魔素が暴走しかけた時の後遺症があるため片足の自由が利かず、少しばかりよろめく。

 しかし、そんなことなど気にせず言葉を続けた。

「じゃあ行きます! 助けてもらった恩返しはしたいし、その後こっちへ戻って来ていいなら、俺は何も問題ありません!」

「まあっ、ありがとうございます」

 月華も破顔する。あどけない表情は本当の子供のよう。幼気にコロッと騙されたアサヒは気を許し、自分の方から頭を下げた。

「その、こっちこそ助けてくださって、ありがとうございました」

「お顔を上げてください。貴方の救出は我が国の望みでもあった。あの子達も皆、長年の悲願を達成して逝けたのですし、悔いは無かったでしょう」

 彼を守って散っていった子供達に想いを馳せ、一瞬だけ大人びた顔を見せる。その表情を見たアサヒは、ついでとばかりに疑問に思っていたことを問いかけた。

「あの、本当にカトリーヌさんや桜花さん達の、お母さんなんですか……?」

「ええ、この見た目なので信じられなくとも無理ありませんが、私はかれこれ四百年ほど生きております。あなたのオリジナルとも顔見知りでしたよ」

「えっ?」

「わかりました」

 アサヒが困惑して会話が途切れた、そのタイミングを狙って焔が割り込む。二人にこれ以上話をさせる必要は無い。

「決意されたなら、アサヒ殿には南の助太刀に行っていただきましょう。結婚したばかりで寂しいかもしれませんが、これは彼の名誉のためにも必要なことです。我慢できますね、朱璃?」

「アタシは……」

 予想に反して歯切れの悪い反応を返す朱璃。何やら迷っているようだ。その珍しい姿に一瞬、焔の意識も月華から逸れる。


 ──そう、彼女は油断してしまった。なんにせよ、すでに結論は出たのだからと。

 剣の師がまだ存命で、この場にいたなら叱られただろう。残心がなっておらんから足下を掬われる。そんな風に言われたに違いない。

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