七章・出現(1)

 あれから一時間ほど経ち、アサヒ達は移動を再開していた。

 誰も何も言わない。ただ黙々と北に向かって歩き続ける。あの場にいた馬達は全滅してしまったが、逃げたうちの一頭が戻って来たため、怪我をしている小波と真司郎の遺体をその背に乗せた。幸い小波以外は軽傷だったので歩くだけなら支障は無い。

 アサヒは歩きながら馬上の遺体を見つめた。毛布に包まれていて顔は見えない。でも笑ったまま死んでいたことは覚えている。

 彼は、その表情通り安らかな気持ちで逝けたのだろうか……?


「こんなのは、よくあることだ」


 ──遺体を馬の背に乗せる時、マーカスにそう言われた。誰一人、その言葉を否定しなかった。

 嘆き、死を悼みつつ、それでも彼等は淡々と仲間の死を受け止めている。おかげで彼もようやく理解出来た。今の日本は、そういう場所なのだと。誰もが、ほんの少しの不運で簡単に死んでしまう、理不尽な世界になってしまったのだと。

 雨は上がった。タイミングが違えば真司郎は生きていたはず。せめて落雷さえ無ければ、いや、落ちた場所が目の前でさえなかったら……可能性はいくらでも考えられる。


 けれど事実は、どうやったって変えられない。

 彼は死んだ。


「……」

 無言のまま鼻を啜る。他の面々と違って付き合いは短かった。なのに、あの時もらったスープの味を思い出したら自然と涙がこぼれた。

 そんなアサヒに対しても、やはり彼等は何も言わない。表情にはそれぞれ異なる思いが表れていたが、結局、言葉に出来なかった。

「もうすぐよ」

 日が傾いて来た頃、一際無感情に見える朱璃あかりが彼方を指差す。その先では木立が途切れ、鮮やかな緑の草に覆われた丘が姿を現していた。微かに潮の香りがする。潮風が強く吹き付けていて、そのせいで植生が変わっているのかもしれない。

「あの丘を越えれば、福島が見える」

 その言葉を聞いた一同の顔に安堵が、瞳には不安が同時に浮かぶ。

 理由を察した朱璃は、丘を見つめながら皆に告げた。

「大丈夫よ。ジロさんの家族にはアタシから説明する。別に、大した手間じゃないわ」

「手間?」

 事務的で、なおかつ傲慢な物言いにアサヒだけが噛み付いた。

 涙を拭い、鼻声で問い質す。

「なんだよそれ……その程度のことだとしか思ってないのか? 人が死んだんだぞ!」

「アサヒ!」

 友之が彼を諌めた。同時にウォールが、彼でも朱璃でもなくマーカスの腕を掴んで止めようとする。しかし振り払われた。

「テメエ……」

「なんですか? だって、あんな言い方──」

 反論は最後まで言わせてもらえなかった。マーカスが問答無用で殴ったからだ。

 アサヒは吹き飛ばされ、一人、地面に転がる。

「マーカス!」

「黙ってろ!」

 朱璃の言葉にさえ耳を貸さず、倒れた少年にさらに詰め寄り、胸倉を掴んで強引に引き起こす。

「おいボウズ、オレが一番我慢ならねえことを教えといてやる。オレの前で朱璃とアイツの親父のことだけは侮辱すんな」

「そんなことしてない。俺は、間違ってると思ったことを指摘しただけだ!」

 アサヒもアサヒで頭に血が昇ってしまったらしく、発言を撤回しなかった。マーカスは据わった目で、もう一度拳を振り上げる。

「やめなさい!」

 朱璃はそんな彼に対して銃口を向けた。いや、この位置関係ならどちらにも当たるだろう。

「馬鹿なことしてないで、さっさと福島に行くのよ!」

「馬鹿なことをしてんのはお互い様だ。朱璃、お前、本当にコイツを連れて王都に入れると思ってんのか?」

「え?」

 マーカスの言葉の意味がわからなかったのは、アサヒだけだった。他の皆はその可能性を考えていたらしい。彼と朱璃、どちらにも味方できず成り行きを見守っている。

「だから、それは私が頼めば──」

「いや、無理だ。断言してやる。いくらお前でも、ここから先に“記憶災害”を持ち込む許可が降りるはずはねえ」

 言うなり、彼はアサヒを放り投げた。突然解放されて尻餅をついた少年は、意図がわからず目を白黒させる。

「行け」

「え?」

「さっさと行けってんだ。ここから先は“人間”の世界だ。お前の居場所なんざ無えよ」

「勝手なことを言わないで!」

 朱璃は照準をアサヒの足に合わせた。やはり、彼女には彼を逃がすつもりなんて無い。

 一触即発の空気に、他の調査官達は二人を刺激しないよう小声で囁き合う。

「カトリーヌさん、無理なんスか? アイツを連れてくのって……」

「さあなあ……朱璃ちゃんが頼めばワンチャン、とは思うけど、そもそもマーカスはんもそないなことわかっとるはずやし」

「じゃあ、なんで?」

「決まっとるやろ……班長あかりちゃんのためや」

 察しの悪い友之以外は、すでに気が付いていた。マーカスはこの時を待っていたのだと。朱璃が駄々をこねても強引に連れ帰ることが可能なタイミングを。


 全員、アサヒと共に歩いたこの道中で考えていた。本当に彼を連れて行っていいものかと。人の姿をしていても人でない存在。人間社会に連れて行かない方が彼にとっては、いや、互いにとって幸せかもしれない。

