三章・悪魔(3)
「やっぱり、そろそろ戻った方がええんちゃう?」
「そうね……」
カトリーヌの言葉に、干し肉を齧りながら考え込む朱璃。
彼女としては、まだ満足出来ていない。あの山の火災調査はもう少しだけしておきたいところだ。伊東 旭“もどき”の謎を解き明かす手がかりが残っているかもしれない。
ただ、今回はそこでやめておくのが賢明だろう。恐怖心が無くともリスクの計算くらいできる。メリットに対してデメリットが大きすぎる場合、その選択は避けるべきだ。班員達の命を預かっている身として最低限の分別は弁えている。
(あの人にも“命を粗末にするな”って、しつこく言われたしね……)
つい最近二人死なせたばかりで、また死人が出てしまうとめんどくさい。というわけで方針は決まった。
「明朝六時に出発して、もう一度だけあの火災現場を調査。その後で福島を目指す。山には“もどき”も連れて行くわ」
「もどき?」
「おい、じゃあ……本当にそうなのか?」
信じ難いと表情で訴えるマーカス。彼等もさっき、朱璃があの少年の尋問を始める直前、彼女の気付いた可能性について聞かされていた。
朱璃は彼のくれた干し肉を一口分飲み込み、小さく頷く。
「ええ、あれは“伊東 旭”本人じゃない。やっぱり崩界前の彼を模した“記憶災害”よ」
「マジスか……」
「ある意味、友之君が正解やったなあ」
班員達がざわつく。無理も無い。魔素が人間を再現した例は過去にいくつか報告されているが、それがよりにもよって“伊東 旭”となれば話の次元が異なる。
繰り返すが、彼の名を知らない者など、この国にはいない。
──気付いたキッカケは、拾った身分証と脱がせた衣服が消失したこと。どちらか片方だけなら単なる管理ミスと思ったかもしれない。だが両方が同時に発生した時点で単なるヒューマンエラーではない可能性を疑った。
そして思った。彼は“記憶災害”なのではないかと。伊東 旭という英雄の記憶が魔素によって再現された存在。そう考えれば辻褄があった。念の為、検査のために採った血液も確認してみるとやはり跡形も無く消失していた。
魔素が生物の記憶を保存し再現する現象。それには一〇分というタイムリミットが存在する。どんな記憶災害でも一〇分を過ぎれば自然に分解して元の魔素に戻る。これもまた魔素が持つ奇妙な特性の一つ。
つまり、服や身分証は彼という本体から引き離されたことで一〇分間の維持限界を迎え、消えてしまったものだと仮定できる。
さらにさっきの尋問時に行った触診で“アレ”が人間でないことも確定した。旭もどきの体内には強力な“生物型記憶災害”に共通する要素が存在したのだ。高密度魔素結晶体と呼ばれる核のことだ。本来ならもっと大型の個体でなければ宿らない代物だが、アレが超常的存在“伊東 旭”の再現だということを考えれば、さほどおかしな話ではない。
ただ、この事実に関してはまだ仲間達にも秘匿しておくつもりだ。体内に“核”があると知れば、王都へ連れ帰ることを強硬に反対されるかもしれない。その名の通り、それは街一つを簡単に滅ぼす可能性を秘めた爆弾だから。
ともあれ、アレが“伊東 旭”の再現である。その事実だけで彼等は十分すぎるほどインパクトを受けていた。
「あれが“渦巻く者”……」
「人類を救った英雄、なんスね」
「とんでもねえもん拾っちまったな」
「ええ、とんでもない」
畏怖と警戒を露にする班員達の中で、やはり朱璃だけが異なる表情を形作った。彼女は楽しそうに笑っている。くすくすと年頃の少女らしく。
「アレを詳しく調べたら伝説の“渦巻く者”の力を手に入れられるかもね。今から解剖する時が楽しみ」
そんな彼女を見つめる目にも、やはり怖れの色が混じった。
「あ、あれ、冗談……スよね?」
「だったらいいがな」
