第27話 クレーンゲーム

 午後になると風に少し肌寒さが混じるようになっていた。昼を越えてすぐのその冷たさに、僕は秋の終わりが近いことを改めて感じた。


 しかし少女の熱情ねつじょうはあたかも暖炉だんろまきべたかのように、いっそう激しさを増しているようだった。


「——今度はあっちね、センパイ!」

「……まだやるのか」


 昼食を終えた後、僕らはゲームセンターに立ち寄っていた。


 レースゲームやクイズゲーム、エリに連れられて僕は色々なゲームをさせられた。店内に響く乱雑な音と、慣れない機械の操作に戸惑いながら、僕は落ち着かない時間を過ごしていった。


 そして最後にやって来た場所はクレーンゲームが並ぶエリアだった。ポップな音楽が鳴り響くエリア内に透明なコンテナのような筐体きょうたいが敷き詰められており、その中には様々な景品が置かれていた。


 想像していたよりも景品の種類は実に多種多様だった。ぬいぐるみやキーホルダー、お菓子や電化製品、果ては生きている魚まで、ありとあらゆるものが景品としての役目をになっていた。


「けっこう色んなものがあるんだね」

「うん、ここは品揃えが多いことで有名だからねー」

「ふーん」


 しかしこれだけの中から目当てのものだけを狙うとなると強靭きょうじんな精神が必要だと僕は思った。


 どうしたって他のものに目移りしそうだ。気がついたらお小遣こづかいが一瞬で無くなっていたなんてこともありそうで、そう思うと、あちこちの筐体から鳴り響くリズムが人魚の歌に聞こえてくる。


「何か目当てのものがあるの?」と僕は不安になってたずねていた。

「ううん、特にないよー」としかしエリは呑気のんきな声で答えた。「ただ何か良いものあるかなーって思って来ただけ」

「それは危険じゃないか、エリ? 計画性の無さは身を破滅させるよ」

「あはは、なに言ってんのセンパイ? ただクレーンゲームするだけだよ? カジノに行くわけじゃないんだから」

「似たようなものだと僕は思うけど」

「はいはい。んーどれにしようかなー……」


 僕の忠告ちゅうこくを軽くあしらうように言うと、エリは台の周りを歩きながら視線を走らせ、景品の物色ぶっしょくを始める。僕は呆れながらも、しかしまさか自制が効かないまで遊ぶほどエリも子どもではないだろうと思い直して黙って見守ることにした。


「あっ!」


 と、エリはひとつの台のまえで足を止めた。


「えへへ、あたしこのキャラ好きなんだー」


 エリが見つめる台の中には奇妙なぬいぐるみが置かれていた。


 人型にした山羊やぎを模したぬいぐるみで、手にはナイフらしき物が握られており、首には血だらけのヘビが巻かれている。


 もちろんぬいぐるみらしくデフォルメされた姿だったけれど、僕にはどう見ても具現化ぐげんかされた悪魔にしか見えなかった。


「……へー良い趣味だね」

「でしょ? 可愛いよね!」


 どのあたりが? と、喉元のどもとまで出かかった言葉を飲み込むのに要した精神力は、あるいは父と対峙たいじする時以上のものだったかもしれない。


 決して冗談ではなくて、女の子の言う〝可愛い〟を否定するということは、その子自身を否定するのと同義だということを僕は風戸かざとアンリと過ごした日々の中で学習していた。


