二章・遺物(2)

「特におかしなところは見当たらないね」

 星海班専従の医師・門司もんじ 三幸みゆきは、そう言って正体不明の少年から手を離した。副長のマーカスと同世代の四十二歳。髪は短く切り揃えていて、表情は常に不機嫌そうに見える。だが実際のところ彼女がそういう顔をしているのはいつものことなので、朱璃は特に気にしなかった。

「ご苦労様、先生」

「あいよ」

 ささっと記入したカルテを手渡した後、手製の巻きタバコに火をつける門司。

「ちょっと、煙たいんだけど」

「ああ、ごめんごめん。窓を開けるよ」

 言いながら部屋の端に移動して木戸を一つ横にずらす。当然だが窓ガラスなんてものは無い。流れ込んで来た冷たい夜気に身震いしつつ、外に向かって煙を吐き出した。関東圏とはいえ、やはり今の時期はまだ寒い。雪が降っていないだけ王都よりマシだが。

 ここは他の仲間達がいるのとは別の部屋。階層も違う。彼女達がいるのは三階で仲間は二階。旧時代には両方とも何かの会社のオフィスとして使われていたらしい。文明の崩壊から二五〇年経った現在、ここのように原型を留めている建物は希少で、周囲は何も無い荒れ地になってしまっていた。倒壊した他の建築物は風化して風に流され、今は瓦礫すら残っていない。人が住まなくなると家はすぐに朽ちると言うが、それは何も民家に限った話ではないのだ。

 少年は未だ意識が戻らず、裸の状態で木組みの簡易寝台に寝かされている。一応、まだ一五歳の朱璃に配慮して股間はシーツで隠しておいた。本人は異性が裸だろうと全く気にしないのだが。

 軽く一服した門司はカルテに書き込んだ内容を口頭でも説明する。

「魔素による簡易検査で全身くまなく調べてみたがね、いたって健康体だ。怪我は無いし、脳にも損傷は見受けられない。反応も普通の人間との違いは、ほぼ無い」

「ほぼ?」

「一つだけ気になる点があった」

「……ああ、これね。備考欄の」

「そういうこと」

 まだ幼い上司の言葉に、不可解そうな表情で腕組みする。

「うちの連中同様ガタイの良い坊やだが、それを踏まえてみても血液中の魔素量が異常に多い。おかげで触診がやり辛かったよ。普通の人間ならこの半分も無い」

「ふうん……やっぱり。でも、どうやって保持してると思う?」

「さあね。特異体質か、薬でも使って血液を変化させているのか……触ってみた感じだけじゃ判別つかないね。血液検査もやってみるかい?」

「ええ、お願い」

 じゃあ、とタバコの火を消して部屋の中央に戻り、簡易検査キットを使って少年の血液を調べる門司。

 結果はいたって普通のO型の血だった。薬物の類もなんら検出されない。

「顕微鏡で見てもおかしな点は見当たらない。やっぱり含有される魔素量が多いこと以外、特別なところは無いね。ここじゃこれ以上詳しいことは調べられないし」

「そう……」

 肩透かしな結果ではある。とはいえ一つだけ確認は取れた。

(やっぱり並の人間よりも“許容量”は多いということか)

 許容量とは体内に蓄積しておける魔素の量のことだ。現在の、この汚染された世界では生死を分けることさえある重要な才能。


 ──許容量を決定付けるもの、それは端的に言えば体格である。

 二五〇年前の“崩界”で世界に満ちた魔素と呼ばれる物質。よほど高密度にならないと肉眼で視認することは難しいが、それでも確かに存在するこの微細な粒子にはいくつかの特性が備わっている。

 その一つは水分と結合しやすいというもの。

 彼女達“特異災害調査官”に体格の良い人間が多いのは、それが理由である。体が大きければ、そこに含まれる水分も多い。それはすなわち許容量、体内に蓄えておける魔素の量に直結する。

 ちなみに朱璃の場合、小柄だが飲食や呼吸によって魔素を取り込む力が人並外れて高い。そのためギリギリで調査官採用試験に合格することが出来た。

 そもそも今はまだ十五歳だし、父も母も高身長。将来的には体格の面でも十分に基準を満たせるだろう。


 何故、魔素を多く保有することが有利に働くのか──それは人類が進化し、この粒子を利用できる肉体になったからである。


(伊東 旭……彼のようにね)

 かつて人類を救った英雄。誰より早く魔素に適合した人間。今、他の人類も遅々とした歩みではあるが彼と同じ道を歩き始めている。

 彼以外で最初に“適合者”が現れたのは二二〇年前のことだったそうだ。

 彼と同等の超常的な力を発揮出来たわけではない。しかし第二号適合者は拡散して薄くなった魔素を認識できて、常人より高い身体能力も発揮した。そして同様の力を持つ者達が少しずつ数を増やし始めた。


