五章・襲撃(3)

 翌朝、前日と同様大量の獣の死骸を森に投げ込んで処理した朱璃達は、まだ日が昇り切らないうちに出発した。状況証拠からの推測でしかないとはいえ、もし本当にアサヒが変異種を引き寄せているなら一刻も早く福島まで到達しておきたい。急げば明るいうちに辿り着けるはずだ。

「ああ~、ねみい」

「規則とはいえ、一晩中片付けと補修作業スもんね……」

 昨夜の襲撃後、建物の中を見て回ったら案の定、壁の一部が崩れていた。他にも色々とガタが来ていたので、応急手当程度の処置ではあるが、後から使う者達のために修繕しておいたのである。

「ああもう、結局あのワンコちゃん達のおかげでほとんど寝てへん」

「しかたないですよ……」

 カトリーヌのボヤきにそう返しつつ、小波も大きなアクビをする。各地の拠点の維持に努めるのも特異災害調査官の重要な仕事なのだ。

「しかし今回はアサヒ君のおかげで作業が捗ったよ、ありがとう」

「いえ、そんな」

 真司郎の言葉に照れ笑いを浮かべるアサヒ。当然監視付きではあったものの、彼も一時的に拘束を解かれて作業を手伝った。その手際が存外良かったわけだ。

「一応、その……ずっと似たようなことをしてましたから」

「そうだったね」

「はは……」

 苦笑いするアサヒ。まさか、建設作業員として働いた経験を二五〇年後の世界で活かすことになるとは思わなかった。人生、何が役立つかわからない。

 そんな彼は今日も小波の後ろに乗せてもらっていた。一緒に仕事をして連帯感が生まれたこともあり、今日は小波も他の班員達も色々と話しかけてくれる。それがやはり嬉しい。

「ほら、あっちに見えるのが猪苗代湖だよ」

「えっ、あれ湖なんですか? でか……」

 中でもやはり距離が近い小波との会話が一番多かった。すると友之がそんな二人を見てからかう。

「おい小波、お前、アサヒに惚れたか?」

 もちろん、すぐに反撃された。

「あんた、私にそんな口利いていいと思ってんの? そんなにクソガキだった頃のことをみんなに言いふらされたい?」

「あ、いや、勘弁してください小波さん。それはマジでやめて」

「えー、うち聞きたいわ。友之君、どんな子やってん?」

「やめろ! 絶対言うなよ小波!?」

 へりくだるように軽薄に笑っていたが、カトリーヌが興味を示した途端、全力で止めにかかる彼。わかりやすい人だなと付き合いの短いアサヒですら思った。

「やれやれ、ガキの遠足じゃねえんだぞ」

 賑やかな声を背に受け、渋面になるマーカス。

 ところが、

「ガキもいるけどね」

 朱璃が背中越しにそう返すと、こちらも慌てて言い繕った。

「いや、別にお前のことじゃ……」

「わかってる」

 ただの冗談だ。しかしまあ、班長として少しくらい注意しておくか。

「アンタ達、話はしてもいいけど、ちゃんと周囲を警戒してよ」

「大丈夫、ちゃ~んと見とるから」

「オレもッス」

 だろうね。全員プロだから実のところさほど心配してない。だがアサヒには危機感が足りていないように見える。

 理由は明白だ。彼がまだ崩界後の世界に対して無知だから。

「空も見張るのよ」

「空?」

 朱璃の言葉に案の定、首を傾げる。

 彼女の代わりに真司郎が回答した。

「昔の空には鳥と虫と飛行機くらいしか飛んでいなかったらしいね。今はこのうち飛行機が消えてしまったが、代わりに、もっと恐ろしいものが飛び回っている」

 彼の柔らかい声音で淡々と説明されると、いまいちその脅威が伝わって来ない。しかしまあ、そういうことだ。

「油断してると空から化け物が降りて来て、喰われるってこと」

「化け物……? 昨夜の、あの犬達みたいな大きい鳥がいるとか?」

「そんな生易しいもんじゃない。記憶災害よ」

「えっと……」

 それがなんだったか忘れてしまった、とでも言いたげなアサヒの表情に、朱璃は呆れ顔で解説を続ける。

「昨日、説明してあげたでしょ。今の世界には触れた生物の記憶を保存して“再生”する特異な物質、その名も“魔素”が充満しているって。ま、天然のナノマシンよね」


 ──言ってから相手が“ナノマシン”について知らない可能性に気付いたが、幸いにもアサヒはそれを知っていた。


「ナノマシンって、目に見えないくらい小さい機械だよね……?」

「そう、ウイルス並に小さいやつ」

「SFなんかだと定番のアイテムだよな。大量のナノマシンを集めて瞬間的に武器を形成したりとか。知ってるってことはアサヒ、お前もSF好きか?」

 仲間を見つけたと思ったらしく、よりいっそう親し気に話しかける友之。だがそうでないことを朱璃が指摘する。

「多分違うわ。工事現場で使ってたんでしょ?」

「う、うん……よく知ってるね」

 二五〇年も前の話なのに──朱璃の知識に舌を巻く。まったくもって彼女の言う通りで、彼が働いていた地下都市建設の現場では完成した建物全体に仕上げとしてメンテナンス用のナノマシンを散布するのが決まりだった。地下生活が予想を上回る長期に及んだ場合に備え、補修資材を節約するために取られた措置である。

