第二章 きみを継ぐ者たち

第22話 動物型の〝残滓〟

「——そっち行ったぞッ、幸人ゆきと!」

「わかってる! それより来栖くるすくんはエリを!」


 あの訓練の日から三日後、僕らは絶体絶命ぜったいぜつめいの状況におちいっていた。


 意識を失っているエリ。満身創痍まんしんそういといったていの来栖くん。棺桶かんおけから足を抜け出そうともがく僕らを嘲笑あざわらうかのように雨が冷たく降り続けていた。



 エリックから新たな〝残滓ざんし〟の出現報告を受けたのは一時間ほど前のことだった。


『——今回出現した〝残滓〟は動物型。呼称名は〝BPブラックパンサー〟。ひどく獰猛どうもうな個体で、既に被害も出ている』


 淡々たんたんとした説明だったけれど、切迫せっぱくした内容に僕らは固唾かたずを飲んでエリックからの言葉を待った。


『これからボクらの任務を説明する。本日一五三◯ヒトゴーサンマル近隣きんりんの基地が分隊ぶんたいを組み〝BPビー・ピー〟討伐作戦を決行。しかしそれから三十分後の一六◯三ヒトロクマルサン、討伐部隊は壊滅かいめつ。死者、重傷者ともに三名ずつ。ボクらの任務はこの生き残った仲間三名の救出だ』

『……壊滅って、嘘でしょ?』


 呆然ぼうぜんと呟いたエリに、エリックはきびしい顔で続けた。


救援要請きゅうえんようせいが届いてから三十分近く経っている。もう一刻いっこく猶予ゆうよもない。いそぎ準備をととのえて向かってほしい』

『せ、センパイ……!』

『ああ、すぐに向かおう』


 基地を飛び出そうとする僕らに、しかし来栖くんはただひとり冷静だった。


『待てよエリック……動物型以上の〝残滓〟との戦いでは、最低でも魔法使いを二人以上含めた分隊が基本だ。先行部隊の救出が目的CSARとはいえ、まさか俺たちだけで行かせるつもりじゃねえよな?』


 来栖くんの疑念ぎねんのこもったひとみを受けながら、エリックは沈痛ちんつう面持おももちで答えた。


『……残念だけど、今動けるのはこの基地にいるボクたちだけなんだ。君たちだけで行ってもらうしかない』

『チッ、ふざけやがって……俺たちは捨てごまってわけかよ。おい幸人、行く必要はねえぞ! こんな馬鹿ばかげた任務、俺はゴメンだぜ!』


 苛立いらだちを吐き捨てる来栖くんに、だけど僕は言った。


『……いや、行こう来栖くん』

『——幸人! お前、状況わかってるのか!? もう既に三人がやられてんだぞ!! 死にに行くようなもんだ!』 

『……だとしても。……今彼らを救えるのは僕たちしかいない。僕らが行かなきゃ彼らは助からないんだ』

『その結果俺たちの誰かが死ぬとしても、か?』


 頷いた僕に来栖くんは舌打したうちをして、それから画面上で歯がゆさを押し隠しているに違いないエリックにむかって、


『……うらむぜ、エリック。お前ならもっと上手うまく立ち回れたはずだ』

『……これがボクの限界なんだよ、来栖』


 不穏ふおんな空気に追いやられるように基地をあとにし、僕らは救助にむかった。


 要請を受けたポイントへと到着した僕らはエリックから伝えられた情報をもとに周囲の捜索そうさくを開始した。要救助者ようきゅうじょしゃ三名はとも重傷じゅうしょうっていることからしげみや岩陰いわかげに身を隠している可能性が高い。僕らは〝BP〟を警戒しながら注意深く森林しんりんのなかを進んでいった。


『——あっ! 見てセンパイ、あそこ!』


 息のつまる時間が半刻はんこくほど続いた頃、エリが前方ぜんぽう木陰こかげし示した。見ると、大きなケヤキのみきにもたれかかるようにして人影ひとかげみっつ倒れていた。間違いない、彼らが生き残った仲間だ。


