三章・悪魔(1)

 千切れた腕。

 燃える街。

 夜空を覆った霧。

 雷光を纏う銀色の角。

 何かが爆発して大地を消し飛ばした。

 とてつもなく恐ろしい力が──


「……う……っ?」

 目を覚ました伊東いとう あさひは、それまで見ていた夢の内容をすぐに忘れてしまった。とても嫌な夢だった気はするのだが、覚えているのはその印象だけで、他には何一つ思い出せない。

 そもそも、ここはどこだ?

(うちじゃない……よな)

 見知らぬ部屋だった。黴臭く不潔な感じで壁には無数の亀裂が走っている。そのためか明らかに後付けの鉄骨で補強されていて、剥き出しのそれがかえって不安を誘った。地下都市の集合住宅ではない。母と祖父母と自分、四人で二年間を過ごしたあの部屋とは別のどこか。

(何で、こんなところに?)

 倦怠感と微かな頭痛に顔をしかめつつ直前までの記憶を探る。

 そう、建設現場にいたはず。いつものように中学時代の級友達や大人達、そして後から作業に加わった後輩達と力を合わせ、全都民の移住が終わってもまだ完成していなかった商業複合施設の工事を進めていて……。


 ──そこから先の記憶が、無い。


「あれから、何を……え?」

 起き上がろうとしてようやく気付く。拘束されている。手足をベルトで縛りつけられて動かすことができない。腹のあたりにも強い締め付けを感じる。

「な、なんだこれ? なんだこれっ!?」

 暴れてみるも、拘束具はびくともしなかった。

 直後、そんな彼に声がかかる。

「落ち着きなさいよ、英雄さん。みっともない」

「は? え?」

 顔だけを動かして声の発せられた方向を見ると、奥の暗がりから少女が一人、ゆっくりと歩み出て来た。自分より何歳か年下に見える赤毛の子。日本人らしくない顔立ち。でも、今しがた聞こえた言葉はたしかに日本語だった。

「ふーん……目を開けると、ますます似てるわ」

 青い目でこちらの顔を覗き込み、妙なことを言う。俺が誰に似てるって? でも、眉をひそめた彼自身、何故か目の前の顔に見覚えがあるような不思議な既視感を覚えた。

(この子、誰だっけ……?)

 考えてみたものの、やはり思い出せない。どこかで見た気はするのに。

「君……誰だい? どこの子?」

 彼がそう問いかけると、少女はムッと唇を尖らせる。

「子供扱いはやめてちょうだい。これでも現役の特異災害調査官なのよ」

「とく……え? 何?」

 何かのゴッコ遊びだろうか? いや、それにしては彼女の着ている黒いスーツも含めて、やけに手が込んでいる。この部屋の雰囲気も含め、ただの子供の遊びには見えない。

「ふうん、その反応……ブラフかしら? それとも本気? ねえ、自分の名前言える?」

 どことなく人を小馬鹿にするような視線を向けられ、旭は旭で苛立ちを覚えた。

「なんで君にそんなことを答えなきゃいけないんだ。それより、これをほどいてくれ」

「あらら、人を子供扱いした割に状況も正確に把握できてないのね。ほどくわけがないでしょ? どうして縛りつけたと思ってるの、こうするためじゃない」

「な──ぎゃっ!?」

 彼の剥き出しになっている胸に少女の左手が置かれた瞬間、凄まじい痛みが全身を駆け巡った。体内で無数の針が生まれたような激痛。

「な、なん……っ、なに……」

 涙目で余韻に震える彼の顔を、一旦手を離した少女が冷笑を浮かべつつ見下ろす。

「体内の魔素を操作しただけよ。珍しくもないでしょ? ちょっと訓練すればこの程度のこと、誰にでも出来る。

 けど痛いわよね? 知ってるわ。私達特異災害調査官も必ずそれに耐える訓練を受けるもの。だからこの術が、とっても有効な尋問の手段だってことも知っているのよ」

「いぎっ!? あぁああっ!!」

 またしても激痛が走った。これはもう絶対に子供の遊びじゃない。この子は本当に自分を尋問しようとしている。

 いや、これは拷問だ。

「ま、待って……やめ……な、何を……」

「何を訊きたいのか、ね? OK、早速素直になってくれたじゃない」

 上機嫌な顔でそう言うと、彼女は“いつでもやれるぞ”と言わんばかりに旭の胸に手を置いたまま問いかけて来た。

「もう一度訊くわ。名前は?」

「い……伊東 旭」

「東京都出身?」

「は……い」

「新宿の地下で建設作業に従事していた?」

「そう、です」

 なんなんだ? どうしてそんなことを質問する? 少女は一答を得るごとに満足そうに頷いているが、意図がわからず旭としては困惑の度が深まるばかりだった。そこへさらに奇妙な質問が投げかけられる。

