六章・逃走(3)

 渡り切ったところでマーカスは指示通り馬の足を止めた。どんな考えがあるのか知らないが、朱璃のことは信頼している。少なくとも咄嗟の機転は自分より上だ。

「班長、マーカスさん、何を!?」

「アンタ達は先に行って!」

 同じように足を止めた仲間達に指示を出し、銃を構える朱璃。それでやっと彼女の狙いを察したマーカスは近付きつつある敵を睨み、タイミングを計った。

「三つ数えたら撃て!」

 朱璃は狙いを定めつつ無言で頷く。

「三! 二! 一! 今だ!!」

 マーカスが最後の一言を言うのと同時、朱璃の対物ライフルが白い閃光を放った。どうにか一発撃つ程度の魔素は吸収できていた。

 その光は後方から追いすがる敵ではなく、その下を狙った。すなわち鉄橋を。

 自重を支えていた鉄骨のうち何本かが寸断され、経年劣化で脆くなっていた橋は瞬く間に崩壊を始める。朱璃は構造上の要となっている部分を的確に撃ち抜いたのだ。

 ちょうど橋に乗ったところだった敵は崩落に巻き込まれ、再び崖下へ落下する。それを確認して馬首を巡らせるマーカス。

「野郎ども、行くぞ!!」

 同時に彼は、後ろに乗っていた朱璃を引っ掴んで自分の前へ座らせた。その全身は再び虚脱状態に陥っている。生命維持に必要な分以外の魔素を使い切ったせいだ。

「無茶しやがって」

「いつものことよ」

 違いねえ──彼がそう言おうとした時、頭上に大きな影が差す。

「なっ!?」


 長く、長く、突起を一本だけとてつもなく長く伸ばし、それを使って棒高跳びのように数十mの高さまで自分を持ち上げた怪物が、突起を縮めて落下して来る。球形だったそれの全身から再び大小無数の鋭利な突起が出現した。


「防御!」

 敵の狙いを見抜いた朱璃が力を振り絞って叫ぶ。直後、敵は彼女とマーカス、そして仲間達の間の位置に着地した。そして地面に接している突起を支点にして横向きに回転する。他の無数の突起を長く伸ばしながら。

 扇風機の中に突っ込んだ塵のようなものだった。横合いから思いっ切り殴られ、全員が派手に吹っ飛ぶ。

 朱璃は木に叩き付けられた。



 竜──落雷によって生じた生物型記憶災害がそう呼ばれる理由は、三つある。

 まず、奴等には常識が通用しない。そもそも地球の歴史上、実在しなかったはずの生物。それが何故か落雷をトリガーにして再現されてしまう。いったい魔素に蓄えられていたその記憶はどこからやって来た? 答えは未だにわからない。

 まるで異世界から来たとしか思えない非常識な存在。その大半は圧倒的な戦闘力と高い攻撃性を有している。だからこその“竜”でもある。ファンタジーに登場する強力無比で凶悪なモンスターの代表格と言えば、やはりドラゴンだろう。

 そしてもう一つ……日本において最初に確認された生物型記憶災害。その姿が銀色の長い角を持つ赤い竜だったから、というのが最も大きい理由。

 その最初の怪物の名を、人類は“シルバーホーン”と名付けた。



「あああああああああああああああああああああっ!?」

「う……くっ!?」

 絶叫を聴いて目を覚ます。少しの間、気絶していたらしい。朱璃が瞼を開くと視界は半分赤く染まっていた。額が痛い。そこから出血しているようだ。

 マーカスが魔素で障壁を展開してくれたおかげで死は免れた。けれど、もう立ち上がる力は残っていない。アサヒ以外、全員周囲の木々や地面に叩き付けられて倒れたまま。

「は、放せ……やめろっ!!」

 アサヒは空中でもがき続ける。怪物の突起で肩を串刺しにされ、高々と持ち上げられてしまっていた。その突起を両手で掴み、必死に足で蹴りつけているがビクともしない。


 そして何かが、その突起を通じて敵に流れ込んでいた。怪物の全身が強い銀色の輝きを放ち始める。

 再び、出現時のようにカチカチと音を立てて回転する他の突起。その速度が次第に上がっていく。


(昨日の変異種と、同じ……?)

 犬達の身に起きた不可思議な現象を思い出した直後、朱璃の脳裏に一つの可能性が思い浮かぶ。確認のため左手にはめた腕時計を見て息を呑んだ。

 やっぱり。たった今、出現から一〇分が経過した。なのにあの“竜”は存在を維持している。消える気配が全く無い。

(そういうこと?)

 昨晩、変異種達もアサヒに噛み付いた時、同じような光を放っていた。つまりはあれが、あれこそがアサヒの狙われる理由。魔素に適合した獣達にさらなる進化をもたらし、記憶災害に維持限界を超えた時間を与える何か。

「やめ、ろ……」

 這いつくばったまま懸命に手を伸ばす。

 空中のアサヒに向かって。

「それは、そいつはアタシのだ……」


 今度こそ。

 今度こそ手に入れて見せる。

 力を。

 復讐を成し遂げるための武器を。


「アタシ、の……だ」

 でも手が届かない。その事実にオモチャを取り上げられた子供のように泣いてしまった。

 悔しい。今度もまた負けるのか? 自分達人類は、いつまで、あの理不尽な存在に踏み躙られ続ける?

 どうして人間は、より上位の存在に勝つことができない?

 マーカスもカトリーヌも友之も、目を覚ましたが動けなかった。ウォールは小波と門司を庇って視界の片隅で気を失っている。

 けれど、たった一人、まだ動ける者が残っていた。


「ガッ!?」


 突然、アサヒが悲鳴を上げて吹き飛ばされる。彼の体に着弾した風の魔法がその風圧で吹き飛ばしたのだ。

 けれど、それは“攻撃”ではなく“救助”だった。

「ジロさん!?」

「ぅぐッ!?」

 反射的に竜の放った攻撃が、一人だけ立ち上がった真司郎の腹部を貫く。ところが、その直後に彼を刺し貫いた突起は先端から崩壊を始めた。

「グギュッ!?」

 怪物は丸めていた体を広げ、再びトカゲのような本体を曝け出す。そして地面に落ちたアサヒを飲み込もうとする。

 でも遅かった。一瞬早く、その全身は霧状に解けて消滅した。アサヒからの力の供給が断たれたことで、本来とっくに始まっていたはずの維持限界をようやく迎えたのだ。

「ジロ……さん」

 吸収能力の高い朱璃は、空気中に拡散した膨大な量の魔素の一部を取り込み、立ち上がれる程度に回復した。

 彼女の視線の先で、うつ伏せに倒れた真司郎は血を流しながら穏やかに微笑む。すでに出血は致死量。高齢だし、とても助けられない。

 彼の視線の先にはアサヒと朱璃がいた。


「……いきなさい」


 それが、老兵から若者達に向けて贈る最期の言葉になった。

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