除夜


 ~ 十二月三十一日(木) 除夜 ~

※年越しそば:由来は寺の炊き出し。

 大晦日に食べて悪い運を断ち切るとか

 言われてるけど、正月とか一月の

 中旬とかに食う地方もある。




 いろんなことがあった2020年。

 それが、あと数十分で終わるなんて。


「なんとも感慨深い」


 思えば一年前。

 急に引っ越しを言い渡されたのもこの日だったか。


 当時は勉強にしか興味が無くて。

 俺自身はどこに行こうが構わなかったんだが。


 友達と別れることが悲しくて。

 年を越して泣き続けていた凜々花の事ばかり心配していたのを覚えてる。


 ……あの時の俺に。

 そして凜々花に伝えたい。


 全然寂しくないよと。

 むしろ、こんなにも素敵な未来が待っているよと。


 そう。

 ほんとに素敵な……。


「ぎゃははははは! パパの腹踊り、すげえおもしれえ!」

「踊ってるわけじゃないよ!? これ、どうしたらいいの!?」

「あんたはそのまま年を越しなさい!」


 …………素敵か?



 台所から響くがなり声。


 お袋は。

 親父がよその女性を褒めたくらいじゃ怒らない。

 むしろ、褒めないことを怒る程度には大人だ。


 でも。


「バカだな。舞浜母褒めるのに、お袋より若々しとか言ったらそうなって当然だ」

「冷静に分析してないで! おにいちゃん、ちょっとほどいてもらえないかな?」


 怒ったお袋に、頭の上までシャツをめくりあげられて。

 その裾で、頭上にあげた両手首をがんじがらめに縛りあげられた親父。


 こうされては。

 前も見えねえしほどきようもねえし。


 もう、みっともなくたるんだ腹をよじることしかできん。



「……やれやれ。騒がしい年の瀬だな」

「すまんな」

「……いや? 立哉さんも、私の感情を読み切れなかった罪として、あの面白いオブジェになってみるか?」


 と、いうことは。

 この騒がしい除夜を気に入っていたのか。


 一年たっても読み切れないな、この子は。


 それにひきかえ。


「た、楽しい……、ね?」


 春姫ちゃんより長い付き合い。

 春姫ちゃんよりずっと一緒にいるこいつ。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 お前のことは。

 多少なりとも分かって来たかな?


