七草の日


 ~ 一月七日(木) 七草の日 ~

 ※七草:セリ ナズナ

     ゴギョウ ハコベラ

     ホトケノザ

     カブと大根

     普段は葉っぱ捨ててるのに




「も、もう食えねえ……」

「どうしよう……」


 夏にも。

 豪華なプライベートビーチ付きの別荘を貸してくれたお袋の上司とやらが。


 今度は湖のそばの別荘を貸してくれたんだが。


「いやいや。苦しみに来たのかお前ら」

「も、もう食えねえ……」

「どうしよう……」


 広いダイニングの床に大の字になった。

 本末転倒な二人。


「凜々花よ。七草がゆは、胃腸をお休みさせるために食うものだ。丼で五杯も食ってどうする」

「現在、下請けまで使って消化作業中……」

「下請けってなんだよ」


 肺とか心臓とか?

 まあ、こいつはいつものことだからいいとして。


 それよりこっちが意味わからん。


「なんで床に寝転んで頭抱えてんだ?」

「スケジュールが……、工数が……」

「ん? 仕事?」


 珍しい。

 年末年始はがっつり休むのが信念。

 そんなお袋が仕事の話をするなんて。


 でも。

 俺たちの面倒見なきゃいけないと思って苦しんでたら可哀そうだ。


「もし心配だったら、仕事行ってきていいぜ?」

「スケジュールが狂った……。終わるかしら……」

「だから、後は俺に任せて……」

「パズル……」


 どうでもいい問題だった。



 湖畔に建つ洋館は。

 ツルバラが壁を這う、実に古風な作りにして全面床暖房。


 急に貸してくれることになったのはいいけど。

 舞浜一家をご招待できたのはいいけど。


「ほんとに布団とか、そのままで帰っていいのか?」

「そう言ってたよ? ああ、お兄ちゃん。凜々花ちゃん運ぶの手伝って」

「布団の方が寒いんじゃないのか?」

「ここよりはましだよきっと」


 各部屋。

 窓からの眺めも最高で。


 特に湖に面した窓からは。

 暗いブルーを基調にした水鏡の向こう。


 雪帽子をかぶった山が鈍色の空にその稜線を溶かしながらそびえていた。



「……まだ食ってたのか」


 そんな景色も、一階に降りると垣根で邪魔されちまうのに。


「うん。……静かなお庭見ながら食事、いい感じ……、よ?」


 窓の方を向いてダイニングテーブルに腰かけて。


 のんびりとおかゆをすするこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 時たま、タクアンが奏でるぽりぽりが。

 妙に景色にマッチしてたりする。


 そのお隣の席には。

 同じように、のんびり庭を眺めながら。


 お茶をすする春姫ちゃん。


 舞浜家のペースは。

 うちと違って実に心地いい。


「……ふむ。もう少々灰汁を抜いたほうが良かったか」

「ううん? おいしい……。こ、これ、すごいね?」

「……なにがです?」

「そ、その辺で採ってきた葉っぱで、美味しい……」

「お前。単語選べ」


 その辺の葉っぱって。

 ちゃんと七草だっての。


「私も……」

「やってみたい禁止。春姫ちゃんは野草を知ってるから可能なんだ」

「だ、だいじょぶ。真似しない……、ね?」


 ほんとに頼むぜ。

 中には毒草だってあるんだから。


「それにしても、野草が分かるとか大したもんだ」


 俺が手放しで褒めると。

 返って来たのは珍しい。

 フランス人形によるダブルピース。


「……お母様がな。日本文化を必死に覚えているのを見て、私も覚えたのだ」

「そうなんだ」

「デモ、『ホトケノザ』ガ『コオニタビラコ』ト知ルマデハ、苦イ葉ッパヲ食ッテイタ」

「ほんとのホトケノザ食ってたの!?」


 大丈夫?

 それ、結構有名な話だよな、食用じゃねえって。


 金髪碧眼コンビによる。

 日本の野草講座が始まると。


 秋乃の食事ペースがさらに落ちる。


 とっとと洗い物したいところではあるが。

 こんなの邪魔することできやしねえ。


「春の七草、教えて……」

「……セリとハコベラは、ほんとうにどこにでも生えていますよ」

「庭デ採レル」

「そうなんだ……」

「……スズナは、カブの葉っぱ。スズシロは、大根の葉っぱ」

「それも、どこでも盗れる……、ね?」

「今お前、違う意味で言ったろ。ダメ泥棒」


 びっくりするわ農家の人。

 今時は都会にも出荷するんだろうし。


「秋の七草もあるの?」

「……どうだろう。こういうのは立哉さんに聞くと良い」

「便利だな、俺」

「あるの?」

「あるぞ。……ああ、秋乃だから気になったのか」


 レンゲ片手に、しきりと頷く秋乃だが。

 さすがに温め直した方が良さそう。


 俺は、食いかけをレンジで温めて。

 再びサーブしてから話してやった。


「秋の七草も、和歌のリズムで覚えられるんだぜ?」

「お、教えて……」

はぎ桔梗ききょうくず藤袴ふじばかま女郎花おみなえし尾花おばな撫子なでしこ、秋の七草」

「…………ど、どれが、何?」

「それは俺も知らん」


 知識だけだから。

 そんなふくれっ面されても困る。


「美味しいの?」

「ほとんどが食用じゃない」


 選んだの俺じゃないから。

 そんなしょんぼりされても困る。


「秋になったら……、見つけに行こう?」

「気の長い話だな。ひとまず食べ終わったら、春の七草に足りない二つを探しに行こうか」


 冬の湖畔を。

 秋乃と春姫ちゃんと。


 足元を見ながら歩くのも。

 たのしいかもしれない。


 そんな、ゆっくりとした時間を堪能する計画に。

 既に心が癒されていたというのに。


「だいじょぶ。さっき、二つ。見つけたから」

「え? そうなの?」


 なんだ残念。


 ぎしりと背もたれを軋ませて。

 落胆を体全体で表していると。


 秋乃はおかゆの器を持って。

 台所に行って。


 そしてニコニコしながら戻ってくると。


「これで、七草」


 器の中身を。

 俺に見せてくれた。


 セリ、スズナ

 スズシロ、ハコベラ

 ホトケノザ

 トンポーロー、バター

 春の七うはははははは!!!


「ばかやろう! 晩飯のラーメンの具と、朝作ろうとしてたエッグベネディクトの材料!」

「そこで生ってた野草……」

「冷蔵庫! ばうって言わせてたろ、ばうって!」

「米と組み合わると、すごくいい」

「うわ確かに美味そう! ってそうじゃねえ!」

「だってこれ、美味しくない……」



 ……そいつはごもっとも。



 日本の年明け。

 湖畔の冬景色を。



 和洋中合作メシで堪能する秋乃は。

 随分と幸せそうだった。

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