幕間・追憶
母は二つの仕事を掛け持ちしていた。昼は地下都市建設計画の現場で働いて、夜はホテルの清掃。平日、顔を合わせられるのは夕方の短い時間帯と深夜に帰って来てから旭が登校するまでの間だけ。
地下都市建設計画が始まったことは悪いことばかりではなかった。人手はいくらあっても足りなかったわけだから、誰でも望めば学歴などに関係無く職にありつくことはできたし、そのおかげで母一人子一人の母子家庭であっても生活は安定していた。
なのに、どうして夜にまで働くのかと母に問うてみたことがある。
母は疲れた顔に無理矢理笑みを浮かべ、息子の頭を撫でながら言った。
「アンタの将来のため、って言いたいところだけど、一番の理由はそうじゃないんだよね。まあ、アタシの自己満足ってところかな。あ、なんかコレってちょっと頭よさげな言い回しじゃね?」
それから数日後、休日に母は遊園地まで連れて行ってくれた。一年に一回、旭の誕生日だけの楽しみ。普段母と一緒に出かけられる機会なんてほとんど無かったから、まだ小学生の彼は大いにはしゃいだ。
すると、そんな自分を見つめる母の嬉しそうな笑顔を見て不意に気が付いた。
きっと、お母さんは僕が笑っていると嬉しいんだ。
そのために頑張ってくれているんだ。
「お母さん、僕にできること、なにかない!?」
自分も母のために何かをしたかった。駆け寄ってそう訊ねると、母は驚いたような顔になって、そしてまた頭を撫でながら、くしゃっと顔を歪め、泣きそうな顔で笑った。
「生意気なこと言うんじゃないよ。アンタはまだ、めいっぱい今を楽しんでいればいいのさ。アタシはそれだけでいいよ」
でも、と優しい声で言葉を続ける。
「アンタにしかできないことは、きっとある。いつか、相手が母さんじゃなくても、困ってる人や辛そうな人がいたら手を貸してやんな。それがアンタだからできることだって言うんならなおさらだよ。アンタがそういう優しくて真っ直ぐな子に育ってくれることが、母さんにとっちゃ一番のご褒美だからさ」
「ねえ? ちょっと? 生きてる?」
「んあ?」
パチンと鼻ちょうちんが弾ける。旭が目を覚ますと、目の前には例のあの悪魔っ子の顔があった。
その顔が、今まで夢の中で見ていた母のそれと一瞬重なる。
「……」
「何? アタシの顔になんかついてる?」
「いや……」
たしかに少しだけ似ているけれど、それだけだ。この子と母は違う。
白い息を吐く彼を見つめ、少女は問いかける。
「寒かった?」
「まあ……でも、あれのおかげで助かったよ」
「フン」
中の燃えカスがまだ燻っている金属のバケツを見つめ、鼻を鳴らす彼女。その態度を見て察した。多分あれは、あの大男の独断だったのだろうと。
(良い人だな……)
そう思いながら立ち上がり、包まっていた毛布を縛られたままの手で相手の方に差し出す。
「それで、今度は何をするの?」
単に顔を見に来たわけではないんだろう。彼女の背後のドアは開けっ放しで、昨夜の大男とは別のドレッドヘアの黒人男性が廊下からこちらに警戒の眼差しを向けている。多分、これからどこかへ連れて行かれるのだ。
少女は面白そうに顔を傾げた。
「ふうん……思ったよりは察しが良いわね。まあ、あの“伊東 旭”のコピーだものね」
「?」
「アンタ、言い伝えじゃ文武両道の完璧人間みたいに語られてるのよ」
「俺が?」
特別勉強ができたわけではないし、格闘技なんて習ったことも無い。なのにどうしてそんなことに。
「アンタのオリジナルは英雄だからね。それに相応しく美化と脚色が重ねられた結果でしょ。安心しなさい、アタシは昨日のうちにアンタのオツムが平凡だってちゃんと確認したから。頭を使うようなことをさせる気は無い」
また小馬鹿にするような眼差しと物言い。流石にムッとした旭は、売り言葉に買い言葉で訊き返す。
「じゃあ何をさせる気だよ?」
「確認作業」
ズバッと彼女は答えた。まるでこちらの質問を予測していたかのようだ。おかげで、食ってかかかったつもりのこちらの方が気色ばむ。
「確認?」
「見せてあげるわ、今のこの世界の現状を。アンタの故郷もね」
少女はそう言って、ドアの外を指差した。
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