「ドロシーという名前に聞き覚えは?」

「は?」

 ピクリ、と少女の指先が動いた。それを感じ取ったことで慌てて回答する。

「す、彗星っ! あの彗星の名前だよね!!」

「……ドロシー・オズボーンは知らない?」

「ひ、人の名前……? 知らない。でもたしか、あの彗星を発見した人の娘さんの名前もドロシーだって聞いたけど……」

「……ふむ」

 こちらの答えに納得したのかしてないのか、少女は顎に手を当てて何事か思案する。

 やがて次の質問を投げかけた。

「母親の名前は?」

「伊東……あきら……」


 何故だろう? その名前を口にした途端、胸がきつく締め付けられた。

 切ないというより、ただ苦しい。母の名を口に出すことが、してはいけないことだったような不可解な感触。

 そして少女は、何故か父親の名前は尋ねなかった。訊かれたところで旭自身も知らないのだが。


「やっぱりね、やっとアンタの正体がわかった」

「正体……?」

 自分はさっきから本当のことしか答えていない。伊東 旭。東京都出身。新宿の地下で地下都市の建設作業に携わっていた。母の名は陽。これ以外に真実など存在しない。

 けれど少女は立ち上がり、憐れむように彼を見下ろす。見ようによっては、それは嘲笑ともとれる表情。

 その顔のまま、彼女は彼女の見つけた真実を告げた。



「アンタは伊東 旭じゃない」



「……は?」

 この子は何を言っているんだ? 意味がわからない。本当に、どうしてもわからない。

 どうして自分は──その言葉を否定できない? なんで頭の片隅で“その通り”だなんて思ってしまっているんだ?

「うぐっ!?」

 痛みとは別の不快感が襲って来た。少女の意志で再び、体内にある何かが操られる。

「ドクターの触診でも見つけ出せなかったということは、よほど完璧に“再現”してあるのね……でも、アンタが“伊東 旭”でないとわかった以上、多少手荒にしても構わないでしょう?」

「ぐっ……ああっ!? や、やめ……!!」

 体内を蛇が這い回るような感触。その蛇が何かを探している。

 探して、執拗に嗅ぎ回って、やがて見つけた。

「あった」

 ニマーッと嬉しそうに笑う少女。暗闇の中、浮かび上がったその顔は今の旭には悪魔にしか見えなかった。

 悪魔の見えない腕が旭の心臓を掴み、その中に浸潤してくる。

「あ、が……ぐ、うあ……」

 圧迫されて鼓動が弱る。呼吸が上手くできない。背中が仰け反り、口からは泡を吹いた。それでも少女は絶対に手を離そうとしない。唇を寄せて耳元で囁く。

「やっぱりね」

「班長!」

 突然、部屋の扉が開いて白衣を着た中年女性が入って来た。彼女の手で強引に旭から引き離される少女。途端に表情を変えて不機嫌を表す。

「ちょっと、何するのよドクター」

「ドクターだからだよ。まさか殺す気かい?」

「殺す? ハハッ、何言ってんの。それは人間じゃないわ、ただの“記憶”よ」

「がはっ!! っは、ごほっ!!」

 少女は咳き込む旭を見つめ、もう一度真実を伝えた。

「アンタは“伊東 旭”を真似ているだけの魔素の塊。つまり“生物型記憶災害”よ」

「な……に……?」

「ああ、そっか、その様子から察するに再現されたのは“崩界”前の記憶なのね。じゃあ知らなくても無理は無い。OKOK、一から説明してあげる。きっと長い付き合いになるでしょうしね」

 少女は笑いながら医師らしき女性を振り解き、もう一度“旭”に詰め寄った。

 ただし、もう手は出さないと両手を上げてアピールしながら。

「大丈夫、丁重に扱ってあげる。ごめんね。本当に何を考えてたのかしら、大切なサンプルなのに。一〇分以上経過しても消えない記憶災害なんて“アイツ”以外では初めて見たわ。絶対に、どんなことをしたって解明してやるから、その原理。ふふ、あは、あはははははははははははっ!!」

「落ち着きなって、班長」

 興奮冷めやらぬ少女を再び羽交い絞めにして引き離すドクター。そんな二人を怯えた目で見つめる旭。


 そして、その時だった。

 窓の外から轟音が響く。


「なに?」

 建物全体が小さく揺れ、にわかに部屋の外が騒がしくなった。動物の鳴き声や人の声が聴こえて来る。

「何か起きたみたいだね」

 少女から手を離し窓辺まで移動したドクターは、木戸を少しだけ開けて外の様子を窺った。

「変異種の群れだ。防壁に体当たりしてる」

「あらら。ドクターはここで“それ”を見張っといて。アタシ達で対処する」

「あいよ」

 冷静さを取り戻した少女を素直に見送る女性。少女が出て行った後、まだ混乱している旭の方へと振り返り、白衣のポケットに手を入れながら近付いて来た。

「悪いね。お前さんの正体がわかった以上、一人で見張りなんておっかなくってしょうがない。どうか恨まないでおくれよ」

 そう言って彼女は、素早く彼の首に針を刺した。注射針を。中の薬が血管に注入されるなり、驚く暇も無く意識が混濁し始める。

「なん、で……」

 せめて説明が欲しい。だが、すぐに彼は再び眠りの海へと沈んでしまった。

「班長を止めるために用意しておいた麻酔だったんだが、やっぱり、この坊やにも効くんだね。本当に人体を完璧に再現しているわけだ。くわばらくわばら」

 白衣の女はそう言いながら椅子に座ると、新しい巻きタバコに火をつけた。

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