三章・悪魔(2)

 二階に降りた朱璃あかりは、まず手近にいたカトリーヌに尋ねる。

「何事よ?」

「あっ、朱璃ちゃん!! なんや、変異種どもがぎょうさんおしかけて来よってな!!」

「それは知ってる。でも何で?」

 知りたいのは理由だ。三方向を監視できる窓の外では、たしかに狂暴化した大型犬共が群れを成し押し寄せて来ている。目を見張るべき跳躍力でこの階に直接乗り込もうとしていた。一階の窓は全て鉄板で覆って塞いであるし、唯一の出入口の扉も鋼鉄製。だから人の気配がするこの階の窓を直接狙っているのだろう。

 とはいえ、簡単に這い上がれる高さではない。敵は窓めがけて殺到しているが、互いにぶつかり合ってしまい、窓枠に前脚をかけられるのは一匹か二匹。その程度ならこちらは簡単に対処出来る。

 つまるところ、迎撃しやすい位置取りなわけだ。にもかかわらず敵は狂ったように正面からばかり突撃して来る。おかしな話だ。野生動物は時として不可解な暴走を行うことがあるけれど、これもその類だろうか?

「班長にわからないなら、私達にもわかりません!」

「どうなってんスかこれ!?」

「喋ってる暇があったら迎撃しろ!!」

 班員達は無数の覗き穴が開いた鉄板で窓を塞ぎ、そこから長銃を突き出して発砲を繰り返す。訓練も実戦経験も十分積んでいる者達だ。一発一発確実に敵を仕留めて接近を阻止していた。

 とはいえ、やけに数が多い。普通の銃弾だけで全てを防ぎ切ることは無理だろう。事実、銃火を掻い潜って鉄板やコンクリートの壁に体当たりしている犬もいた。だが、そういう機敏な敵には別の攻撃手段で対処する。

「うっとうしい!! ジッとしてろ!」

 マーカスは吠えながら片手で鉄板に触れた。すると、もう一方の手で保持しているライフルの銃身に刻まれた幾何学模様が発光し、彼の触れた鉄板を急激に冷却する。体当たりして来た犬がその瞬間そこに張り付き、悲鳴を上げながら動きを止めた。

 そこを真司郎しんじろうが、銃の先端に取り付けた銃剣により素早く刺突する。同じ手順で彼等はさらに数匹の素早い変異種を仕留めた。

「ヘッ、一昔前にゃ考えられないほど楽になったもんだ」

「はは、たしかにね」

 やっていることは血生臭い殺戮なのに、昔を振り返って和やかに語り合うベテラン二人。この長銃は朱璃が開発した、いわば“魔法の杖”である。銃として使用出来るだけでなく、内蔵された様々な物質が触媒となり“魔法”の──つまり人為的に発生させた小規模記憶災害の効力を増幅する。

 これのおかげで彼等の仕事は格段にやりやすくなった。

 まったく、朱璃様々だ。


 ──人類がある程度“記憶災害”を制御可能になり、人為的に、かつ規模を限定して発生させたそれを“魔法”と呼び始めたのは百年ほど前のこと。

 だが、それからの一〇〇年間、魔法に関する研究は足踏みを続けていた。扱えるようになった、ただそれだけの段階からほとんど前に進めずいたのである。

 そんな停滞を打ち砕いたのが朱璃だ。


「どれだけ来ようと関係無い。もう、この程度の変異種ならアタシ達の敵じゃないわ」

 彼女は自信満々に班員達の戦闘を眺めていた。新米が二人いるけれど、二人ともこの目で見極めて連れて来た優秀な若手。他も精鋭揃い。雑魚にやられるようなタマは一人もいない。


 ──何故、研究が停滞していたか? それは恐れていたからだ。誰も彼もが記憶災害を怖がり、それを利用することに忌避感を抱いていた。それでは前へ進めなくて当然。

(アタシは違う)

 朱璃はそれを自覚していた。自分には“恐怖心”が欠落していると。怖いという感情を理屈では理解出来ても実感ができない。どうしてもそれを感じられない。

 人として、これはきっと致命的な欠陥なのだろう。

 けれど調査官や研究者としてなら別だ。

(アタシには倫理を踏み外す恐怖が無い。好奇心で命を落とすことにもなんら痛痒を感じない。怖くないってのはそういうことよ。このぶっ壊れた命と頭を上手に使えば、人類は大きく前進できる。あのクソッタレどもに反撃できる)