「えっ!? ナノマシンて実現してたんスか!?」

「SF好きのくせに知らねえのかよ。そいつが生きてた時代にゃ、建築関係とか医療関係の一部で実用化されてたんだよ。オレらが使ってる拠点だって旧時代にナノマシンを散布されていたから今でも辛うじて生き残ってんだぞ」

 と、さりげなく自分も知識が豊富だとアピールするマーカス。本人にそのつもりはないのかもしれないが、年若い班員達は素直に感心した。

「流石はベテラン……」

「オレ、マーカスさんは肉体労働専門かと思ってました」

「ぶん殴るぞ青二才」

 若者達の失礼な発言に青筋を浮かべる彼。そういう短気なところが脳筋と思われる原因なのだろうが、めんどくさいからあえて指摘せず、朱璃は話を本筋に戻す。

「まあ、そういうことよ。さっきも言ったけど魔素ってのはナノマシンの一種だと思えばいいわ。接触した生物からデータを読み取り、条件次第でそれを再現する機械ね」

「それって、たしか俺も……」

「そう、アンタは魔素によって再現されている“生物型記憶災害”よ。もう一つ“現象型記憶災害”なんてのもある」


 アサヒのように過去に存在した生物を再現したものが前者で、火災や洪水などの現象の記憶が再現されたものは後者だ。人為的な記憶災害──つまり魔法は現象型を小規模で引き起こす技術である。


「で、アンタの同類の“生物型記憶災害”には飛行可能な種類も多々存在するわけ。その場合、発生個所は雲の中である可能性が高い。再現される記憶の種類は周囲の環境に影響されて決まるからね。

 これも一度説明しているけれど、記憶災害には発生から一〇分間で自然消滅するという奇妙なルールがある。だから遭遇率自体は高くないわ。地上でノロノロ動いている私達に気付いて降りてくる前に勝手に消えちゃうから。とはいえ、たまになら出くわすこともあるの。だから空にも注意して」

「なるほど……」

 頷きつつ、アサヒは自分の中の違和感を改めて感じていた。

 お前は“伊東 旭”ではない。そう言われることに、何故か納得してしまう自分がいる。もちろん、逆に彼女達の言葉を疑う意識も存在する。

 でも、どうしてだろう? その事実を受け入れた方が心が落ち着く。本当におかしな話だけれど、自分自身を否定している間の方が安心出来るのだ。

 この不思議な感覚の正体を知りたい。自分がおとなしくこの一行に着いて行ってるのも、それが理由なのだろう。まるで他人事のようだが、実際に目を覚ましてからずっと自身を外から見ている気分だったりする。

 これは、いったい……。


「あっ」


 そんな友之の声で顔を上げると、同時に瞼の上に水滴が落ちて反射的に目を閉じた。

「降って来ましたね」

 さっきまでより早い速度で雲が流れ、頭上に暗雲が立ち込める。旧時代の知識しか無いアサヒはのんきな調子で呟く。

 ところが星海班の面々は班長の朱璃以外、その表情を一変させた。

「急げ! もう少し行けばトンネルだ!」

「はい!」

 馬の体力を気遣ってゆっくり歩かせていた彼等が、一斉に駆け足に移行する。何事かと驚くアサヒの横へ、マーカスに指示を出して速度を落とさせた朱璃が並ぶ。

「覚えも察しも悪いわね。魔素は水と結合しやすいのよ」

「あ……」

 そうか、つまり雨は大量の魔素が空から降って来ることを意味するのだ。

「そして雨が降ると、アレもやって来る」

「あれ?」

「雷」

 朱璃がそう答えた途端、待っていたかのように後方で雷が落ちた。光ってから音が届くまでの時間を考えるに、それなりに遠い。けれど調査官達はさらに速度を上げる。

「急げ! 巻き込まれたら死ぬぞ!!」

 死ぬ? たしかに雷は危険だが周りは森。直接自分達に落ちる可能性は低い。そんなに怖がることだろうか?

 訝しむアサヒの耳に獣の遠吠えが届く。

「……なんだ?」

 振り返りながらゴクリと喉を鳴らす。とてつもなく嫌な予感を抱かせる、忌まわしい声に思えた。

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