 ──魔素が持つ特性の中で最も奇妙なものは、接触した生物の“記憶”を保存し一定の条件下で“再現”するというものだ。

 どうしてそんなことが可能なのかはわからない。だが事実として魔素はそのような現象を発生させる。たとえば誰かの見た“火災”の記憶を保存したとしよう。そして、条件が揃ってそれが“再現”されたとする。

 次の瞬間、魔素は自らを炎に変える。本物ではないが限りなく本物に近い炎だ。そして保存された“記憶”の通りに周囲の全てを焼き尽くす。

 これが“記憶災害”と呼ばれる現象。


 人間の体に起こった変化も、おそらくはこれに関係しているというのが最も有力な仮説だ。崩壊の日からたった三十年。本来、そんな短期間で生物が進化することなど有り得ない。

 けれど魔素に満ちた今のこの世界で、体内の水分と結合した魔素それが過酷な環境下で必死に生き延びようとする人間の思考を“再現”した結果、短期間での進化がもたらされたのではないか? 研究者達はそう見ている。

 その説が正しいかどうかはともかくとして、事実進化した人間は現れ、現在では北日本王国の人口の七割が“適合者”となっている。魔素に適合できた人間の方が生存率は飛躍的に高まるため、自然淘汰が行われた末の当然の結果だ。

 だが、それだけ多くの人間が“適合者”となった現在でも伊東 旭という超常能力者に匹敵する存在は一人も現れていない。最初に進化を果たした人類でありながら、彼だけは次元が全く違った。伝承が事実なら、彼は拳一つで東京に巨大なクレーターを生み出したという。シベリアに隕石が落ちて発生したツングースカ大爆発のような天文学的な破壊力を個人が生身で発生させたことになる。

 そして、この少年──ドクターの言を信じるならではあるが、目の前で眠っている旭と瓜二つの少年も体格に見合わない量の魔素を体内に貯め込んでいるらしい。そもそも朱璃に比べたらかなりの恵体なわけだが、同程度の身長と体型であるマーカスの許容量を以てしても、あの山火事の中で身を守り続けることは不可能。ならば実際に規格外の許容量を有している可能性は高い。

 たとえば、その秘密を解き明かすだけでも一等勲章ものの功績だろう。今の時代、魔素を多く扱えるにこしたことはないのだから。

(もっともアンタの真価は、そんな“ちっぽけ”なことじゃなさそうだけれど)

 ──昼間、この少年を発見した時に朱璃は面白いものを見つけた。身分証明書だ。彼の着ていた時代錯誤な服のポケットに入っていて、顔写真と彼の身分を明かす情報、そして奇妙な幾何学模様が“印刷”されていた。


 素材はプラスチック。科学文明の崩壊した現在では失われた物質。


(あんな高度な印刷技術も今は無い……どうやって作ったの?)

 しかも、その証明書にはたしかに書かれていた。彼の名前が“伊東 旭”だと。

 同時刻、マーカスは否定していたが、朱璃も友之と同じ考えを抱いた。もしかしたら彼は時間を飛び越えてやって来た本物の“伊東 旭”なのでは? タイムワープなどという眉唾話を信じているわけではないが、旧時代には冷凍睡眠という技術があったし、未知の現象だって存在そのものは否定していない。

 とはいえ、可能性だけなら他にも色々考えられる。なんにせよこの少年に大きな価値があることは確かだ。そして、それはきっと“許容量の拡張”なんかよりもっと大きな何か。直感がそう告げている。彼からは、より真理に近い秘密を引き出せるはずだと。

 朱璃は半ば無意識に自分の尻ポケットへ手を差し入れた。そこに突っ込んでおいた例の身分証明書をもう一度確認しようと思ったのだ。

 そして次の瞬間、眉をひそめる。

「あれ?」

「どうしたい?」

「ごめんドクター、そのへんにカード落ちてない? 大事な物なのにいつの間にか落としちゃったみたい」

「あんたが落し物だなんて珍しいね。しかし、見たところこの部屋には無さそうだよ?」

「あれえ? どこで落としたかな……ごめん、探して来る」

「あいよ」

 室外へ出て行く彼女を見送る門司。子供がいないうちに、もう一度吸っておこうかなと、さっき途中で火を消したタバコを取りに窓際まで引き返す。

 ところがその直後、彼女もある物が消えていることに気が付き、焦り出した。

「えっ、ちょ、この坊やの服、どこ行ったんだい? ここに置いといたはず……まずいな、班長にどやされちまう」

 彼女も慌てて消えたそれを探し始める。

 けれども、二人の探し物は二度と見つからなかった。

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