 たとえ僕の目にはみにくいアヒルのように映ろうと、女の子が〝可愛い〟と言えばそれは白鳥のように〝可愛い〟のである。


 もちろん僕のそんな葛藤かっとうを知るよしもないエリは無邪気むじゃきに告げてくる。


「ね、センパイが取ってよー」

「無理だよ、僕このゲームやったことないし」

「えーセンパイほんとに高校生? 今どきクレーンゲームやったことない人なんていないよ?」

「悪かったね。そもそも僕はゲームセンターに来るのだって初めてなんだから」

「もー仕方ないなぁ」とエリはくすくすと微笑ほほえむと、「じゃあ、あたしがやるから見ててね!」


 そしてエリは硬貨こうかを入れてゲームを開始する。


 実際に見るのは初めてだったけれど、確かに面白そうなゲームだと思った。


 二つのボタンを操作して台の中のアームと呼ばれる機械を移動させて景品を掴むというシンプルなゲームなのだが、なかなか奥が深いようだ。


 アームの止めるタイミングを測るために高い空間認識能力が要求されるし、重心がどこにあるのかも考える必要がありそうだ。


「うーん、ここかな?」


 と、エリがボタンから手を離し、アームが下りていく。しかしぬいぐるみが持ち上がることはなかった。僅かに位置がズレていたようだった。


「あはは失敗。まあ一回で取れるわけないよねー」


 自らの失敗に笑い、エリはまた硬貨を投入する。エリのプレイする台は一回のプレイに百円が必要みたいだった。


「よし、今度こそ!」


 軽快なBGMに乗せられるようにエリは気合を入れてボタンに手を置く。ひとつ目のボタンでアームの横の軌道を合わせ、ふたつ目のボタンで縦の軌道を合わせるみたいだ。エリは横の軌道を合わせることに成功すると、ふっと息を吐いた。


「うん、ここまでは良さそう」


 独り言のように呟いて、エリはふたつ目のボタンを押した。スルスルと移動していくアームを真剣な瞳で見つめるエリ。そしてアームがぬいぐるみの頭上にたどり着いたタイミングでボタンを離した。今度は僕の目からも上手くぬいぐるみの真上で止められたように見えた。


「お、いいんじゃないか」

「うん……」


 僕らはアームが降下していく様子を固唾を呑んで見守る。アームの爪と呼ばれる部分が床とぬいぐるみとの間に入り込み、見事ぬいぐるみが持ち上がった。


「おっ」

「やった!」


 しかし喜んだのも一瞬で、掴む部分の力が弱いのか、持ち上げ切ったところでぬいぐるみが落下してしまう。


「あー惜しい! もうちょっとだったのに!」

「確かに今のは惜しかったね」

「でしょ? よし、もう一回!」


 そうしてエリはまた百円玉を投入した——。


 ——そして三十分が経った。ボタンの横に平積ひらづみにされていた硬貨が一枚、また一枚と無情に消えていく。一体いくつ使うつもりなのだろうか。ふと冷静になったとき、エリは消費した金額の多さに耐えられるのかと心配になる。どうやら人魚の歌に魅入られてしまったようだった。


「うぅなんで取れないのー!」

「……いい加減諦めなよ、エリ」


 見かねた店員さんが取りやすい位置に移動してくれているのだが、それでもエリはぬいぐるみをゲット出来ないでいた。


 そんなに難しいのだろうかと首をひねっていると、エリは泣き出しそうな視線を向けてきて、


「センパイやってよ!」

「……いや、僕がやったって取れないと思うよ」

「一回だけでいいから!」

「……はぁ、仕方ないなぁ」


 断り続ける労力よりも、やるだけやってみせた方が遥かに楽そうだ。見よう見まねでやってみることにした。


「センパイなら絶対取れるから! 頑張って!」

「……まあ、出来る限りは頑張るよ」


 格闘大会にでも出るような声援をエリから受けながら、僕は財布から百円を取り出して機械へと投入する。


 ぴろりんっ、という音と共に筐体から軽快なリズムが鳴り響く。


「まずは横、か」

「センパイ、アームの動きに注意して!」


 エリの挑戦を見ていた限り、このゲームのポイントは縦の位置、奥行きを把握する能力にあると見た。ゆえに横の動きにはそう対して注意を向けなくて良さそうだ。練習のつもりで軽く動かしていき、無事に軌道をぬいぐるみに合わせることに成功する。


「いいよセンパイ! その調子!」


 問題は次の縦の動きだ。僕はふっと息を吐いて、ボタンへと手を伸ばす。奥へと動き出すアーム。じりじりとした緊張が汗となって流れ出す。


 ここだと判断したタイミングでボタンを離した。アームがピッタリぬいぐるみの真上で止まった。


「よしっ!」

「え、センパイ?」


 っと、狙いどおりの完璧な位置で離せたことに思わず大きな声が出てしまった。僕らしくない言動。慌てて誤魔化ごまかすように無表情を作るが、しかしエリは見逃してはくれず、じとっとした目で僕を見て、


「なんだァ、やっぱりセンパイもやってみたかったんだねー」

「ち、違うって! ちょっと上手く行ったから思わず出ただけで、決して楽しそうだなとか思ってたわけじゃない!」

「あはは、だったらもっと早く言ってくれればいいのに。あっ、もしかしてあたしのプレイを見てうずうずしてたの?」

「だ、だから!」


 そんな不毛ふもうな言い争いを止めたのは、


『——景品獲得おめでとう! 大事にしてね!』


 ひそかに移動していた悪魔が景品ボックスに顕現けんげんしたことをいわう機械音声だった。

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