 みんなの喧騒から。

 一歩離れたポジション。


 そこからの眺めが。

 お前にとってのフェイバリットビュー。


「まるで、お笑い番組を見てくつろぐお茶の間感覚」

「え?」


 年末。

 大晦日。

 除夜。


 舞浜家の応接間にお邪魔した保坂家一同。

 よそのお宅で、家族そろって年越しなんて。


 ……ほんと。

 一年前には想像もしていない未来を、俺は歩いている。


「はい! おそば持って来たわよ! これは凜々花のね?」

「やった! 凜々花、エビちゃんのしっぽ大好物!」

「あんた、ほんとに身はいらないの?」

「うひょう! 七つも乗ってるとか! ハーレムかよ!」


 おかげでみんなの丼から。

 エビのしっぽが消え失せているんだが。


 まあ、ほんのちょっと後片付けが楽になるから。

 何も言うまい。


「……そうだ。スタンプは、今日が二つ分だったな」

「そうそう! 除夜の鐘と年越しそば!」

「除夜の鐘って……。どこで年越し……、なの?」

「古い年のうちに百七回だ。新しい年になって、最後の一回」

「……百七回目と百八回目の間なのか。その、どの辺で年越しなのだ?」

「さすがにそれは知らん」


 ほぼ、一分に一回ペース。

 十時半ごろから聞こえ始めた鐘の音も。


 もう半分足らずを残すのみ。


 みんなは静かにそばをすすり。

 合間にまた一つ。

 鐘が鳴る。



 ゴオン…………



「ステキナ音。ココロ、洗ワレルヨウ」


 余韻と共に。

 時が消えゆく。


 実に風流。

 実に物悲しい。


 侘びと寂び。

 日本の心を肌で体感していた俺の周りで。


 そばを食べ終えたみんなが。

 思い思いにおしゃべりを楽しむ。


 そんな騒ぎも。

 まるで川のせせらぎ。


 耳に心地よさばかりを運んで。

 気に障らず。

 次第に無音と同義になる。



 心静かに送る年の瀬。

 いつの間にやらつむっていた目を開くと。


 テーブルの上に。

 少し遠慮がちに。


 秋乃が置いたもの。


「これ、受け取って欲しい……、な」

「いや……。ちょっと困る」

「でも、もう。どうしたらいいのか私には分からなくなってしまって……」

「そうか。……でも、少しだけ考えさせてくれ」


 年を越す前に。

 渡したかったんだろう。


 でも、急すぎて。

 ちょっぴり驚いた俺は。


 優しい返事をしてあげることが出来なかった。



 ……やっぱり俺は。

 秋乃の気持ちを。

 過不足なく汲んでやることができるようになった。


 秋乃がくれたプレゼント。

 お前が、どんな思いでこれをくれたのか。


 手に取るように分かる。


「…………捨て方が分からない、と?」

「正解……」


 俺だって分からねえよ。

 注射器の捨て方なんて。


「実験用?」

「うん。でも、針に薬品が詰まって使えなくなった……」


 一体何の実験に使うのやら。

 そして俺は。

 年をまたいでなんの仕事を押しつけられているのやら。


 腹立たしさを。

 秋乃の首から下がった台紙にマイナス点を書き込むことで癒していると。


 左隣りからも。

 年末年始感とはちょっと異なる遊びの声。


 最年少コンビが。

 絵でしりとりをして遊んでいるようだ。


「じゃあ、アウストラロピテクス!」

「……では、スネ」

「ネアンデルタール人!」

「……待つのだ凜々花。この絵、先ほどとまったく同じに見えるが?」

「ここんとこ! 無精ひげの具合がちと違う!」

「……仕方ないな。では……、ん? なにから始めればよかった?」

「あ、しまっ……」

「……ああ、そうか。ネアンデルターレンシスだったな」

「へ? …………そう、それ!」


 きたねえぞ凜々花。


「……す、す、す……。では、ズッキーニ」

「人間!」

「……さすがに今度こそ待つのだ凜々花。この絵……」


 力なく抗議する春姫ちゃんの手元。

 筆箱から転げ出たシャーペンの芯。

 Bとはまた渋いチョイスだな。


「ねえ……。教えて欲しい……」

「ん?」


 そして今度はいつもの右隣りから袖を引かれると。


「おそば……、年を越しながら食べる?」

「まだ食ってたの?」


 お前。

 相変わらず食うのおせえな。


「年越し前に食い終わるもんだと思うが」

「これ、食べきらないとどうなるの?」


 さあ分からん。

 そんな一瞬。

 答えに窮した間隙を突いたのは。


 ……いつもの親父の得意技。


「年越し失敗だから、今年、歳を重ねた分が無かったことになるんだ」

「そ、そうなのですね……」


 すぐに突っ込もうと思った俺は。

 その矛先を方向転換。


「いや。お前ら」


 お袋と舞浜母が。

 一旦脇によけた丼を目の前に置いてる。


 どうしてえんだよ。


「じゃあ、急いで食べなきゃ……、ね?」

「気にすんな、あんなでたらめ。……お。カンナさん」


 携帯にメッセージ。

 秋乃も見えるようにテーブルに置いて開いてみると。


「うわ。ぐでんぐでん」

「よ、読み解けない……」

「今神社らしい。この後、鐘突くってさ」


 そして羨ましがる秋乃に。

 来年は行ってみるかと約束してやると。


 にっこり笑ったこいつの顔に。

 突然ムンクによるメイクが施されることになった。


 ……まあ。

 こんなの聞いたらそうなるわな。




 ごんごんごんごんごんごんごんごーん!




「…………やりやがった。何回と解釈すればいいんだ?」

「と、年越しちゃった!?」


 迷惑千万。

 あまりのことに頭を抱えると。


 秋乃はそばを見つめながら。

 震える声で確認してきた。


「年齢が……。まさか、留年することに?」

「まだ年越してねえ。でも、そう思うんなら急げ」


 俺が暇に任せて書いていた『正』の字を見せてやると。


「百と、正一さん?」

「百六、だな」

「ひうっ!?」


 秋乃は。

 大慌てでそばを口に押し込み始めた。



 …………よし。

 もう食べ終わったな?


 そばを食って。

 悪い運を断ち切ったってわけだ。


 さて、次の鐘が鳴るまで。

 のこり一分足らず。


 俺も。

 今年の悪い運気をここで断ち切ってみせる!



「秋乃」



 既に呼び慣れた名前。

 一年前にはその顔も知らず。

 四月からだって、長い間。

 苗字で呼んでいたはずなのに。


 ゆっくりとした変化。

 呼び方だけじゃなく。

 いろんなものが変わったが。


 初心を忘れたことはない。


 一年の総決算。

 最後の最後に…………。




 お前を無様に笑わせてやるっ!!!




 俺は、注射器のお尻を抜いて。

 春姫ちゃんの手元から取った。


 シャーペンの替え芯を流し込んだ。



 お?

 ちょっと頬が緩んだな?


 だがまだ終わらねえぜ!



 そして注射器のお尻を差し込んで。

 芯の濃さをしっかり秋乃に見せつけたところで。


 秋乃の腕を取りながら。


「はい、B型間違いないですね。輸血しまーす」

「ぶふっ!!! あはははははははははは!」


 そしてここで年越しのゴング。



 ゴオン…………



 今年最後の勝負は。

 俺の勝利で幕を閉じた。



 ……でも。

 素直に喜べねえ。



 だって……。



「…………お前。麺」

「だって、飲み込む前だったから……」


 きたねえ、とは言うまい。

 俺は、自分のせいで顔に浴びることになった麺を拭っていると。


「これ、間違い……」


 秋乃が、シャーペンの芯のケースを見つめながら。


「炭素は、『C』」

「うはははははははははははは!!!」



 ゴオン…………



 2021年。

 最初の勝負で勝利した。




 ……と。

 思っていたら。


「お! いよいよね!」

「凜々花、みんなでカウントダウンしてえ!」

「……いいことを言う。では……」


『5!』


 ん?


『4!』


 あれ? ちょっと待て。


『3!』


 まさか……。


『2!』


 数、数え間違えた!?


『1!』


「まてまて! やり直しを要求する!」




 ……こうして俺は。


 2020年、最後の最後に負けを喫した上に。


「苦労してるの?」

「何の話だ?」

「白髪」

「うはははははははははははは!!! 頭にもいたか、麺! どこだ!?」

「伸びてるから、切ろうか?」

「うはははははははははははは!!!」



 2021年も。

 敗北で幕を開けることになった。




 ――そんなちょっと先の未来の前に。

 本年は、大変お世話になりました。

 よいお年をお迎えくださいませ。

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