 僕は端末たんまつに向かって呼び掛けた。


『エリック。目標を発見した。これより救助にあたる』

『了解。くれぐれも気をつけて』


 周囲の警戒を来栖くんに任せ、僕はエリと共に負傷者ふしょうしゃのもとまで歩いていった。


『大丈夫かい?』

『ぐ……』


 ひどい怪我けがだったけれど、三人とも意識はあるようだった。僕はエリに応急処置的な治癒ちゆ魔法の詠唱を始めるよう指示した。しかしその最中さなか、ひとりの手が僕の肩を掴んだ。ふるえる瞳が何かをうったけるように弱々しくひかっていた。僕は彼の口元くちもとへと耳を寄せた。


『……に、逃げろ……わ、ワナだ……』

『え——』

『——危ないッ、センパイ!』


 背後はいごから受ける衝撃。鮮血せんけつちゅうった。地面を転がった僕の耳に来栖くんの叫びがつらぬいた。


『——エリィィ!!!』


 受けたのは上空じょうくうからの奇襲きしゅう樹冠じゅかんに身をひそめていた狡猾こうかつ襲撃者しゅうげきしゃつめが、咄嗟とっさに僕をはじき飛ばしたエリの背中を切りいた。


『クソったれがッ!』


 ちをかけようとエリにせまる襲撃者へと来栖くんは武器を手にけ出した。しかし冷静さをいた突進とっしん恰好かっこうまとでしかなかった。しなるムチのような尻尾しっぽはらわれた来栖くんはいきおいよく木に激突した。


『来栖くんッ!!』

『……ぐっ心配ねえ、かすっただけだ! んなことより——」


 つよがる来栖くんの叫びよりも早く立ち上がった僕は襲撃者の変化に気づいていた。動かない獲物えものよりも動く獲物を優先することにしたのか、獰猛な瞳が僕を射抜いぬいた。


『——そっち行ったぞッ、幸人ゆきと!』

『わかってる! それより来栖くるすくんはエリを!』


 飛び込んできた体躯たいくをなんとかけた僕は漆黒しっこくけもの対峙たいじする。琥珀色こはくいろの瞳は油断なく僕をとらえ、うなくちはしからのぞするどきばからはねばのある液が垂れていた。雨の中でなお漂ってくる刺激的なにおいに、僕は自分が獣のテリトリーにいることを実感する。


 コイツが〝BP〟——。


 異様な迫力だ。さすがは動物型。昆虫型とは明らかに違う雰囲気に僕は知らずのどを鳴らす。


 雨にまぎれてや汗がほおを流れていく。視界のはしではエリのもとへと急ぐ来栖くんの姿がうつっていた。


 ぐったりと地面にしているエリを見ると自責じせきねんが押し寄せてくるが、しかし今は目の前の危機にどう対処たいしょするかだ。


 状況を再認識するために僕は頭をはたらかせる。


 奇襲によりエリは目下もっか気絶中だ。さいわい僕らのバイタルデータをつねにモニターしているエリックからの情報によると怪我はそれほどひどくないらしい。


 危ないのはおとりとして使われた三人の方だが、利用価値が下がったのか〝BP〟はまった無視むししている。ひとまずは大丈夫だろう。


 しかしいずれにしろ〝BP〟の意識を引き付けておく必要がある。いつまた気が変わるかしれない。来栖くんたちのもとにでも行かれたらアウトだ。


 武器はある。あらかじめ身体強化もほどこしてある。だけどいつ切れるかはわからない。エリが目を覚まさない以上、再強化はできない。ゆえに効果が切れるまでのわずかな時間で決着をつけなければならない。


 だけどここは雨の降る森林の中。よるとばりり始めた相手のホームだ。視界は閉ざされ、気配までもが雨で消える。


 まさに絶体絶命のピンチという最悪な状況に、僕は右手ににぎった相棒あいぼうを持つ力を強めた。


『幸人』と、端末から来栖くんの声が聞こえてくる。『エリは無事だ。目を覚ますまでなんとか耐えてくれ』


 端的たんてきな、けれど多くの情報が込められた言葉だった。そう、エリが目を覚ましさえすれば勝算しょうさんはある。たとえ相手が動物型であろうと、威力を込めたエリの魔法が直撃すれば灰燼かいじんす。そのための魔法使いだ。だけどそれまでのあいだ、僕ひとりでこのしのがなければならない。


 応急処置が終わりエリが目を覚ますまでに最低でも五分。それから魔法の詠唱が完了するまでさらに十五分。何の補助ほじょもなしに二十分の時間をかせぐというのは、動物型の〝残滓〟を前にして絶望的な難易度だった。

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