ひとみの日


 ~ 一月三日(日) ひとみの日 ~

 ※羽根つき:墨なんて、バラエティー番組

  でしか見たことねえけど。小さい頃は

  塗られてみたいと思ってた。




 カンナさんに誘われるがまま。

 三人娘がお向かいにお邪魔していた一時間半。


 再び相まみえた時には。

 艶やかな和服に身を包み。


 見目麗しい姿で…………。



「いたはずがどうしてそうなる」

「わっはっは! あたしに勝とうなんざ十年はええ!」



 カンナさんの前に。

 膝を屈っそうにも着物が汚れてしまうので中途半端な姿勢で悔しがるのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


「め、目の周りは許して……、ね?」

「お? それは、やってくれって言ってるわけだな?」


 そんなお約束から。

 顔に墨を塗られた秋乃が。


 瞼に瞳とまつげを書かれた間抜けな顔を。

 こっちに向けてくわははははっ!!!


「……今、心の中で笑った?」

「わ、らって、ない」


 そっぽを向いたこめかみに。

 突き刺さるのは非難の視線。


 これはたまらん、逃げ出そう。


 俺は、三人に連続で勝利した羽根つきクイーンに。

 勝利者インタビューをすることにした。


「こら、墨塗るんじゃねえよ。墨がたれて着物が汚れたらどうする」

「いいんだって! あれ、見た目は派手だけど安もんだから!」

「だからって。折角の着物姿が台無しだぜ」

「そこも大丈夫! 写真撮っといたからさ!」


 そう言いながら。

 カンナさんが袂から携帯を取り出すと。


「ん? 和服着てねえじゃん」

「あ。これはバカ浜の肌襦袢はだじゅばん姿だった」

「なに撮ってるの!?」

「…………いや、文句言える立場か。携帯返せよ変態」

「くそう! 昔の下着と分かっていてもなんも興奮しねえ!」


 ただの、真っ白な浴衣姿の写真をカンナさんに突っ返しながら文句を言ったら。


 その代わりに。

 ニコニコ笑顔の秋乃から羽子板を手渡された。


「……驚いた。笑顔を見てこんなに背筋が凍ったのは初めてだ」

「そしたらまず記憶を消してから、カンナさんと勝負してね?」


 罰ゲームって事だろうけど。

 おいおい、舐めてもらっちゃ困るぜ?


 いくらなんでも、俺が女子に負けるわけねえ。


「なんだ、バカ兄貴。勝負するか?」

「お? 言いやがったな? 俺は笑いに関しちゃ容赦ねえ男だぜ?」

「そうか。そんなに鼻の穴周りを黒く塗って欲しかったのか」

「ふっ、前歯二本に墨を塗ってくれるわ」


 弾ける視線の火花。

 お互いに目を背けぬままに。

 片や羽子板に羽根を装填し。

 片や羽子板に舌を這わせて威嚇する。


 だがな。


 そもそもお前は着物姿。

 足は草履だし。

 タスキをかけてるからって、動きづらいに決まってるし。


 せいぜい左右に振って。

 無様に転ばせてやるさ。


「おにい! 凜々花の仇とってくれ!」

「……私の仇もだ」

「オーケーオーケー」


 俺はパンダとアライグマからの声援を浴びながら。

 カンナさんから随分左の方へ羽根をついたんだが……。


「ほーれ」

「チェストーっ!!!」

「ごはっ!?」


 ……あれ?

 今まで、そんな素振り見せてねえよな。


 カンナさんが、見たこともないほどの速度で落下点に入って。

 ジャンピングスマッシュの姿勢を取ったところまでは目で追えたんだが。


 腕の振り抜きと。

 おでこに激突したはずの羽根がまったく目に入ってない。


 あるいは記憶にない?


