五章・襲撃(4)
「──電気、ですか?」
「せや、魔素が保存した記憶を再現するトリガーは“電気”に触れること。だから天気が崩れて雷が落ち始めたら、急いで安全な場所まで逃げ込まんとアカン」
それが今の世界の常識だと、トンネルの中へ避難した直後、カトリーヌから教えられた。一行は長いトンネルの中間地点まで移動し、息を潜めながら雷雨が通り過ぎるのを待っている。
いや、正確には雷雨によって“再現”されたものの消失を待っているのだ。
「だから旧時代の科学文明はあっちゅう間に滅びたんだ」
先輩の言葉を捕捉する友之。崩界の日、最も被害が大きかったのは人口が密集している上、膨大な電力も集中していた都市部だった。その場に存在する電気エネルギーと魔素の量が多ければ多いほど、引き起こされる記憶災害の規模も比例して巨大化する。
その事実に気付いた人類は、すぐさま“電気”の恩恵を手放した。そうしなければ生存不可能な状況だったからだ。数百年かけて築いた科学文明の維持より生存を優先した結果、どうにか絶滅を免れる程度の数は生き残った。
不機嫌顔のマーカスが、黒いスーツを引っ張りながらアサヒを睨む。
「この服もな、お前は嫌がってたが、静電気の発生を抑えてくれるおかげで安全性を大幅に向上させたんだ。朱璃の親父に感謝しろよ」
「あ、それで……」
全員が同じ服を着ている理由を、ようやく知ったアサヒ。彼はマーカスから借りたそのスーツに右手で触れ、もしかしてと呟く。
「これ、朱璃ちゃんのお父さんが?」
「そうだ。朱璃が生まれるとわかった後、アイツが必死こいて素材をかき集め検証を繰り返して開発したもんだ。自分の娘のために命がけで頑張ったんだよ」
口ぶりからすると、マーカスは朱璃の父親と知り合いらしい。
多分、友達だろう。
「まあ、だからって本当に死ぬことはないでしょうけどね」
つまらなそうに吐き捨てる朱璃。
マーカスはたまらずたしなめた。
「朱璃。何度も言ってるが、ありゃ上からの命令で」
「でも、行ったんでしょ」
そう返した彼女の声は硬い。どうやら朱璃の父親は特異災害調査官としての任務中に亡くなったようだ。それを察したアサヒは口を閉ざし、密かに納得する。
(だからいつも、あの子と一緒に……)
マーカスは朱璃に寄り添っていることが多い。多分、亡き友人の代わりに父親役をしているんだろう。そう推し量った。
二人はそれっきり黙ってしまい、気まずい空気が流れる。
こういうのは苦手だ。喋っていた方がいくらかマシな気がする。そこでアサヒは先程の説明を聞いて思い浮かんだ疑問を投げかけてみた。
「あの、静電気ってそんなに危ないんですか?」
電力の大きさで記憶災害の規模も決定付けられるなら、静電気くらいは大した問題じゃないのでは?
そんな彼の考えは、全くの見当外れだと即座に否定された。
「静電気を舐めてるわね。場合によっちゃ一万ボルトを超える電圧になるのよ」
「え? そ、そんなに?」
「それも、おおかたフワッとした感覚で驚いてるんでしょ? そもそも記憶災害の発生には一定以上の電圧があれば問題無いの。量より強さね。自然界で発生する場合は、例えば物体同士が擦れ合ったことにより生じる静電気で十分。電力量、つまりエネルギーの総量は記憶の再現における持続時間に関係する。危険すぎて詳しく検証されたことは無いから維持限界の一〇分に到達するまでどれだけの電力が必要かは不明。でも参考までに、雷は二〇〇億kWだそうよ」
億という単位が出たことで、やはりフンワリとだが物凄いエネルギー量だということはアサヒにも理解出来た。
「まあ、人体は意外と高い電圧を溜め込みやすいって認識出来ればそれでいいわ。だからといって感電死するわけでもないし、アンタ達の生まれた時代なら、実際大した問題にはならなかった。けど今は話が別。たとえば一瞬だけだとしても血管内で空気が再現されてしまったとしたらどうなる?」
「えっと……死ぬ?」
「まあ、量にもよるんだけどね。空気塞栓、つまり空気で血の流れが止められてしまって最悪の場合は死に至る。しかも人間の場合、記憶災害の規模を大きくしてしまう要因を別に有している」
