四章・旅路(3)

 一方、部屋の奥では小波とカトリーヌが蒸らした手拭いで体を拭いていた。服の構造上、全部脱がなければならないため簡易カーテンで仕切って男性陣の視線を遮っている。

「ふう……まあ、こんなもんやろ」

 たわわな胸を持ち上げ、その下まで丹念に拭いたカトリーヌが一息つく。さぞや重いんだろうなと小波は半眼になった。

(何度見てもでかい……)

 自分のものとはあまりに違うその胸を見て、密かに落ち込む。この時間はいつも本当に同じ人間なのかと疑ってしまう。

(班長も将来は大きくなるんだろうし……)

 朱璃の母親にも以前一度会ったことがある。カトリーヌほどではないにせよ恵まれた体型の持ち主だった。少なくとも貧相な自分とは大違い。

(いや、胸なんて小さい方が動きやすいんだ。調査官としては私の方が有利)

 自分に言い聞かせる彼女。

 もっとも胸が大きければその分だけ魔素の許容量も増えるわけで、実際のところ一概に慎ましいから有利だなどと言うことはできない。それはわかっている。わかっているけど悔しいからそういうことにしたい。

「朱璃ちゃんは、ホンマにええの?」

 カトリーヌが仕切りの布から顔だけ出して問いかけると、薪ストーブの傍に座っている朱璃は銃の手入れをしながら「明日にする」と答えた。我等が班長は身だしなみにあまり気を遣わない。

「そもそも、この服は多少の汚れなら分解してくれるじゃない。父さんに感謝しなさい」

「それはそうなんやけど、やっぱり女子としては出来る限り清潔にしときたいやん。ほら、分解機能の働かない部分かてあるし」

 そう言ってまた自分の胸を持ち上げてみせるカトリーヌ。カーテンの向こう側ではシルエットしか映らなかっただろうが、こっちをしきりにチラ見していた友之がその瞬間、顔をニヤけさせた。

「お、おおっ……」

「こっち見んな!」

「んがっ!?」

 小波の投げつけたブーツを顔面に受けて倒れる彼。真司郎がハッハッハッと珍しく大声を出して笑う。呆れ顔でその様子を眺めていた朱璃は、改めてこちらを向き、小さく手を振った。

「ともかく、そういうことだから、アタシはいいわ」

「はいはい。バッチくなってもしらんで」

 こちらも呆れ顔でカーテンを閉じるカトリーヌ。それから小声で小波に囁いた。

「ホンマはあの子、ストーブから離れたくないだけや。子供のくせに冷え性でな、暖房の近くに座るとなかなか動かへんのよ」

「へえ、そうなんですか」

 新米である小波にとっては、まだまだ知らないことも多い。朱璃が冷え性だという話も今になって初めて聞いた。普段は子供と思えないほど毅然としているから、そんな弱点があるとは思いもよらなかった。

「な~んかババくさいところが多いんよね、あの子」

「そんなこと、聞かれたら殺されますよ」

「大丈夫、本人もこれは自覚しとんねん」

「はあ……」

 流石は班長とプライベートでも親しいだけある。彼女ならこの程度の軽口は許されるというわけか。

 ──やがて、服を着た二人はストーブの傍まで戻って来た。そこでカトリーヌは無遠慮に手拭いを朱璃の顔に押し当て、ぐいぐいと動かす。

「ちょっ、なによ?」

「せめて顔だけでも綺麗にしとき。せっかく可愛いねんから」

「余計なお世話よ」

 抗議しつつも抵抗せず、渋々カトリーヌの行為を受け入れる朱璃。本当に外見だけなら天使のように愛らしい。中身は恐ろしい悪魔だけれど。

(炎みたいな赤い髪に、透き通った青い瞳……不思議な組み合わせ)