「いてえええええっ!!! 秋乃の希望通り、記憶が飛んだっ!」

「わはははは! シャトルがどんだけ速く飛ぶか知らなかったようだな!」

「羽子板じゃそこまで出ねえだろ? バドミントンなら四、五百キロ近く出るだろうけど」

「え? そんなに?」

「お前が知らねえじゃねえか!」

「まあ、そんなこたどうでもいいんだよ。ちょっとそこまでツラかせや」


 俺は、痛むでこをさすりつつ。

 ヤンキーに呼び出されて校舎裏という名のバケツの前に行くと。


 むすっとしたままの秋乃がバケツに筆を突っ込んで。


 昨日の余り。

 残った墨をたっぷり吸わせた筆を両手に持って。


 カンナさんに向けて恭しく差し出した。


「ちきしょう、裏切り者め。……いたっ! 羽子板で叩くな!」

「裏切り者と分かるということは、まだ記憶が残っている証拠……」

「なにロジカルな推理してるんだ。見たのは済まなかったけど、お前もあんな写真撮られねえように工夫しいてっ!」

「反省してない……、の?」

「反省してるよ! その上で善後策をだな!」

「バカ兄貴、それは違うんだよ。お前さんは、女子の事を分かってねえ」


 怪訝顔を自覚しながらカンナさんに振り向くと。

 こいつはニヤニヤしながら。


「今の言い方だとな? 女にゃ、謝ってるように聞こえねえんだ」

「謝ってんじゃねえか。その上で、秋乃が気を付けるのも大事だって……」

「ああ。男は怒ってるポイントの洗い出しとか善後策とか妥協できる実質的な謝罪のすり合わせとかにこだわる様だが、そんなものはいらねえんだ」

「は?」

「謝りゃいいの」


 え?

 どういうこと?


 まったく意味が分からんが。

 でも、カンナさんの言う事だ。

 乗ってみるか。


「…………いや、秋乃。グダグダ言ってすまん。ほんとに悪かったと思ってる」

「ほんと?」


 ほんとは。

 写真見せて来たカンナさんが原因だと思うけど。

 そんな写真撮られたお前にも責任あると思うけど。


「ほんと。すげえ悪かった」

「じゃ……、気を付けて、ね?」


 すんなり。

 秋乃は、にっこり微笑んでくれた。



 …………そこに至った過程だったり。

 何らかの折衷案だったり。

 善後策だったり。


 肝心なことを何も話してねえし。

 謝罪として実質的なものも要求されてねえのに。


 怒るの終わり?


 振り返れば、カンナさんが当然だろって顔で俺のこと見てるけど。


 少年老い易く、学成り難し。

 ひとつこと学べたことに。

 心から感謝だ。




 ……そう。

 感謝はするが。

 納得いかねえ。




「それじゃ怒る意味ねえじゃねえの」

「だからさ、怒るポイントが違うんだって。男は、自分の思い通りに事が進まなかったから怒って修正しようとするだろ?」

「…………広義に言えば」

「女は、相手が自分の意に反することしたのを分かってねえから怒るんだ」

「は? 変わんねえじゃねえか」


 反論してみたが。

 こいつは、やれやれと大仰に首を振るばかり。



 え?


 何か違うのか?


 さっぱり分からん。



 女心についてなんて。

 まるで分からねえ俺は。


 カンナさんがニヤニヤ見つめる中。


 慎重に。

 秋乃に聞いてみた。


「あの、お前が、怒ったのって……」


 いや。

 なるほどそうか。


 下着姿を見たのがまずいのか。

 カンナさんに見せられたのを取ってまで見たのがまずいのか。

 萌えねえって言ったのがまずいのか。


 男なら、怒ってるポイントを明らかにしたうえで謝りてえとこだが。



 なんで怒ったか分かってねえから怒る。



 これを女子に聞いたらまずいって訳だ。


「……ほんとに悪かった」

「うん。もういいよ?」


 少年老い易く学成り難し。

 これもまた勉強。


 俺は一つ、大人への階段を上ったことを実感しながらも。



「やっぱどえれえ納得いかねえっての!!!」


 カンナさんが笑い堪えてやがるが。


「……また怒られるの承知で聞くけどさ」


 覚悟決めたこのセリフ聞いて。

 ヒューとか口笛で冷やかしやがるが。


 ちゃんと理由を知りてえ俺に。

 全てを理解しているこいつは助け舟を出してくれた。


「なあバカ浜! そんなに下着写真見られたの恥ずかしかったか?」

「下着? ううん? あの薄着だとお正月太りの体形がもろに出ていて……」

「あれ!? そっちだったのかよてめえ!」

「うはははははははははははは!!! カンナさんも分かってねえじゃねえか!」


 ばかばかしい、下着関係ねえのかよ!

 しかも、それを分かれって言われてもムリだっての!


 なるほど、世界中から恋人とか夫婦の喧嘩が無くならねえわけだ。


 男と女は根本的に何かが違う!


 今度こそ一つ学んだ俺は……。


「えっと……、下着?」

「……あ」

「あれ、下着?」

「そう、なる、な」



 こうして俺は。

 春姫ちゃんと凜々花の顔が墨で完全に塗りつぶされるまでの長い間。


 羽子板で散々叩かれることになった。


「……まだにやけてる。記憶消去」

「いてえ! ちげえよ! お前が瞬きするたびに目が面白くてうははははははははいてえ!」

「…………消去」


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