本気だから始末に負えねえ。ネジの足りない天才少女のお目付け役を任されてしまったマーカスは、いつものように、どうしたもんかと天を仰いだ。
「……ハァ」
暗闇の中、ため息をつく旭。あの後すぐに奇妙な服を着せられたかと思えば、今度は別の部屋に閉じ込められてしまった。両腕を縛られた上で剥き出しになった鉄骨に繋がれている。
凍えるように寒い。一応、毛布を渡されたので包まっているものの、それでも体は震え続けた。室内でこれということは、今はひょっとして冬なのだろうか? 自分の記憶では夏が近かったはずなのに。
室内には誰もいない。しかし外には見張りが一人立っている。唯一の出入り口のドア、その上部が窓になっていて外が見えるのだ。自分より背の高い巨漢が時折そこから中を覗き込み、様子を窺ってくる。
しばらくするとその気配が遠ざかって行った。なんらかの理由で持ち場を離れたらしい。逃げるなら今だろうかなどと考えたものの、そう甘くはなかった。男はすぐに戻って来てしまう。その手には金属のバケツ。
「これで少しは暖まる」
中には火のついた炭が数本入っていた。実際にその熱が冷えた体にジワリと沁み込み、生き返るような心地を味わう。上に手をかざすと血の巡りが良くなってじんじんと痺れ始めた。でも凍えた体にはそれすらも心地良い。
「あ、ありがとうございます」
わざわざ自分のためにこれを取りに行ってくれたのか。いかつい見た目に反して良い人なのかもしれない。
「ん」
男は頷き、その一言だけを返すと再び外に出て扉を閉めた。きっちり鍵もかける。悪人ではないようだが、だからといって逃がしてくれるつもりも無いらしい。
(自力でどうにかするしかないか……)
ドア以外はコンクリートの壁。窓は無い。しかし壁はどこもボロボロだ。無数の亀裂が走り、ところどころに隙間もできている。ひょっとしたら自分の力で全力で蹴りつければ崩せるのではないか?
けれど、逃げたところでどこへ行けばいいやら……ここがどこかもわからない。相手は複数いるようだし、逃げ切るのも難しいだろう。さっきあの大男が入って来た時に肩から提げていたのは、どう見ても銃。あれが本物なら、下手なことをすると射殺されてしまう可能性もある。
そもそも、さっきの悪魔のような少女から聞かされた話が事実だとすると、この世界に自分が帰る場所は存在していない。とっくの昔に朽ちてしまっているはずだ。
まさか、ここが二五〇年後の世界だなんて──
(いや、あんなの嘘だ)
──そう否定したいのに、やはり否定しきれない自分がいた。それどころか、どこかで事実だと確信してしまっている。
どうして?
「俺は伊東 旭、だよな……」
あの少女は違うと言っていた。それは過去の英雄の名だと。
「俺が人類を救った……?」
そして今ここにいる自分は、その英雄の記憶を再現しただけの“まがいもの”だそうだ。記憶の一部を移植されたロボットのような存在だと説明を受けた。
信じられないし、信じたくない。
なのに、やはり信じてしまうし、確信している。
「俺は……伊東 旭じゃない……」
だからなのか、この奇妙な感覚は。心の半分が他人になったような違和感。そのせいで感情もチグハグになって考えがちっともまとまらない。
「駄目だ」
真偽を判断しようにも情報が足りない。自分はまだ目覚めてからこの建物の中以外何も見ていないのだ。ここでどれだけ考えたとしても答えなんか出せやしないだろう。
そう判断した彼は壁に背を預けて瞼を閉じた。ベッドなんて無いし、変な虫でもいそうだから、床に横になって休むのは嫌だ。
だが精神的に疲れていたのだろう。旧時代の人間にとってとてもくつろげる環境ではないのに、それでも彼はすぐに寝息を立て始めた。それを見て、ドアの向こう側に立つウォールは「ゆっくり休め」と呟いた。
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