 赤毛で碧眼の子が生まれるのは極めて稀だと聞いたことがある。頭脳だけでなくそんなところにまで希少価値を有しているのだから、この班長は色々とずるい。

 まあ、それはともかくとして時間だ。

「ウォールさん」

「ん……」

 小波に揺り起こされたウォールは、すぐさま立ち上がって窓辺に移動した。それまで外を見張っていたマーカスが休憩に入り、用を足しに部屋を出て行く。ウォールから毛布を受け取った小波も入れ替わりで横になった。これから二時間は彼女の就寝時間。

 だが、瞼を閉じてもなかなか眠ることが出来ず、しばらくしてから身体の向きを変え、朱璃達に話しかける。

「いいんですか? ジロさんと友之、すっかりあの子と話し込んじゃってますけど」

「構わないわ」

 銃の手入れを再開しつつ答える朱璃。自らも作業の合間合間で彼等の様子を窺っている。その目に浮かぶ感情は実験動物に向けるそれと同じ。

「アレの色んな反応を観察したいから好きなように接しなさい。逃がしたりしなければ、それでいい」

「はぁ……」

 小波は内心、やっぱりおっかないなと思った。これで年下なんだから本当に参る。

 その朱璃は、チラリと腕時計を見た後に「早く寝たら?」と促す。

「二時間しか寝られないのよ」

 この少人数なので、当然見張りは全員での交代制。今は外敵だけでなくそこにいるアサヒに対しても警戒しなければならないため、いつもより時間の割り当てが短い。

「休める時に休んでおかないと」

「そうなんですけど」

 幼いながらも自分より長く調査官として活躍中の班長。その言葉に、しかし小波は嘆息しながら天井を見上げる。

 そうしたいのは山々なのに、やはり眠れない。

「興奮しちゃって……」

「どうして?」

「だって、ほら、彼」

 そう言って小波もまたアサヒを見つめる。

「伊東 旭なんですよ、あの。魔素が再現してるだけの“もどき”だとしても、英雄様が目の前にいるこの状況で冷静になんてなれませんよ」

 表面上はなんとか取り繕っているけれど。

「うふふ、あんたも可愛いなあ、小波」

 カトリーヌに笑われてしまった。

「そういえば、昨夜もそんなこと言ってたわね」

 まあ、朱璃の場合は別の意味でだが、高揚してしまう気持ちは理解出来た。あれほど興味深い観察対象はそうそういない。

「今日、後ろに乗せている間、ずっとドキドキしてたんですから」

「意外と乙女チックじゃない」

「意外って……」

 まあいいですけどと呟き、再び瞼を閉じる小波。言われた通り、眠れなくてもどうにか休んで回復しておかなくてはならない。明日は多少強行軍になっても一気に福島まで行く予定なのだから。

 ──女らしくないことは自覚している。そうあるようにと自らの意志で努めているからだ。ほとんどの危険を伴う職業がそうであるように、特異災害調査官という仕事も基本的には男社会。この班は朱璃のために複数の同性を所属させているが、当然、至極例外的な処置である。

 女で、なおかつ特に秀でたところの無い身としては、小さな努力を積み重ねること以外にこの仕事を続ける方法が無い。

 友之やマーカス、ウォールは体格に恵まれている。真司郎はそうでもないが、彼には経験と人徳がある。カトリーヌは、あの胸の分だけ魔素の保有量が多い。まあ、それは半分冗談だが、彼女は班長の友人であり信頼されている。戦闘のセンスも凄い。門司は専従医師という欠かすことのできない存在だ。

 自分だけが何も無い。だから限界まで鍛えて、どうにか食らいついている。

(英雄、伊東 旭……)

 子供の頃、誰もが憧れた存在。自分も……いや、自分達もいつかそんな風になりたいと思い描き、その夢を見続けたままここまで来た。薄目を開け、アサヒと話し込んでいる幼馴染の顔を睨む。

(まったく……楽しそうに話しちゃって)

 正直、羨ましい。

 班長が良いと言っているし、明日は自分も積極的にアサヒと話してみよう。たとえ魔素が生み出した幻のような存在だったとしても、彼の記憶は英雄と同一のもの。英雄が英雄と呼ばれる以前、どんな風に生きていたのか聞いてみたくなった。

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