第26話 デート

 久しぶりに雨が止んだせいか、駅前のロータリーはひどく混雑していた。


 あまりにも人が多いので何か有名なアーティストが路上ライブでもやっているのかと思ったくらいだ。しかしもちろんそんなことはなく、行きう人々はみなせわしなく動いていた。アリのようだと僕は思った。


 だけど日曜日に誰かと待ち合わせをするという経験があまり無いからそう思うだけで、結局日曜日というものはそういうものなのかもしれない。


 やはり休日に出かけるものじゃないなと思うけれど、約束した以上は仕方がない。うんざりとするようなひといきれの中を僕はエリとの待ち合わせ場所に行くために電車に乗り込んだ。


 改札を出たところで時計を見ると、約束の時間までまだ十五分ほどあった。どうやら早く来すぎたみたいだ。


 時間のつぶし方を考えながらも、ひとまず待ち合わせ場所に向かってみることにする。あるいは既にエリが待っているかもしれない。


 しかしその可能性が限りなくゼロに近いことは経験上わかっていた。いまだかつてエリと待ち合わせをして時間通りにやってきたためしはない。いつも五分か十分は平気で遅れてきて、ようやくやって来たと思ったら、悪びれることなく笑うのだ。『えへ、遅れちゃった』と言いながら。


 デートとは言っても、きっとそれは変わらない。


 だけどそんな思いは待ち合わせ場所にたどり着いた瞬間に打ちくだかれることになった。


「えへ、おはようセンパイ」

「……驚いた。まさかこんなに早くきみがいるなんて思わなかったよ」


 居るはずのない存在を見て目を丸くする僕に、エリはいたずらが成功した子どものように微笑んでくる。


「遅刻だね、センパイ」

「ごめん。もしかして僕が時間を間違えた?」

「ううん、そんなことないよ」と、エリはスマホで時間を確認するようにしてから言った。「約束した時間までまだ十分くらいあるしね」

「む、なら遅刻とは言わないんじゃないか?」

「えー知らないのセンパイ? 相手よりも一秒でも遅れたら、それはもう遅刻って言うんだよ?」


 どこかのガキ大将だいしょうが言うような超理論に僕は思わず失笑しっしょうする。エリもまた笑っていた。雑踏ざっとうひびくもった空のしたなごやかなムードが漂った。


「何時に来たんだい?」と僕は言った。

「んー三十分前くらいかな?」


 人差し指をあごに当てて言うエリに僕は呆れて首を振る。


「さすがに早すぎるよ……着いてるなら連絡してくれればいいのに。そしたらもっと急いで来たよ」

「ん、そうしようかとも思ったんだけど」


 と、エリは髪を耳にかけながらはにかんで、


「嫌いじゃないんだ、あたし。センパイを待ってる時間が」

「……初めてだろ、きみが僕を待つのは」

「うん、だから今日気づいたの。ホントあっという間だった。ねえ、なんでだと思う?」

「さあね。デート代をせしめる算段さんだんでもつけていたとか?」


 意地悪く答えた僕に、しかしエリも意地悪く微笑んで言った。


「センパイのことを考えてたからだよ」

「……」

「センパイいまどこかなーとか、どんな格好して来てくれるのかなーとか考えてた。そしたらすぐに時間が経っちゃった」

「……そう」


 真っ直ぐな感情に僕は思わず視線を逸らした。その先で、僕らのほかにも待ち合わせをしていたらしき男女の姿が目に入った。ちょうど合流したところらしい。高校生か、あるいは大学生らしき男がやって来た女の子と話しながら初々ういういしい反応を見せている。会話の内容は聞こえなかったけれど、僕らと似たようなものなのかもしれない。世のカップルがみんなこんなやり取りをしているのだとしたら、そのへんすなを舐めれば砂糖さとうよりも甘い味がするんじゃないかと僕は思った。


「ねっ、それよりどうこの服? 可愛い?」


 僕が視線を戻すと、エリは着ている服を見せびらかすように腕を広げてきた。私服姿のエリは今までにも何度か見ていたけれど、今日の服装は特にお気に入りのようだ。


「うん、似合ってるよ」と僕は言った。「馬子まごにも衣装いしょうだね」

「……」


 無言の視線が痛い。


「……冗談だよ」

「もうっ! 言ってい冗談とわるい冗談があるんだよ、センパイ!」


 口をとがらせて怒りを示すエリを見て、確かに良くなかったと僕は反省する。恥ずかしさを誤魔化ごまかすためだとはいえ、今日という日のために準備してくれた女の子に言うべき言葉じゃなかった。エリの性格に甘えすぎていたのかもしれない。


「ごほんっ。やり直しを所望しょもうします。——それよりどう? 可愛い?」


 わざとらしい咳払いをし、さっきと寸分違わないセリフを繰り返してくる。表情はにこやかだけれど、目はタカのように鋭い。逃げられない雰囲気だ。


「……まあ、似合ってるよ、すごく」

「えへへ、ありがと♪」


 ため息を吐いて言った僕に、エリは本当に嬉しそうに答えた。ズルイなと僕は思う。そんな姿を見せられたらもう何も言えなくなる。少女の楽しそうな笑顔を奪ってしまうほど、僕は落ちぶれてはいないのだ。


 勘違いしないでほしいのは、別にエリが特別だからというわけじゃない。基本的に、僕は後輩には甘いのだ。後輩がエリしかいない現状では、それを証明することができないのが残念だった。


 それからエリは僕の腕を取って、


「——それじゃあ行こっか、センパイ! 初めてのデートに!」

「お、おい、引っ張るなって。危ないよ」

「えへへ、今日はいっぱい遊ぶんだからねっ♪ ちゃんと付いてきてよ、センパイ♪」

「……ほどほどにして欲しいよ、僕としては」


 歩き始めた僕らの背中を春風はるかぜのような温かさで風が吹いていた。晩秋ばんしゅうの身を震わせるような寒さもどうやら一日くらいは休みをもらいたいらしい。


 陰っていた雲からは夏の日差しのような光が届き始めている。久しぶりに感じる柔らかな秋の朝だった。


 僕はエリに腕を引かれながら群衆の中を進んでいく。これから起こるであろう出来事デートに対して面倒だと思いながら、しかしそれとは別に、胸をくすぐるような何かを感じていたのもまた否定のしようがない事実だった。


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