第28話 眼鏡が映すもの
ゲームセンターを後にした僕らは駅前の通りを歩いていた。
すれ違う人々の
寒がってないかとエリを横目で見ると、クレーンゲームで手に入れた悪魔——にしか僕には見えないキャラクターのぬいぐるみ——をホクホク顔で抱きしめていた。
「……そんなに好きなんだ、そのキャラクター」
「えへへ、それもあるんだけどぉ」
エリはぬいぐるみをギュッと抱きしめて、
「センパイが取ってくれたものなんだから!」
「……ま、悪い気はしないね。きみがそんなに喜んでくれるというのはさ」
ほんとうに、純粋な好意を向けられるのは嫌いじゃない。応えられない想いとは違って、それはただ感謝だけが詰まったものだと思うから。
だから僕は素直に受け止めると、次の話題を口にする。
「それより、僕らはいまどこに向かっているんだい?」
「えへ、どこだと思う?」
「わからないから訊いてるんだけど……」
「ヒントはこれ!」
そう言って、エリは
「なに、それ?」
「えーわかんないの? これだよ、これ!」
くいくいっと右手を
「……銀行、とか?」
「え、なんで銀行?」
キョトンと首を傾げるエリの様子を見るに、
「わからないよ。一体きみはどこに行こうとしてるんだ?」
「えー仕方ないなァ、じゃあ第二ヒント! ……と思ったけど、残念。時間切れみたいだね」
おどけたように首を振って、エリは足を止める。それから目の前の建物を
「——正解はここだよ、センパイ」
「ここって……」と僕は少しだけ驚いて言った。「眼鏡屋さん?」
「そ。誰かさんに眼鏡をかけた方がいいって言われちゃったからねー」
いたずらっぽく笑うエリに、僕は
「言葉のあやだよ。別に本気で言ったわけじゃない」
「あはは、わかってるってば〜。でもね、最近ホントに視力が落ちたみたいで黒板の字が見えにくいときがあるの。だからこれを機に眼鏡属性を加えようと思ってさ♪」
「眼鏡属性?」
聞きなれない言葉に僕は首を傾げる。いや、意味はわかるんだけれど、エリがここでその言葉を使った意味がわからなかった。
「えーだって好きなんでしょセンパイ? 眼鏡をかけてる女の子のこと」
「……はぁ、いったい誰に吹き込まれたんだ、そんなこと」
ため息を吐きつつ容疑者を頭に思い浮かべる。本命が
果たしてエリは可愛らしく首を
「ん、来栖センパイと朱音さんが言ってた」
「……あのね、エリ」
僕は大きく息を吐いて、
「来栖くんの言うことの八割は嘘だし、朱音さんに至っては人を
「あはは、そうかも♪」
本当にわかっているのかと言いたくなる笑顔。小悪魔めいた
彼女の言うデートが始まってから六時間。まだまだ
「あれ、入らないの?」
「……いま行くよ」
僕とは対照的に高いテンションを維持し続けているエリに答えると、僕は気を取り直して店の中へと入っていった。
当たり前だけれど、店内にはたくさんの眼鏡が並べられていた。壁一面に眼鏡が
もちろん眼鏡たちが動きだすことはなく、店内を
しかし思いのほか混雑しているなと僕は思った。なぜだろうと考えたところで、壁に貼られているポップが目に入る。なるほど、どうやら期間限定のセールを行なっているようで、ふたり一緒に眼鏡を買えば一本が無料になるらしい。家族連れにまじって
「ねえねえセンパイ」
とエリが
「あたしたちもカップルに見られてるのかな?」
「かもね。なんなら手でも繋ぐかい?」
「あれ、なんか思ってた反応と違う……」
エリは
「さ、馬鹿なこと言ってないできみに合いそうな眼鏡を探そう」
「え? センパイが選んでくれるの?」
「僕の
「やった♪ じゃああたしがセンパイの分を選んであげる♪」
「いいよ、僕は。別に目が悪いわけじゃないから」
「いいから! 選んであげるね!」
「あっおい、エリ……!」
僕の言葉を無視し、店内を回り始めるエリ。仕方ない。止めるのも面倒だし、エリの好きにさせておこう。別にエリが選んできたからといって買う必要はないのだ。
僕は僕で、エリに合いそうな眼鏡を
しかしいざあれこれと眼鏡を手に取り、エリが掛けているところを想像してみるけれど、どうにもしっくりこない。なんだか間違ったピースを無理矢理当てはめているみたいだ。
健康的なエリの姿に眼鏡は合わないのかもしれなかった。あるいはただ単に僕の想像力が
っと、そんなことを考えていた僕の肩をだれかがバシバシと叩いてくる。
「センパイ見てみて! ハリウッドスター!」
振り返ると、大きなサングラスを掛けたエリの姿があった。僕は肩をすくめて、
「
「わぁ適当な答え! ビックリだよ!」
どんな返しを期待していたのか知らないけれど、言ったろ? 僕はつまらない男なんだ。結局、きみの
「それより」と、僕はこれ以上の
「へーセンパイはこういうのが好みなんだぁ」
サングラスを外して元の場所へと戻したエリは、僕から眼鏡を受け取ると、繁々と観察するように見つめる。それからその眼鏡を掛けて僕に笑いかけてきた。
「どう? 似合う?」
「うん、悪くないね」と僕は正直に言った。「フレームがきみに良く合ってるよ」
「ホント? えへへ、じゃあこれにしよっかな」
嬉しそうにしているエリを見ていると、
「じゃあセンパイはこれね」と、エリが言って、僕に別の眼鏡を差し出してきた。
「いや、だから僕はいいって……」
「いいから! はい、掛けてみて!」
無理やり手渡される。仕方なく僕は掛けてみることにする。
「……どう?」
「……」
「エリ?」
「え、あっ、う、うん。似合ってるよ?」
「……」
僕は眼鏡を外しながら
「……知ってるかい、エリ。人は微妙だと思った時、疑問形を使って言葉を
「ち、違いますー! ホントに似合ってたんだから!」
「じゃあどうしてすぐに反応しなかったんだよ?」
「そ、それは、その……」
エリはごにょごにょとらしくない
「…………カッコよかったから」
……はぁ、いったい彼女は本当にどうしてしまったのだろうか。考えてみるが、わからない。
しかし思い返してみると、今日のエリは初めからおかしかった。待ち合わせの時間の一時間まえに来ていたり、
ふと、デートの約束をした日にエリが行きたいところがあると言っていたのを思い出す。てっきりゲームセンターや眼鏡屋さんのことだと思っていたけれど、もしかすると違うのかもしれない。
何かもっと重要な、僕らの関係が変わってしまうほどの何かがある場所にエリは行こうとしているのかもしれない。
例えば——。
「ねえ、やっぱりセンパイも買ったらいいんじゃない?」
落ちていく思考を遮るようなエリの声に、僕はハッとして答えた。
「だから買わないって。僕には使う必要ないものだし」
「あ、じゃあさ、これは? これならセンパイだって使うかもしれないよ?」
そう言ってエリが渡してきたのはサングラスだった。さっきエリが掛けて見せたものとは違い、普通の大きさのサングラス。確かにこれなら視力に関係なく使えるものだった。
「はぁ、仕方ない」と、僕は妥協することにした。「たぶん使う機会は永遠に来ないだろうけどね」
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