 脳裏に霧と共に現れる怪物達の姿が浮かんだ。


 恐怖は無い。それでも怒りはある。


「皆殺しにしてやる……アタシの頭で、お前らをブチ殺してやる」

 次の瞬間、建物が一際大きく揺れた。前面の壁に亀裂が走る。

「デケエのがきたぞ!!」

「ブフッ……フウッ……フウッ……!!」

 マーカスの言葉通り、通常よりさらに大型化した熊が姿を現していた。しかもかなりの遠距離に。まるで人間の手のように変形した両手で岩や倒木を掴み、こちらの銃の射程外から投げ飛ばして来る。さながら投石器だ。

「賢いじゃない」

 朱璃は敵の作戦を賞賛した。

 まあ、殺すのだけれど。

「朱璃ちゃん、出番やで!!」

「OK」

 彼女は机を引きずって部屋の中央まで移動させると、その上に自分専用の対物ライフルをバイポッドで固定した。

 今や貴重になった旧時代の高性能スコープ越しに巨体を捉える。二二〇メートルほどか、この距離なら細かい計算を行うまでも無い。体内の魔素を放出し銃口よりさらに先の空間で思い描いたイメージを“再現”させる。細長い筒状のそれは、いわば加速装置の役割を果たす魔法。

「くたばれ!!」

 発射されたのは通常の一二.七mm弾。しかしそれは朱璃の展開した特殊な力場を通過しながらさらに加速すると、前方の空気を押し潰し、白熱化しながら本来の数倍の速度で鉄板の穴を潜り抜けた。

 そしてボッという音を立て、熊の変異種の頭を粉砕する。音速を突破して撒き散らした衝撃波は弾道の近くにいた犬達にまでダメージを負わせた。動きの鈍ったそれらに仲間達がトドメの銃火を浴びせる。

 朱璃は小柄で許容量が少ない。だから一発の威力を高める方向性で自らの武器と魔法をカスタマイズした。その結果が、ただでさえ強力な対物ライフルの威力をさらに上の次元に引き上げた今の攻撃。これを喰らって死なない“生物”はいない。

「ふう……」

 とはいえ、体内の魔素を一気に消耗したせいで身体は重くなった。長年魔素の充満する環境で生きて来たことで現代人は少なからずその影響を受けた。記憶の再現を無意識に利用し、身体能力の強化や動作の補助を行っているのだ。でなければ十五の小柄な娘に、こんなデカブツを扱えるはずも無い。

 今しがた倒した変異種と呼ばれる動物達もその類である。多くの生命が過酷な自然環境で生き延びるため魔素に適合し進化した。その多くは人を襲う害獣と化している。

 とはいえ、陸の獣などまだ可愛い方。魔素の濃度が高い水中の生物はさらに大型化してしまった。だから現代において海洋資源の確保は漁師でなく軍人の仕事。それも厚い装甲で守られた軍艦を使って近海でのみ行われる。外洋は危険すぎて、この二五〇年間、誰も生還できた者がいない。

(沖縄とかどうなってるのかしらね……)

 崩界の日の直後、一応は生存者が確認されたそうだ。今でも人間が住んでいるかは甚だ疑問だが。

 なにはともあれ片付いたらしい。静かになった。

「おつかれさん、朱璃ちゃん」

「被害は?」

「外の防壁と、この壁がちょっと壊れたくらいです」

「そう」

 小波の言葉に満足気に頷く彼女。

 直後、お腹がぐぅと鳴った。

 友之が笑う。

「流石は班長、育ち盛り」

「誰か外に転がってるの解体してよ。アタシ、もう余分な糧食が無いわ」

「そんなすぐにバラせねえよ。それにアイツら寄生虫の宝庫だぞ、やめとけ」

「知ってるわよ。でも、お腹が空いたの」

「仕方ねえな」

 そう言ってマーカスは干し肉を一枚くれた。

「しっかり味わって食えよ。俺も、もう分けてやれる分は無えんだからな」

「ありがと」

 言われた通り、時間をかけて有り難く頂くとしよう。

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