 アサヒに同情したからというのもあるが、それ以上に、自分達の──特に朱璃の立場を悪くする可能性を危惧していた。


 だからマーカスが真っ先に結論を出した。彼は常に朱璃の安全を優先する。もしアサヒを王都まで連れて行って何か起これば、その責任は誰よりもまず、班長である彼女の肩にのしかかるだろう。それは彼にとって、やはり看過できない事態なのだ。

(悪いなボウズ……一人で生きてくれ)

 朱璃はただでさえ微妙な立場にいる。そこにきて三ヶ月前、班員を二人死なせ、またも一人が命を落とした。運が悪かった結果だと言っても彼女の失脚を望む連中は聞く耳持たないだろう。これ以上の失点が重なれば自分では守り切れなくなる。

 だからアサヒはここに置いて行く。それが彼の答え。

「お前も、モルモットにされるよりゃ自由な方がいいだろ?」

「……」

 安全な場所まで辿り着いたら逃げ出そうと考えていたことを、この男には見透かされていた。アサヒはゆっくり立ち上がり、殴られて口の端から流れた血を拭う。

 そして思い出した。手の甲についた血液が銀の煙になって拡散する。そうだ、拭う必要なんか無かったのだ。自分はもう人間じゃない。

 それを見たマーカスもせせら笑う。

「その調子なら大丈夫だろ。なにせ、英雄様を再現した“記憶災害”だもんな」


 一人で生きて行け。出来るはずだと、彼はそう言っている。


「……ですね」

 小さく頷くアサヒ。自信は無い。けれど彼自身もやはりそうすべきだと思った。理由はわからないが、自分は怪物達を引き寄せる。なら人々の住んでいる街へなんか行くべきじゃない。

「アサヒ……」

「しゃあないか……」

 他の調査官達もその決断を受け入れた。まだ納得していないのは朱璃だけ。


 それも当然。彼女にも引き下がれない理由がある。


「ふざけないでよ、さっきのを見ていなかったの? コイツが他の記憶災害に喰われたら、それこそおしまい。第二の“アイツ”が生まれるわ」

「何?」

「どういうことッスか?」

 朱璃の言葉に眉をひそめる一同。その反応を見て舌打ちする彼女。やはりあの時、自分と真司郎以外は見ていなかったのか。アサヒを串刺しにした竜が発光し一〇分間の維持限界を超えた姿を。

 気付いた彼女は説明しようとする。自分達でアサヒを保護しておくべき理由。何故彼を王都へ連れて行かなければならないのか。

 しかし、その口から重大な発見が語られるより先に──生温い風が吹いた。


「……え?」

「なに……」


 アサヒが何かに反応して南の方角へ振り返り、朱璃も嫌な予感を覚えて青い目を大きく見開く。

 直後、彼等の頭上を黒い影が通り過ぎた。

 竜だ。翼長一〇mはあるだろう、文字通りの飛竜。

 ところがそいつは眼下の人間達に目もくれず飛び去って行った。まるで何かから逃げているように。

 さらに言えば一匹だけではなかった。数多くの鳴き声と羽ばたきが聴こえてくる。

「な、なんだ!? 何が起きてやがる!?」

 すでに雷雨は去った。落雷というトリガー無しに、こんなに大量の竜が同時に発生するはずはない。これではまるで──


 うろたえる仲間達を置いて、アサヒと朱璃は走り出す。前方に見える丘の上へ。木々の向こう側を見渡せる場所へと。


 一気に頂上まで駆け上がった二人の視界に、二五○年前の大災害で崩壊した都市の残骸が飛び込んで来た。

(あれが福島……?)

 とても人が住んでいるようには見えない。けれど問題はそこじゃない。

「なんで、ここに……」

 呆然と呟く朱璃に少し遅れて、再び南の方角へ振り返るアサヒ。

「そんな……」

 信じられない光景がそこにあった。赤く染まり始めた空、飛び交う無数の飛竜。そしてその発生源。昨日の朝、筑波山の山腹から見たのとおそらくは同じもの。


「どうして……“雲の障壁”がここにあるのよ!?」


 ──右から左に回転する銀色の雲。東京を囲んでいるはずの巨大な魔素の障壁。それがどういうわけか、この東北の地に現れていた。

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