「それは?」
アサヒの問いかけに、彼女は自分の頭を指で叩きつつ「イメージよ」と答えた。
「想像力。脳裏に思い描くイメージ。それが鮮明であればあるほど小さな電力でも大きな記憶災害を引き起こす。アンタも何度か見たでしょ、アタシ達の使う“魔法”を」
シュボッと、朱璃の立てた人差し指の上に炎が灯った。まるでライターだ。
「これは生体電流、つまり神経を流れるほんの僅かな電気をトリガーにして体内の魔素に思い描いたイメージを“再現”させているわけ。生体電流なんて酷く微弱な代物よ。でも、そこに人間の想像力が加わるとご覧の通り。一瞬どころか体内に蓄積した魔素が続く限り、この炎は消えない」
「ちゅうても燃料になる魔素の方をそんなにたくさん抱え込めんから、結局そんな長々と発動することは出来へんねやけど。一〇分の維持限界もあるしな」
「ま、そういうこと」
カトリーヌに捕捉されて火を消す朱璃。多分、あんな小さな炎でも長時間灯し続けていると馬鹿にならない消費なのだろう。
「今、燃料という例えが出たわね。魔素が燃料なら生体電流は着火のための火花。想像力は炎を大きくする酸素だと思えばいいわ。自然界で発生する記憶災害はこの酸素が無いに等しい状態で生じる。だから魔素と電力、両方が相応に大きくなければ規模は小さくなり長続きしない。
一方、人間は想像力という名の酸素をたっぷり有している。そのせいで静電気の発生が命取りになる。落雷に比べて弱々しくても、生体電流と比べれば遥かに巨大なエネルギーだからね。結構な確率で致死レベルの記憶災害が発生してしまう」
「なるほど……」
丁寧に説明してもらったことで理解出来た。それならたしかに静電気の発生を抑止するこの服は人類にとっての救世主だ。オリジナルの“伊東 旭”なんかより、朱璃の父親の方がよっぽど偉大かもしれない。
「父さんがこの服を作るまで、人類の死亡原因の第一位は静電気による体内の魔素の暴発事故だった」
だから朱璃の父親は命を懸けた。
生まれて来る娘のために。
「凄い人だったんだね……君のお父さん」
「当然よ、アタシの父だもの」
なんだ、よかった。アサヒは微笑む。さっきの口ぶりからして、ひょっとしたら朱璃は自分を置いて死んだ父を恨んでいるのではないかと思った。でも、別にそんなことはないらしい。照れくさそうな表情から察するに、ちゃんと父親のことが好きなようだ。
アサヒは初めて目の前の少女が年相応の存在に思えた。恐ろしい相手には違いないけど、可愛らしいところもあるらしい。
「何よ、その顔は……?」
彼の笑顔に気付いて苛立つ朱璃。
「え? 俺、変な顔だったかな?」
「ちょっとムカついたわ。お詫びに答えなさい。アンタの親はどうだったの? お母さん、言い伝え通りの人だった?」
母のことも話が残っているのか。
また少し嬉しくなる。
「その言い伝えがどういう内容かは知らないけど……うん、母さんも凄い人だった。何せ女手一つで俺を育ててくれたからね」
伊東 旭という少年にとって母はかけがえのない存在だった。だから彼の記憶の再現である自分にとってもそれは同じ。
しかし心から誇らしげにしている彼を見て、何故か少女は表情を曇らせる。
「そう……良かったわね」
「朱璃ちゃん?」
「さっきもそう呼んでたけど、気持ち悪いからやめて。朱璃でいいわ」
「あ、うん」
本人の希望ならそうしよう。素直に頷いたアサヒだったが、朱璃の妙な様子が気がかりで周囲に視線を走らせる。すると他の調査官達はあからさまに目を逸らした。
(もしかして、この子に母親の話はNG……?)
よくよく考えると、我が子がこんな危険な任務に従事するのを容認している親だ。良好な関係ではないのかもしれない。
(こんな歳で班長なんて呼ばれてるし、朱璃はきっと特別な子なんだろうけど、今の時代の普通の子供はどんな暮らしをしてるのかな……)
自分達の時代のように、成人もしないうちから働かされていなければいいが。彼はまだ見ぬ現代の児童達の境遇に思いを馳せ、少しばかり心配になった。
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